東垣の乱

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しかし、趙王は周到なので、中山攻めの隙を他国に突かれないように、各国に大臣を派遣している。 また、西の秦には念入りにと、一番に信用がおける大臣である楼緩(ろうかん)を派遣し、秦の武王(ぶおう)薨去(こうきょ)したのに併せて、燕に人質の身であった、公子嬴稷(えいしょく)を秦に送り返すように圧力をかけた。
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