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「違う違います。そういう事じゃない──、私、芳野さんの事知りたくない!
芳野さんなんで? こんなの読んだら私っ、ますます辛くなるじゃないですか。後戻り、できなくなるじゃないですかっ」
こんな風に取り乱す姿を見た事がない。
今にも泣きそうな顔をして、苦しそうに何かを吐き出す。言葉が出ない。
「どうしてですか?」
「……シオリちゃん、なにかあった?」
片手で顔を覆い、目元を拭う。
もう片方の手には渡した本が握られている。
「──いえ、大丈夫です。私、帰ります」
「え? ああうん、でも」
「ごめんなさい。虫の居所が悪くて」
「は?」
「さよなら芳野さん。またプールで!」
「あ、待ってシオリちゃん」またって──。
俺か。
ここに来たくない理由。
全然分かっていなかった。その頃彼女が、何を考え、何故辞めようとしていたのか。
若い子の気紛れだろうと、高を括っていた。
こんないい子に好意を持たれありがたいと思っていたかもしれない。
少し調子に乗っていたかもしれない。
多分たくさん傷付けた。
もう、プールには現れないような気がした。
馬鹿だよな、あんな本を渡して。
中途半端で狡い、身勝手な大人。
何やってんだよ。
この時のやり取り、最後に見た彼女の笑顔は、強烈に記憶に残った。俺自身がそれを、しばらくの間、いや、数年先まで忘れられなくなるとは、想像もしていなかった。
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