Prolog - I want to hold your hand.

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「識別番号826-44-00021。個体名アナスタシア・ウィリアムズ。訓練コード728を開始します」  少女がタッチパネルに手を置いてそう告げると、スピーカーから訓練開始のアナウンスが流れる。音声合成ソフトで作られた無機質な女性の声だ。  カウントダウン音声に続いてピーッと開始を告げる電子音が鳴り響き、ほぼ同時に少女の体から凄まじい暴風が吹きだした。 「相変わらず嬢ちゃんの風魔法は威力がすげえなぁ」  ガラスの壁で仕切られた訓練室の外側、見学用のベンチに座ってアーシャの訓練を見ていた私に、髭面の大男が声をかけてくる。  彼は酒焼けで少しかすれた低い声で、さすが訓練生の中でもトップクラスの成績を誇る秀才なだけあるな、と笑った。 「いつにも増してアルコール臭がすごいですよ、ミスター・ハイバ。仕事の前日くらい控えたらどうです?」  それともアーシャに魔法で臭いを飛ばしてもらいましょうか、なんてそっけない言葉を投げると、それじゃあ俺ごと吹き飛ばされちまうだろうがと大げさに顔をしかめられた。アーシャなら威力の調節くらい余裕でこなしますよと思ってそっぽを向く。  もちろんそんな事は承知の上での冗談だと分かっているけど。  彼はこの国の魔法大学に講師として勤めており、主に大学入学前の若い訓練生の指導を担当している。  大学が設立される際に一番の問題となったのが、指導教員がいないことだった。そこで、魔法の力を隠して生きていた大人たちの中から能力の高い者が数名選ばれ、講師として訓練を指導することになったのだ。  彼はその選ばれた中の一人であり、特に高い能力を持っているのだと聞いたことがあるが、見た目がアル中の不良中年なのだからどうしても疑ってしまう。それに加えてこの軽~いノリである。採用基準に人間性は含まれなかったのかしら。 「アクロイドの奴の担当訓練はもう終わったんだろ? となると自主練か。まったく熱心なことだ」  彼は今日の担当教官だったミスター・アクロイドとはそりが合わないようで、いつも訓練棟に入り浸っているくせに今日は姿を見せなかった。かと思ったら、担当訓練が終わったとたんにこの調子で冷やかしに来る。  まったく面倒くさい。面倒くさいが、このおっさんくさい絡み方を嫌いになりきれないので余計にタチが悪いのだ。  実際、その親しみやすさで多くの訓練生から慕われている。 「お前は見てるだけか? 自主練して行かねぇの」 「疲れたんです! 今日の訓練でひたすらしごかれたんだもん。その後に自主練までやれるほど真面目な生徒じゃないですから」  ミスター・アクロイドはとにかく厳しい。  彼の訓練では、多人数での任務における指示の出し方を座学と実践の両方で学ぶ。何故か私は目をつけられていて、彼の担当訓練が行われるたびに山ほどダメ出しを食らうのだ。 「奴は天邪鬼だからな。お前に期待してんだろ」  天邪鬼が許されるのは美少女まででしょうと言いかけたところで、アーシャが訓練を終えた。  風で乱れた長い髪を直しながら私の隣に腰かけた彼女に、カバンから取り出したスポーツドリンクを渡す。  よっと片手をあげたハイバに、アーシャは律義に挨拶を返した。
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