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雪宮町の殺人
プロローグ
月の無い夜道を彼女は歩いていた。シャッターの降りた商店街にテンポ良く響くヒールの音。歩くというよりは、小走りに近いかもしれない。
残業で遅くなったのは、多すぎる仕事量のせいだけではない。数ヶ月前から度々さいなまれるようになった偏頭痛。人並みの仕事がこなせない自分へのいら立ちもあり、彼女は無意識に舌打ちをする。
最寄駅から自宅のマンションまでは徒歩で十五分ほどかかる。暮らし始めた頃に比べれば慣れた道のりだ。
もう少し駅に近い物件もあったが、最終的に選んだのは同じ価格帯で間取りに余裕のある方だった。多少の距離の徒歩移動は健康維持に役立つし、生活するスペースが快適な方がきっとストレスは少ないだろう。そう考えての選択だったが、結局はそれが彼女の命運を分けることになった。
駅前の商店街を抜けると、街灯の少ないブロックに差し掛かる。引越して以来幾度となく通り抜けている細い路地に入った時、彼女は視界の端に金属の反射を見た気がした。停めてある自転車のミラーに街灯が反射したのだろうか。
立ち止まって闇に目をこらすが、動くものは見えない。
「気のせい、か」
不安が杞憂だったと結論づけるために、あえて口に出したその時、突然身体の自由が奪われた。誰かに後ろから羽交い締めにされている。抵抗する間もなく、冷たい金属が激痛と共に胸元へ突き刺さった。
激しい、だが短い悲鳴が暗闇を引き裂き、呼応するように野良犬の遠吠えが二つ、夜の住宅街にこだました。
やがて顔をのぞかせた満月が照らし出したのは、血にまみれて横たわる無惨な亡骸だった。
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