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勇哉の右手はもう元に戻っている。手についた血を舐めながら、里奈の前に戻ってきた。
改めて里奈を見る。感情の起伏が激しく、駆け引きも下手で普通の女子高生だった里奈とはまるで別人だ。表情のない顔、その目はどこか冷たささえ感じる。バケモノたちの言い伝えで、マホロバシには絶対関わるなと言われている理由がようやくわかった気がした。
「いろいろ考えたの。警察に言おうかとか、敵討ちしようかとか」
ぽつりと、小さく里奈が呟いた。
「あいつがしたこと、許せないんだけど。罪を償ってもらおうとか、自分の手で殺してやろうとかそんな事思えなかった。何だろうね、殺される瞬間も、ざまあみろとも当然の報いだとも、可哀想だとも思えなかった」
少し前の自分ならどう思っていたのだろう。警察に言うにしろ、自分でケリをつけるにしろ、勇哉がとどめを刺そうとしていたら止めていたのではないだろうか。
普通に生きてくれば、たとえどんな相手であっても目の前で人が死ぬ光景は見たくない。それはきっと人間であるが故に持ち合わせる良心や、自分への甘えだ。
「人が死んだのに、死ぬってわかっていたのに何にも感じなかった。止めようとも思わなかった。大切な人たちが殺されたのに、その事に対して自分の手でケリをつけようとも思わなかった。あの場はああするのが一番かな、って思ったの。おかしいよね、これ。まるで人間じゃないみたい」
目を伏せて、まるで他人事のように言う。矢じりを握ったときに流れ込んできた「誰か」の思いをそのまま自分の感情として受け入れてしまった。その「誰か」は、歪みをおさめ続けていた。特別人間だけ贔屓はせず、常に物事を客観的に扱っていた。自分自身さえ。
それがまるで人間ではないように見えて、人々は神の使いとして祀り上げていた。いつの間にか、自分自身さえも「歪み」の対象になってしまっていた。深い、深い絶望とともに思いが入り込み、今は何も感じられない。
「おかしい、か」
小さく笑った勇哉が空を仰ぐ。
「俺はそのまんま、何も感じなかったけどな。ザマアとも死んで当然ともなんとも。それが当たり前なんだよ、俺はバケモノだからな。何も感じないし、何も感じない事に対してもなにも思わない」
今回の件動いたのは確かに自分のためだったが、それは面倒な事になりなくなかったから。自分を落としいれようとしている奴に腹が立ったわけでも、殺すのが楽しかったわけでもない。そこには何の感情もないのだ。人間ではないから。
「人間らしい感情がない事はおかしな事じゃねえよ。感情が生まれない事をおかしいと思ってるお前は間違いなく人間なんだ。それは何も変じゃねえだろ」
おかしな力があっても、人が死ぬ様を達観していても。土屋里奈は、間違いなく人間だ。時には人を傷つけるかもしれない。それをなんとも思わないかもしれないが、その事で苦悩することはあるだろう。失ったものは、絶対に忘れられない。
しかし、薄木勇哉は人間ではない。簡単に人を殺せるし、殺してもなんとも思わない。殺した事さえ忘れてしまうかもしれない。そこは、決定的に違う。
事件は終わった。勇哉はきっとなんとも思わない。
しかし里奈は殺された人を忘れない。特に雪は完全に無関係だったのだ。自分のせいで死んだ、などと悲劇のヒロインぶるつもりはない。しかし、どうでもいいことではない。
背負わなければ、いけない。
人間だから。
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