失踪<序章>

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失踪<序章>

1月14日(木) 疲れたんだと思う何もかも。家にいても職場にいても心休まる事が無かった。そんな時ふと頭に浮かんだのが旅、いや失踪。思い立ったが吉日と、今日のうちに新幹線のチケットを買った。生まれてこの方新幹線に乗ったことも東京に行ったこともなかった。だから、富士山だってテレビや写真でしか見たことがなかった。未だに私は、東京に空飛ぶ電車があると信じている。そう、向かうは東京。しかし、よく考えると田舎者の私が果たして東京駅の改札を通った後、外に出られるかが不安だった。そのため新幹線の行き先を横浜にした。私はチケットを手に一種の興奮状態であった。誰にも何もいってない。自分しか知らない、いや……自分でもわからない数日後の未来。出発日は1月17日(日)となった。誰しも苦しみ続ける事はできない。だから、終わりが必要なのだ。偽りの幸せや安心、もしくは許しが必要なのだ。手が震えた。でも、歯車は回っている。現実と事実と真実が弾けた。 1月15日(金) 財布の中には横浜行きのチケットが入っている。帰りのチケットは買っていない。この日を最後に失踪するなどとは誰も思いもしないであろう。いつも通りに起き、いつも通りに出勤する。また、来週も来るであろう事が当たり前のように会話をすると、なんだか全てが滑稽に感じた。あぁ、なんてつまらない世界なのだろうか。昨今の世情を考えると、旅に出ようなど言語道断であろう。しかし、どうだろうか、人類が滅んだところで地球や宇宙にとっては、気にも止まらぬ事ではないだろうか。もし、人間に変わる生命が必要ならば、ほんの数億年もすれば、今の人類などなかったかの様に、また新たな生命が地球を支配するだろう。恐竜が支配し、そして滅び、つい数百年前まで存在すら知られていなかったように。感染症対策など、結局は人類がいつまで生き延びられるかという自己中心的なものでしかない。ならば旅に出ようと思い立つのも同じではないか。もう二度と会うことがないかもしれない、職場の人達と意気揚々と会話をしながら、心の奥底では、嘲笑っていた。愚かなのがどちらなのかも分からず。 1月16日(土) 失踪1日前となった。朝は早くから起き、定期的に通院している診療所へ足を運んだ。診察開始時刻より10分前に着いたにも関わらず、待合室の席はとうに埋まっていた。この世界もそう。たくさんの席があるけれど、埋っている。自分の席が見つからずさ迷って歩き回る人はどうすればいい?小さい頃、椅子取りゲームをした。私は、席を取り合うことに必死になれず、すぐに負けていた。なぜ席がないと生き延びられない。わからない、わかりたくない。家に帰ると家族に悟られないよう、最低限の荷造りをした。でも気づいたのは最低限の荷物にしようと思うと、当日の朝も使うものがほとんどだった。書店に行き、既に持っているが大好きな本を買って、リュックの中に入れた。この物語では、最後に主人公はあてのない旅に出ることになる。旅に出る所で物語は終わる。だが、人生というのはそれでも続く。「めでたし、めでたし」で読者は本を閉じれるが、私の現実はむしろ、そこから始まる。私が見てきたものや、感じた事、聞いた事、その全てが今の私自身を形成していると思うと、なんだか嬉しいようで悲しくも感じた。自分探しの旅なんかじゃない。自分を捨てるための旅がしたいのに、私は私を作り上げたものを持って出ようとしているのだ。なんと惨めな事だろうか。私は私から逃げられない。 死ぬことより苦しむことの方が勇気を必要とする。
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