さようならの前に

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ひらりと舞い落ちた花びらが軽く唇に触れた。 柔らかなキスのように。 お別れの前の、少し切ないキスのように。 薄い花びらが撫でた唇を曲げた指の関節で押さえて津守(つもり)は眉を寄せた。男らしい顔立ちのなかで一際印象的な力強い瞳が宙を睨むように細くなる。苛立ちを多分に含んだ表情でアスファルトを蹴りつけるように歩く。 指で唇を強く擦ったのは桜の花弁の触れた口元がむず痒かったのもあるし、元々気分が冴えなかったのもある。春も盛りの、満開になった桜がはらはらと散り始める陽気とは裏腹に津守の気持ちは塞いでいた。 大学の構内は講義の狭間なのか学生で溢れていた。まだ新しい環境に慣れない初々しい顔つきとすっかり我が物顔で行き交う学生とを避けながら一号館の下にある学食を目指す。広大なキャンパスのなかに食堂はいくつかある。その中でも津守がいつもいる理化学実験棟から一号館の食堂が一番遠い。あまり利用することがない建物は主に文学部の講義室や研究室がある。 縁遠い煉瓦造りの建物の正面横にある階段を足早に降りる。津守はせっかちな性格だ。そして急いでいる。翻る白衣の裾をすれ違う学生が物珍しげに見る。 同じキャンパス内にいても理学部の学生と文学部の学生が交わることはあまりない。それくらい学内は広かった。自転車を借りればよかったなと津守は反省する。遠すぎる校舎間の行き来を自転車でしている人間は多い。無理を言って抜けてきた休憩時間は残り少なくなっていた。 昼を過ぎた時間のせいか食堂内に学生は少なかった。取っている講義と講義の間の時間つぶしなのか何組かが退屈そうにスマートフォンを弄っていたり、必死にレポートを書いたりしている。そんな学部生に混じっている真っ直ぐに伸びたスモーキーブルーのシャツの背中は簡単に見つかった。 リノリウムの床を踏む足音に気づいたのか彼が振り返る。男にしては優しい作りの顔がなんの感慨もなく津守に向く。ちょっとは愛想良くしろよと思いながら津守は彼の向かいに勝手に座った。無遠慮なのはお互いさまだった。 「どうしたの、そんな急いで」 「休み時間短いんだよ」 「だったら近くの学食に行けよ。端から端じゃない」 「ここのうっすいカレーが食べたかったんだよ」 「物好きだな。そういえば学部生の時もたまに食べてたな」 それは金がなかったからだと言いたかったけれど我慢した。本当は味の薄い具のないカレーライスが食べたいわけではない。それは彼もわかっていて揶揄うように笑っている。
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