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人が歪めてしまった自然、神、バケモノの摂理を自分たちが直して回っていた。いや、直していたのではない、壊していたのだ。壊して、新しい摂理を与えていた。一度歪んだものは元には戻らない。
自分たちはいつだって彼らの声が聞こえていて、何とかできるものは何とかしてできないものはどうしようもなくて泣いていた。
そう、マホロバシは正義の味方などではない。人によって歪められてしまったものを、人である自分たちが直していただけだ。それが結果的に人の役にたっていただけ。喜ばれたくて、感謝されたくて、自分たちは選ばれた存在だと自惚れてやっていたのではない。やりたくてやっていたのではない。お前たち「人間」が、好き勝手に生きすぎるからこんな事をしなくてはならない。私たちには、見えてしまうから―――
……今のは、誰の思いだろう。強く握った三角の石のようなものを見る。誰か、昔のマホロバシだった誰かの思いが残っていたのだろうか。
―――力の使い方を間違えてはいけない。この力は、誰かを救うためではなく、ただ歪められてしまったものを壊すことしかできないのだから―――
歪んだもの。鬼、人間、マホロバシ。さまざまなものがそこにはある。けど、今一番歪んでしまっているのはこの場そのものだ。違う空間にあり、その空間を維持しようとさらに歪めてしまっている物。
この「物」をなくせば直る? いや、違う。この場そのものが歪んでいるのなら。歪んでいるのなら。
手にしていた石、破魔矢の先にあった矢じりを、大きく一閃させた。
ザァッ、と大きな音がした。まるで光の霧に包まれたかのように四方八方すべてが光り輝く。
「ッ・・・」
あまりの眩しさに、勇哉も目を細める。
光が収まったとき、そこは「外」だった。
立ち尽くす里奈、呆然とする鬼を使っている男、そして勇哉と死にかけの鬼。
里奈が結界維持の道具を壊した?いや違う、そんな感じではなかった。まさかとは思うがこれは。
「マジか」
勇哉が小さくつぶやく。空間を歪めて作られた結界そのものを消滅させたのだ。それは道具を壊す事よりもありえない事。不安定ではあるが、巫女の力が強まりつつある里奈になら道具を壊せるだろうと踏んでいたが、まさかそれ以上のことをしてしまうとは。結界を消し去るだけにとどまったが、もしその力が自分にも及んでいたら今頃はきっとこの世にいなかった。
男も固まったまま動けない。それはそうだろう。結界を「無くす」というのがいかにありえない事か、勇哉よりもむしろ向こうの方が理解しているはずだ。
そして今の里奈の空気。もはや今までの頼りない雰囲気ではない。完全に目覚めたか。
音のない辺りに、ようやくうなり声が響いて沈黙を破った。鬼が回復し始めたのだ。その様子にようやく男も我に返る。
「こっちに来い!」
声は完全に裏返っている。同質の存在でありながら格の違う里奈を相手にしている場合ではない。自分の使う鬼は絶対に、絶対に勝てないのだ。鬼が勝てないと今度は自分は勇哉に勝てない。勝ち目などない。
今はとにかく逃げなければ。もてる技術、使えるものを全て使って何とか里奈たちを撒こうとする。その様子を、里奈も勇哉も冷めた目で見ていた。
「逃げようとしてるな」
「そうだね」
無駄なのに、と小さく呟くと右足を軽く上げ、ダン! と地面踏む。すると男が使おうとしていた結界が、術が、歪みがすべて消え去る。それを目の当たりにし、男は悲鳴をあげた。
「逃げられなくなったな」
勇哉が一歩前に出る。
「そうだね」
里奈は、動かない。その顔に浮かぶのは、悲しみでも嘲りでもない。強いて言うなら、哀れみだろうか。
男が、何かわけのわからない事を叫ぶ。たぶん鬼に里奈たちを殺せ、とでも命令したのだろう。鬼が勇哉に飛び掛ろうとするが、一瞬早く。
里奈が投げた矢じりが、鬼の額を貫通した。たったそれだけなのに、鬼は声、というより音を上げて炭のようにぼろぼろと崩れていく。最後の声は断末魔だろうか。鬼でも断末魔を上げるのかと、冷酷とも言える感想しか里奈には抱けなかった。
勇哉が一歩男に近づくたびに、男は下がっていく。ぎゃあぎゃあと何かわめいているが。まるでノイズのように、砂嵐のように聞こえて里奈は男の言っていることが理解できない。
「土屋」
勇哉に呼ばれ、彼の顔を見る。そこにはあの余裕のある顔はしていない。雪が死んだ後詰め寄った時のように無表情だ。
「ケリつけっから一応確認しておく。俺はコイツを殺す。何かいう事は?」
勇哉の右手は人間とは言えないものになっていた。二倍ほどの太さになり、何か呪符のようなものが絡み付いている。爪は一本一本が刃物のように鋭く、あれで引き裂かれたらまず助からないだろう。
「助けてくれよ! 悪かったよぉ! もうしない、二度としない! 一生かけて償うから!!」
男が命乞いをしている。勇哉は、里奈の返事を待っていてくれている。そう、最初から勇哉はこのつもりだったはずだ。真相を知りたいと行動したのは自分だが、具体的にどうするかなど考えていなかった。
止めるべきなのだろうか。ひどい事をたくさんしてきたが、相手は人間。人には人のルールがあり、罪は償わなくてはならない。鬼にやらせていたとしても、事件関係者だと警察に言えば重要参考人として取り扱ってもらえるかもしれない。それに鬼はもう倒した。この男をわざわざ今殺す必要などないのかもしれない。
それとも敵討ちとして自分が止めを刺すべきか。自分勝手な事ばかりして何の関係もない人間を殺してきた。マホロバシとして生まれたくて生まれたわけじゃない従姉妹二人と、それこそ何の関係もない友人を殺した犯人。小さい頃から本当の妹のように接してくれた従兄弟の兄、甘えん坊の亜紀、しっかり者の雪。みんな大切な人たちだった。許していいわけではない。
少し考えてから、里奈は答えた。
「別に何も」
その返事に、勇哉は目を細め、男は目を見開く。
勇哉が手を振り上げ、男は逃げ出そうと踵を返す。里奈は、目をそらす事なくそれを見つめる。
全てがスローモーションのように見えた。振り下ろされる腕、切り裂かれる体、崩れ落ちる男、噴出す鮮血。一人の人間の命が失われたというのに、その瞬間はひどくあっけなく終わった。
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