第一章 

2/6
73人が本棚に入れています
本棚に追加
/102ページ
 その人は国際秘書検定に合格している才女だった。四十五歳で独身。ショートカットのキリッとした顔をしていた。クールで近寄り難い雰囲気だが寧々が困っていると教えてくれた。 『これ、あたしが学生の頃に使っていたテキストよ。これを見て少しは勉強しなさいね』  秘書概論、秘書実務などのテキストを読んでいくうちに、仕事の奥深さを知ると同時に、生半可な気持ちで就職した自分に喝を入れなければならなくなった。  以後、来訪者と会長との細かい関係性をメモにして記憶するようになる。  来客の際に出すお茶に関しても、相手の好みの味をしっかりと頭に叩き込んだ。就職して三年目になる頃には、独学で秘書技能検定試験の二級に合格していた。祝電や弔電の手配、名刺の入力、令状の用意、食事会の手配、会長の友人の宿泊するホテルのだの予約、出張の荷造りなど、すべてをソツなくこなせるようになった。  そうやって仕事に慣れた頃、友則が大阪の支社から本社に戻って来た。  二歳年上の営業部の友則は、社内でも何かと目立っており、若い女子社員の噂の的だった。社内の女子からは抱かれたい男ナンバーワンと騒がれていた。そんな友則と仲間を交えての飲み会を続けたのだが、ある夜、二人で夜の公園で星を見上げている時に告白された。 『あたしのどこかいいんですか?』  そう言うと、友則は、風呂上りの少年のように澄んだ眼で笑みをこぼした。 『羽生さんって優しいよな。掃除のオバさんが躓いて転んで鼻を打った時も、他の女子は遠巻きに見ていたけど、羽生さんは駆け寄って介抱してただろう。オレ、絶対にこの娘と付き合うぞって決めたんだ』  そんな会話の後、唐突に顎を掴まれ有無を言わせないような強引なキスをされてポーッとなった。愛情に関しては常にまっすぐで明るくて社交的な人だった。   交際してから五年ほ迎えると結婚したいと思うようになる。しかし、二十七歳になる少し前のクリスマスの直前に、いきなり彼から別れを告げられたのだ。 『来年の春に結婚することなった。すまない。半年前にコンパで知り合ったが妊娠したんだよ』 『妊娠?』  結婚しないでと追いすがる余地などなかった。相手は不動産を持つ資産家の一人娘だった。一流ホテルの大広間で行なわれた披露宴が行なわれた。その後、友則と妻の事が話題にあがる度に胸に鋭い痛みが走った。 『安曇さん、奥さんの財産に目が眩んで寧々のことを捨てちゃったのかな?。五年も付き合ってたんだよ。てっきり寧々と結婚すると思っていたのに……。あんな形で裏切るなんて酷いよね……』 『奥さん、妊婦なのに七回もお色直しをしてたな。羽生さんとは系統が違うよね。羽生さん、世話好きなタイプだから、飽きられたのかもしれないね。ほら、男って尽くすと図に乗るじゃん』
/102ページ

最初のコメントを投稿しよう!