目撃

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目撃

さすが一流企業。 今夜は会社の創立35周年パーティー。 普段なら足を踏み入れることなどないような高級ホテルの大きな宴会場で開催されている。 定期的に行われているそれは本社のほぼ全社員が参加する盛大なパーティーで振る舞われる豪華料理と高級家電や旅行券が当たる抽選会なんて余興も大好評らしい。 前回の30周年記念の時は入社前年だったため私は入社5年目ではじめて参加。そして一緒にいる同期の佐本由衣子ももちろん初参加となる。 彼女はパーティーが始まるとすぐに目をキラキラさせながらせっせと料理とアルコールを口に運んでいた。 創立記念パーティーといっても立食スタイルで参加人数が多すぎて職場の上下関係をうるさく言われることもない。顔を合わせれば挨拶はするものの基本的に無礼講。気を遣うこともなく独身社員にとっては出会いのチャンスになっている。 うちの会社のような大きな組織では他のフロア、他の部署の社員と知り合う機会なんてそうあるものじゃない。特に独身女子社員は気合いを入れてお洒落に着飾っているし、あちこちで歓談の輪ができている。 他の会社にお付き合いしている彼がいるから新しい出会いを期待しているわけじゃないんだけど私も立派な独身女性だからそれなりにおしゃれをしてきた。 「ねえ、ねえ、副社長まだかな?」 由衣子が私に新しいワインを渡しながら囁いた。 わが社の副社長、彼は現社長の年の離れた弟さんなのだとか。 実は私はまだ一度も見たことがない。入社式にもいなかった。まあその頃の彼はまだ役職は副社長ではなく、どこか他の支社にいたらしいんだけど。 そんな由衣子の興味の的になっている副社長は超イケメンとの噂だ。 昨年副社長に就任して支社勤務から本社勤務になっているはずなのになぜか私は出会ったことがない。よほど私とはご縁がないのかも。 辺りを見回してもそれらしき姿は見えない。 「そう言えばまだみたいね。創立パーティーに遅刻するほどの仕事なんて相当大きな商談なのかな?さぞかし大変なんだろうね」 「大企業の副社長の大きな商談なんてマジで興味あるわ。私もそのプロジェクトのメンバーに入りたいんだけど。どうやったら選ばれるかしら」 キラキラと瞳を輝かす由衣子はお仕事大好き人間だ。お世辞ではなく仕事ができる上にすれ違う人が三度見するくらいの美人。 このまま順調にキャリアを積んでいけば近いうちに副社長との仕事もできるんじゃないだろうかと思う。 私とは真逆の立場だけど、私たちは入社以来ずっと仲良しの関係である。 「ああ、早くイケメン副社長が来ないかな」 由衣子がわくわくと目を輝かせて今日何度目かのセリフを言った。由衣子もまだ直接見たことがないのだとか。 「はいはい、それ何度目よ」 半ば呆れてさっきとってきた料理の皿からローストビーフをフォークに刺し口へと運んだ。 おおー、柔らかくておいしい。 このローストビーフのソース、これ何ていうんだっけ?グレイビーソース?玉ねぎの香ばしさとワインのこくが堪らない。自宅で作るのは到底無理だ。 「早希だって興味くらいあるでしょ。若くて独身、その上イケメンなら尚更気にならない?」 「そりゃ世の中、イケメンが嫌いな人の方が少ないでしょ。でも、副社長ってそこまで騒ぐほどのイケメンなの?」 付け合わせのニンジンのグラッセをもぐもぐしながら聞くと、由衣子は目を細めるようにして私を軽くにらむように見る。 「ええ?いくら社内で出会ったことがないって言ってもさ、知らないの?ーーあれれ、まさか早希チャンは社内報とか経済紙は見ないのかなあ?大きく写真入りで載ってたはずだけど」 あ・・・やばい。由衣子の目が更に細くなって冷たい光が。 社内報も経済紙も読んでないのがバレバレだ。 「ん?お仕事ナメてない?」 腰かけOLの私と違って由衣子にとっての仕事は彼女の骨組みであり肉である。幼い頃に両親が離婚して祖母に育てられたという彼女は自立心が強く仕事に打ち込んでいる。そして恋愛というものに興味がないように見える。 だからイケメンの副社長に会いたいと口では言っているけれど、その目的は単なる目の保養だろう。それより副社長の役職の業務に対する興味が主で”イケメン”はおまけでしかないはずだ。 「ええと・・・すみません。社内報は見ないで自宅に持ち帰って放置してあります。業界誌も・・・最近全く読んでおりません」 日常的に経済誌や業界新聞など何誌も目を通している由衣子と目を合わさないように俯いておいた。
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