図南の翼

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五万を超える大軍は、中山の都である霊寿(れいじゅ)より南約百里(五十キロ)に位置する、陘山(けいざん)へと向かっている。 陘山と霊寿の間には、中山の領土を東から西へと分断するように流れる河川。 呼沱水(こだすい)がある。 名の由来は一帯に雨量が多く、流れの勢いが凄まじく、まるで滂沱(ぼうだ)の涙を流しているように見えることからー。と考えられている。 だが、小国中山にとって、暴河は自然の障壁の役目を果たす、有難い河川なのである。 そして、陘山には堅牢な要塞が存在し、霊寿に至るまでの二重の障壁となっている。 現今、中山を滅ぼさんと攻め込んできている、趙軍は中山の十倍以上の兵力を用いて、四方から攻め込んできている。正に四面楚歌(しめんそか)である。
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