第三章

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第三章

 検査用ベッドにパジャマの前を開けた将希が横たわり、興味津々で傍にあるモニター画面を見ている。横の荷物置き用のラックには、昨夜尊が将希の枕の下に敷いたバスタオルが置いてある。  尊は将希の心臓エコー検査を行っていた。午前の外来診察の最後の枠だ。将希は循環器内科にかかっていた頃にもエコー検査は受けていたが、意外にもモニターを見たことがないという。そこで尊がモニターを見るかどうか訊いてみたところ、食いついたというわけだ。  板倉が胸にゼリーを塗ると、くすぐったいのか将希が身をよじった。「大丈夫?」と確認してから、尊は超音波プローブを当てる。モニター画面にモノトーンの映像が映し出されると、将希はわくわくした表情から一転して不満そうな表情になった。がっかりした様子で口をとがらせて言う。 「何これ。全然わかんないよ……」 「将希くんの心臓だよ」 「カラーで映るんじゃないの?」  尊は思わず噴き出す。そんな尊を見て、板倉が珍しく厳しい口調でたしなめた。 「中瀬先生、みんながみんなエコーの見方を知ってるわけじゃないんですから」  それもそうだと思い直し、尊はふたりに向かって「すみません」と素直に謝った。 「カラーだと思ってたの?」 「……うん。テレビみたいに」  将希は、テレビアニメで見るように自分の心臓の様子がわかると思っていたようだ。そうではないとわかり、また尊に笑われたこともあるのか、不機嫌な表情だ。尊は超音波の仕組みを説明しようとしたが、やめておいた。きっとまたわからないと言われるに決まっている。その代わり、プローブを当てる位置を調節し、画面いっぱいに心臓のよっつの部屋を映し出す。尊は目の前にあったボールペンを手に取って右心房、左心房、右心室、左心室と順番に示していった。 「ほら、将希くん。見てごらん。よっつの部屋があるのがわかる?」 「うん。何となく」  よっつの部屋の中で、白っぽく表示されている壁が極端に分厚くなっている部屋がひとつあった。尊はその部分をこつこつとボールペンで示した。 「将希くんの場合はね、この左心室の壁が他と比べて分厚くなってるでしょ。これが、心臓がうまく働かない原因なんだ」 「ほんとだ……。だから僕、苦しいの?」 「そう。この部分を、手術で切り取るんだよ」  手術と聞いて将希の顔がこわばる。 「手術怖い……」 「怖いか。そうだよな。怖いよな」 「痛いんでしょ?」 「……うん。麻酔が切れると、痛いかな。でも、痛み止めがあるから。できるだけ痛くないようにちゃんと考えるから」 「中瀬先生が手術するの?」  尊は将希の目をしっかりと見つめてうなずいた。 「うん。将希くんの主治医だから」 「じゃあ僕、頑張る。あっ、頑張らなくていい?」 「将希くんは頑張らなくていい。将希くんはただ寝てればいいよ。頑張るのは、僕の方」  必死に恐怖と闘おうとしている将希がいじらしかった。自分にできるのはただひとつ。手術を成功させて将希の健康状態を回復させること。何が何でもやってやる。尊は決意を新たにした。  エコー検査が終了すると尊は病棟に連絡を入れ、将希を迎えに来てもらうよう依頼した。板倉にゼリーをふき取ってもらいパジャマのボタンをかけてもらった将希は、病室から乗ってきた車椅子に座った。手を伸ばして、荷物置きラックに置いていたバスタオルをつかみ取る。 「あっ、将希くん。そのバスタオル、もういらなかったらここに置いていっていいよ。あとで僕が持って帰るから」  将希は上目遣いで尊の顔を見つめ、媚びるように言った。 「ねえ先生、これ、僕が持ってていい?」 「別にいいけど、どうして?」 「よくわかんないんだけど、何か落ち着くっていうか、いい匂いがするっていうか、中瀬先生みたいだから」 「僕みたい? 僕もよくわからないけど、持ってていいよ。どうせ使ってないものだしね」 「ありがとう」  将希がはにかんだ様子で礼を言い、バスタオルを大事そうに胸に抱きかかえる。子ども受けしそうなキャラクターが描かれているわけでもなく、今治産といったブランドものでもない、何の変哲もないバスタオルだ。尊が大学入学と同時に学生寮に入った時に、母親が荷物に入れてくれたものだった。それをどうして将希が気に入ったのかわからなかったが、ほしいと言うなら譲ってもいい。  しばらくして診察室のドアがノックされ、歌穂が顔を覗かせた。左頬にえくぼを作って、将希に話しかける。 「将希くん、お疲れ。さ、お部屋に戻ろっか」  バスタオルを抱えたままこくんとうなずいた将希を見て、歌穂は怪訝そうな表情になった。 「あれ? そのバスタオル、先生に返さなくていいの?」 「うん。持ってていいって」 「そっか。よかったね、将希くん。中瀬先生大好きだもんね」  診察室を出る時、将希は尊に向かって小さく手を振った。尊も手を振り返す。歌穂が「失礼します」と一礼し、車椅子を押して出ていった。 「へえ~、意外。好かれてるんですね。中瀬先生、子ども受けする感じじゃないから、怖がられてるんじゃないかと心配してました」  診察室の片づけをしながら、愉快そうに板倉が言った。 「確かに子どもは苦手っていうか、どう扱っていいかわかりませんけど…。それより僕ってそんなに怖そうですか?」 「はい。だって、無口で何考えてるかわからない感じだし……」  即答した板倉に対し、さすがの尊もムッとする。 「……失礼な。人見知りなんですよ、僕は」 「お医者さんって変わった人が多いですからね。っていうか、中瀬先生なんて、まだ一緒にやりやすい方ですよ。まあとにかく、将希くんに好かれてよかったじゃないですか」  板倉は片づけの手を止めたかと思うと、いきなり両手の指でまだ憮然としている尊の両頬をつまみ、持ち上げた。 「いひゃい」 「ほら先生、笑顔笑顔!」  そのまま尊の頬をぐりぐりと回す板倉の笑顔が、尊には悪魔のように見えた。
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