優しい子

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優しい子

 経理を出てモヤっとした気持ちをそのままに歩いていると、前方からバサバサッという音が聞こえ、そちらに目を向ける。  ……あぁ。ちゃんと、仕事してんじゃん。眼鏡もしてるな。予備があったのかな。良かった。  落としてしまった書類をかき集めていたのは、彼女。七瀬夏美だった。  手伝おうかと足を前へ出したが、瞬間、彼女の手は止まってしまった。その視線の先には、通路に転がった小さなぬいぐるみ。あれは、この会社のイメージキャラクターだ。何年も前にこの会社でもキャラクター案とネーム案の募集があり作られた。   彼女はそのぬいぐるみを拾い上げ、もともと置いてあったであろう位置に戻した。そしてそれを見つめ、穏やかな表情で微笑み、優しく撫でた。  なでなで。なでなで。  ふふっ。と、彼女に再度微笑まれるぬいぐるみ。  ……俺も、撫でられたい。あのぬいぐるみになりたい。  欲を言えば……冷たくされて、撫でられたい。……。  だが冗談抜きに、美しいと思った。彼女の立ち姿や、表情。ひとつひとつの仕草。彼女から溢れる不思議なオーラ。  この瞬間……俺にとって七瀬夏美という女は、真っ暗な映画館で前方に映し出された、大画面の中で動く女優のような存在となった。憧れとも尊敬とも違う、特別な存在。彼女が作り出す画面の中の空間に、入りたいような入りたくないような……。今までは正直、珍しいものを見るような興味本意な部分が大きかった。足を踏み入れてしまったら、本気になるかもしれない。本気になってしまう予感がする。  大人になってから、仕事以外に本気を出したことなんてない。だから、怖い。 「参ったな。なんか、まじでヤベえかも……」  無意識に、呟いた。
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