いち

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いち

 今日、屋敷を出ていきます。心の中で呟いた。  私の住む、フィーヨルド国は紡績、織物の国。  お父様の仕事は紡績商。極秘の仕入れルートで特殊な羊毛を仕入れ糸に加工している。  その加工した糸から生み出された女性物の下着は、保温性も高く肌触りは滑らかで貴族の奥方、お嬢様や、街の女性達にも重宝されていた。  もちろん娘の私もご愛用、とても履き心地良いのです。屋敷のメイド達も喜んでその下着を使用しております。  新しく開発されたコルセットは従来の既製品よりも、伸縮性があるのに体にフィット。辛く、苦しいコルセットをつけなくても済むようになり、貴族の夫人達は喜びの声を上げたのだった。  小さな会社はフィーヨルド国で、五本の指に入るまでに成長をいたしました。  ♢  子供の頃は私の旦那様アーシェ様のお義理父様と、お父様がお爺様から譲り受けた紡績の会社で、共同経営して順調に成績を上げておりました。  しかし、私が十五歳の時にお母様は病に倒れ、かかりつけの医師に余命一年と告げられからは生活が一変。私達家族とお母様の闘病生活が始まったのです。 『必ずや、君の病気を治す!』  愛するお母様を失いたくないお父様は、多額のお金を医療につぎ込み。他国から名医を呼び寄せ高価な薬草が病気に効くと耳にすると、その度に仕入れて治療をいたしました。  その甲斐あってお母様は余命一年ではなく。約五年もの間、私達家族と穏やかに時を過ごすことが叶いました。  お母様が亡くなった後に、残ったのは落ち込むお父様と、治療に使った借金だけが家に残ったのです。  しかし、落ち込んだお父様は仕事が手に付かなくなる。借金の肩代わりをしてくれたお義理父様に、お爺様の会社全ての権利を譲渡いたしました。  それでも残ってしまった借金を返す為に、住んでいた屋敷も土地も売り捌き、どうにか日々暮らしていたのですが。そこに多額の金を払うから妹と結婚がしたいと、とある貴族からの結婚の申し出が舞い込んできたのです。  妹はまだ成人前の十五歳。お金の為にその貴族に嫁ぐのを嫌がりました。しかし、家にはお金が必要で、妹の代わりに私が嫁ぐ話が持ち上がりました。  私はお父様がもう一度やる気を取り戻すのならと、喜んでその話をお受けいたしました「私が不甲斐のないばかりに」と、泣き崩れるお父様の手に私は手を添え微笑み。 『いいんですよ、お父様』 『ミリーナ……ありがとう』  その貴族の所に嫁ぐ準備に取り掛かるなか、とある方からお父様に「紡績の会社を一つ任せたいのだが……どうだね?」と、お話が舞い込んだのです。 『なんて、ありがたい神の申しで』  お父様は藁にもすがる思いでその話をのみ、フィーヨルド国の端にある小さな紡績の会社を譲り受けました。  しかし、譲り受けた小さな会社では何処にもない〈特殊な羊毛〉を生産しており。その羊毛を紡ぐ数人の職人が働いておりました。  お父様はその職人に付き必死に技術を学び、その〈特殊な羊毛〉から作られる毛糸は、今まで扱った毛糸とは肌触りが違う一品もの。 『この糸で商品を作れば必ず売れる』と確信したお父様は、糸を紡ぐだけではなくそこから商品を発案して試作品を作り。古い知り合いの婦人達に配ってみたところ、それを身に付けた婦人達は驚きの声をあげました。 『まあ、なんて履き心地なの』 『他のより肌触りも良いわ』 『わたくしの敏感な肌にもいい』  これまでに無い着心地に試着をした人達は大喜び。婦人の旦那からも良い言葉をいただきました。 『他に商品は無いのか?』 『もっと、その商品が欲しい』 『投資する、もっと作ってくれ!』  商品を作れば作るほど飛ぶ様に売れて完売が続き。  そして、いいことは続いたのです。お父様のやる気も戻り、フィーヨルド国の端の小さな会社は大成功を収めました。 〈特殊な羊毛〉の存在を知ったお義理父様は、自分の会社に「その技術と羊毛を寄越せ」と申されましたが。お父様は事業主との契約違反となるとして、その話は無理だと頭を下げた。 『すみません、ヨーカ様。これは私達の所でしか扱えない契約なんです』  しかしお義理父様は引き下がらず『昔出してやった金を全て返せ』と言い出したのです。あの方はお父様がお爺様から受け継いだ会社を奪ったくせに……  お父様は余りのも金に煩いお義理父様に、高い利子をつけて全て返却いたしました。  それに味を示したのか。 『お前の所は景気が良くていいな』 『もう少し出してはくれないか?』 『余裕があるだろう』  借金で首が回らなくなると、お父様にお金の打診をしにやって来るようになったのです。  お父様は「借りた金は返した」と伝えても。毎回「昔と今じゃ利息が違う、お前の女房が幸せな最後を迎えれたのは俺のお陰ではないか?」その言葉にお父様は何も言えなくなり、返ってこないとわかっていても、お義理父様にお金を貸してしまう。  共同経営の時もお爺様の会社と、お父様がいたからこそ成り立っていた事業なのに。お義理父様は嫉妬心からなのなか、美味しい話に飛び込んでは事業を失敗するということを繰り返していた。  ついに嫉妬心を爆発させてしまい『お前が上手くいくのに! なぜ、俺は上手くいかない!』そうです、今考えればこの結婚はおかしかった。  しかし、当時の私では気づけませんでした。お義理父様は一人息子のアーシェ様を使い、どうにか我が家に入り込もうと考えていたのですね。 『君と結婚を前提にお付き合いを願いたい』  彼は薔薇の花束を持ち屋敷にやってきて、恋に慣れていない私に告白をしたのです。  もちろん、裏にそのようなことを考えていたなどと知らない、当時の私は舞い上がりました。 『妹ではなく、私にですか?』 『そうです、ミリーナ嬢あなたにです』  アーシェ様よりも三歳も年上の私に?   妹よりも綺麗ではなく、つねに舞踏会でも壁の花の私に、こんなに若く素敵な方が!  恥ずかしい……穴があったら当時の私を埋めてしまいたい。    ♢  アーシェ様と婚約をして半年後に、私達は結婚をいたしました。  そして迎えた初夜の夜。彼はいまは会社が忙しく朝が早いからと、落ち着くまで寝室を別にしたいと申しました。今日は初夜ですが……仕事が忙しいのならと、その条件を飲みました。  でも、真実は違っていたのです。  彼と結婚をして三ヶ月立つ頃。私は用事で実家に向かう途中に忘れ物に気が付き戻った屋敷。   彼の寝室の扉が少し開いており、中からアーシェ様と誰かの話し声が聞こえた。いけないとは思いましたが気になり、そっと聞き耳を立てたところ。  アーシェ様の話の相手は私の妹。彼らは私のことを話しているみたいだった。 『そいつ、お姉様を多額のお金で買ってくれるんでしょう?』 『あぁそうだ。これで親父が抱えた負債が無くなる。会社をたたまなくて済むよ』 『でもさぁ、よくそいつお姉様を買う気になったわよね。年増でブスなのにね、趣味悪いわ!」  ……私を買う? 『そうだな。夢物語の様な本しか読まない根暗な女なのにな、はははっ」  私を根暗だとあざ笑っていた。それもお互い何も身につけず、裸でベッドの上に寝そべっていた。  アーシェ様は普段私には見せない表情で、優しく妹の髪をすくい上げてキスを落とす。 『……んんっ、そいつ、お金を持って2日後にここに来るんでしょう』 『そうだ、2日後にはまとまった金が手に入る』  邪魔な私を誰かに売って、お金を手に入れるつもりなんだ。 (そんなの嫌だわ)  でも実家の用事も終わらせないといけないし、出て行くのはその後にするしかないわね。私は音を立てずにそっと扉から離れて、実家に帰り用事を終わらせた。屋敷に荷物をまとめに戻ると、何食わぬ顔でアーシェ様が私を迎えた。 『ミリーナお帰り。今日は久しぶりに外へ食事をしに行こう』 『ええっ、でも……』  外に食事だなんて、これでは今日中に逃げれないじゃない。最後のご機嫌取りでもするきなの?『さぁ、着替えておいで』とメイドを呼び寄せて支度を催促した。  この日、アーシェ様はこんな調子で私の側を離れず。次の日も逃げる機会が訪れなかった。カバンの準備は彼がいないうちに終わらせたし、後とは屋敷を出て行くだけなのに!  アーシェ様は普段、食事の後に来ない私の部屋に来るようにもなった。 『今日は私の部屋で一緒に寝よう、ミリーナ』  聞こえないふりをしたのだけど、強引に手を掴まれ腰を抱かれてアーシェ様の部屋へと誘導された。  理由はわかっているわ。明日になったら私を迎えにいらっしゃる貴族の方にお渡しするまで、自室に捕まえておくつもりなのね。 『あの、アーシェ様、明日はお父様に呼ばれていて、早いので自室で休みたいですわ』 『さっ……いいや。今日はミリーナと一緒に眠りたい……いいだろう?』  いま[最後]と言おうとしたくせに。掴んだこの手を離す気はなさそうね。明け方にそっと屋敷を出ていけばいいわ。 『わかりました、寝る準備をしてまいります』 『うん、待ってる』  部屋に戻り明日着る服、靴、カバンを部屋の入り口の見えない位置に置いた。メイドを呼んで湯あみを済ませて着替えていると、扉を叩きアーシェ様が部屋に入ってくる。 「迎えにきたよ」  どうしても逃したくないのか、手を掴まれて彼の部屋まで連れていかれる。一緒のベッド入ったのだけど、彼は直ぐに寝返りを打ち私に背中を見せた。  それに小さくため息をつき、私も逆へと寝返りをうった。  ベッドに入っても眠れない、どんどん目が冴えてくる。どの、タイミングで出て行く? 隣のアーシェ様は眠ったかしら?   彼は私が隣にいることで安心したのか、しばらくして寝息が聞こえてきた。   (眠った?)  でも、動くには早いわ、もう少し待ってみましょう。ベッドの上で動かず時を待った。カーテンの隙間から薄光が差し込み、ようやく朝が来たんだとわかり、私は音を立てずにベッドを離れた。 (熟睡しているみたい) 『さようなら、アーシェ様』  最後の挨拶を心の中で伝えて、寝室を抜けでて自室に戻り用意しておいた服に着替えて、カバンを持ち誰にも見られず私は屋敷を出る事に成功した。  ♢    明け方、麻畑、綿畑。私は屋敷を出て街まで続く馬車道を歩いた。まだ朝早い為か農家の人も見えず、荷馬車すら通っていなかった。 「はぁ、はあ……重い」  慌てて鞄に詰めたからか、ぱんぱんに膨らんだカバンをどうにか引きずって馬車道を歩いた。しばらく進むと草木が生い茂る緑地が見えてきた。   「ここなら草木で見つからないわね」  近くの大きな木の下で休もうと馬車道を外れる。生い茂る木の下にハンカチを引いて座った途端。昨日寝れなかってからかすーっと意識が遠のいた。  ♢  もぞっ……もぞもぞ。んんっ? 胸の辺りがもぞもぞする。 「んっ……」  もぞもぞ、くすぐったいわ。何? と触ると指の先にもふもふな毛が絡みつく、手のひらで撫でるとふわふわな触り心地? (私の胸の辺りに何かいる!)  そっと目を開くと胸の辺りにもこもこ、ふわふわ、白い毛玉が埋まっていた。そのもぞもぞ動く毛玉を突っついてみた。つんつん突っつけば毛玉はもぞもぞ動く。  つんつん、つんつん、毛玉はもぞもぞは徐々に大きくなり。 「ん? くすぐったいぞ」  ぷはっと私の胸からパチリ黒い目、真っ白な羊さんが顔を出した。じっと私の顔を見てニコッと笑った。 「あれ、目が覚めたの?」 「あ、貴方は誰?」 「僕? 僕は羊のタクちゃん。君がここで寝ていたから風邪をひかないように、僕の体温で温めてあげてたの」  可愛い顔でニコッと笑い私を見つめた。大きさは1メートルセンチくらいのもふもふの可愛い羊さん。その羊さんはベストと膝丈ズボンを着ていて、胸元、袖、お腹からはもふもふの毛がはみ出ていた。  なんなの? この見た目から癒されるものは⁉︎ 「か、可愛い!」 「お、おおっ!」  余りの可愛さに耐えきれず、羊さんの胸のもふもふに顔を埋めてぐりぐりしてしまう。  いきなりもふもふに顔を突っ込まれた羊さんは。 「うわぁ、ははっ……そこはダメだよ! くすぐったいぞ!」 「もふもふ、ふかふかで温かい」  羊さんはくすぐったくて逃げようとする体を、私は逃がさないと掴んだ。はみ出たもふもふは可愛い、もふもふは気持ちいい。この癒やしのもふもふを持って帰りたい。 (……あ、いまは帰る所はなかった)  可愛い、可愛すぎる! 「あはははっ、やめろ……僕をくすぐるなぁ!」 「いやですわ。もっと、もふもふさせて」  ぐりぐり顔を埋めると、羊さんはやめろともぞもぞ動き笑った。 「ふふっ、可愛い、もふもふ気持ちいいわ!」  いいだけ楽しみ、癒されて顔を上げた。 「ぼ、僕、こんなに人に触られたのは初めてだ」 「そうなの? もふもふ気持ち良かった、ありがとう羊さん」 「いいえ、どういたしまして!」  掴んでいた手を離すと、羊さんは私から降りて隣に並んで座った。 「君のお名前を教えて?」 「私はミリーナだよ」 「僕はタクちゃんね」 「タクちゃん」  呼ぶと彼は可愛い顔をほころばせた。 「そうだよ、ミリーナちゃん? うーん、ミリちゃんて呼ぶね。ミリちゃんは僕のもふもふ気に入った?」 「えぇ、気に入ったわ」  微笑むとタクちゃんは照れたのか、もぞもぞして「うふふっ」と笑った。 「そっか気に入ったのか。だったら、ずっともふもふを触っても良いよ」  ずっと、もふもふを触ってもいい? 「だから、僕のお嫁さんになって欲しい」  タクちゃんのお嫁さん?  「嬉しいけど……それは出来ないの、ごめんね。私はいまから何処か遠い所に行かなくちゃならない……」  2人から逃げなくちゃ 「遠い所に行くの?」  タクちゃんにそうだと頷く。 「だから、タクちゃん! 私はもう行くね」 「待って僕も行く」  タクちゃんは立ち上がり、空中に人差し指で円を書いた。 「「「“トルリーガ、リリガー”」」」  何か呪文のようなものを唱えた、タクちゃんの足元に緑色の魔方陣が光を放ち消えていった。  そして目の前にいた小さなもふもふは、私よりも遥かに高い身長に変わる。目の前に、ブルー色のジャストコールを着た男性が私を見下ろしていた。 「おまたせ、ミリちゃん」 「タクちゃん……あなたは魔法が使えるの?」 「あぁ、使える」 「昔、本で読んだことがあるわ。魔法って、特別な人しか使用できないって」  タクちゃんは頷く。 「そうだね、僕に魔法が使えるのはね。僕が特別な羊の獣人族だからだよ」  特別な羊の獣人族? あの可愛いタクちゃんの正体は、ふんわり髪にきりりとした瞳の魔法使いで、羊の男性だったってこと⁉︎  私ったら、彼のあの胸板に自ら頬を寄せて、すりすりしていたの……頬に熱がこもる、恥ずかしいわ。 「どうしたの? ミリちゃんの顔が真っ赤だよ」 「だって、タクちゃんの可愛い羊から、素敵な男性になるんだもの。身長だって変わったわ!」    それに声だって低くなった。唯一変わらなかったのは頭の丸まったツノだけだ。 「そっか、ミリちゃんは僕の姿に驚いちゃったのかぁ?」  「えぇ、とても驚いたわ」 「そうだよね、人は僕の姿に驚くからね」  姿に驚く? 「違う、姿に驚いたと言っても。私が驚いたのは魔法使いと大人のタクちゃんにだけよ。私は……元のタクちゃん、もふもふで可愛かったもの」  そう呟くとタクちゃんは嬉しそうに笑い「ありがとう」と、大きな手が私の手を握った。 「街に行こう、ミリちゃん! その荷物を貸して」 「えっ? ありがとう、タクちゃん」 「うん」    ♢  彼と手を繋ぎ馬車道を並んで歩く。  しばらく歩くと、彼の耳がぴくんと反応して後ろを向く。 「ミリちゃん、もうすぐ馬車が通る。危険だからこっちにおいで」  彼に手を引かれて馬車道からずれた。その直後に猛スピードの馬車が街の方に走っていった。  怖い……いつもは馬車に乗る方だから気付かなかった。     「大丈夫?」 「うん、教えてくれてありがとう」 「どういたしまして、行こう」  見えなくなった馬車の後を、もう一度手を繋ぎ馬車道を歩いた。タクちゃんは目を細めて畑を見回した。 「ここはよい綿畑、麻畑がたくさんあるね」 「えぇ。紡績、織物の産地ですもの。綿花や麻を育てて採取して、コットン生地や麻生地を作り、他国にも輸入しているんですよ」 「へぇー、そうなんだ」  タクちゃんは私の話を聞いて畑を見ていた。そんな彼が着ている、ジュストコールが気になって仕方がない。 「ねえ、タクちゃん」 「なに?」 「その服を触ってもいい?」 「服? 触る?」 「タクちゃんが着てる服、羊毛フェルトの生地で作られていない? それもお父様が扱っている羊毛に似ているのお願い!」 「わかった! いいだけ触って!」  タクちゃんは荷物を置き、私にぎゅっと抱きついた。 「タ、タクちゃん⁉︎」 「いいよ、触って! ほら僕にもっと触ってミリちゃん!」  ちょっと意味合いが違う気がするけど。私は遠慮せずにさわさわと服を触った。やっぱりこの生地はお父様が扱う生地と同じだわ。でも、下着と同じってなんだか複雑な気分。 「ミリちゃん?」 「ありがとう、触らしてくれて。私が着けてる下着の生地と同じだった……あ、ああっ!」  私ったらなにを言っているのよ……。  これじゃ、あなたの着ている服と同じ生地のパンツ履いてますって、言っているようなものだわ。 「ごめんね」  「何が? ミリちゃんの履いてるパンツとこの生地は同じなんだよね、えへへ」  タクちゃんは嬉しそうに笑う。 「そうか、そうか。ミリちゃんのパンツと同じ生地なのかぁ~ふふっ」  横を歩きながら何度も楽しそうに、同じことを言うタクちゃん。 「タクちゃん、恥ずかしい!」 「ははっ、ごめん、ごめん」  馬車道を並んで歩き街の正門が見えて来た。門番の人に挨拶をして門を通り街に入った。 「タクちゃん、荷物をありがとう」  街で早く、遠くに行ける馬車を探さないと。この街の馬車乗り場を探しに行こうとした。  そんな、私に早足で駆け寄る影。 「ミリーナ!」 「ミリーナお姉様」  アーシェ様と妹に見つかってしまった。 「急にいなくなるなよ、心配するだろう!」 「そうよ! 心配させないで」  2人はただ単に、お金になる私ががいなくなって心配しただけでしょうに。そっか、さっきの横を猛スピードで通り抜けた馬車に乗っていたのですね、 「今日は、お前に客が来るんだ! 帰るぞ」 「そうよお姉様、早く屋敷に帰りましょう」 (嫌だわ、知らない男性に売られるなんて、結婚だなんて……) 「ミリちゃん!」    タクちゃんは手を引き私を背中に隠した。  それを見て、アーシェ様はタクちゃんを睨む。 「誰だ、お前」 「僕はタクちゃん。木の下で眠るミリちゃんを拾った」 「拾っただと? ミリーナは俺の嫁だ、こっちに寄越せ」  嫌だと、タクちゃんの背中を掴むと「大丈夫だよ」と、言ってくれた。 「いまは、まだ君のお嫁さんかもしれないけど。将来ミリちゃんは僕のお嫁さんになるんだ」 「はぁ? 嫁?」 「あなたは何を言ってるの?」  タクちゃんは二人に話を続けた。 「僕は知っているよ。君の会社の事業が失敗してお金が必要になり自分の妻を売る、卑しい人間だと言う事を……ね」  真実を告げられた、アーシェ様は慌てた。 「どうして? その事を関係がない、お前が知ってんだ?」 「待って……アーシェ。そいつの頭のツノを見て!」 「ツノだと?」  妹がタクちゃんの角に気付き指をさした。2人の視線はタクちゃんの頭の黒いツノに向けられた。 「はぁ? お前は獣人か!」 「そうだよ、僕は羊の獣人」 「羊? 待ってくれ……俺にミリーナを売ってくれと、話を持ってきたのは猫の獣人だった」  猫の獣人?  「ふふっ、猫の獣人ね」  タクちゃんは笑い、空に手を伸ばして指をパチンと鳴らした。何処からか馬の蹄の音が聞こえてくる。街の中に一台の豪華な宝飾が施された馬車が現れた。  その豪華な馬車には何処かの国の紋様があしらわれており。その馬車はタクちゃんの横に停車した。  馬車には従者の格好をしたタイガーさんが2人。御者席を挟んで後ろに銀色に光る鎧を身につけて、大剣を携えた虎の騎士が乗っていた。  いきなり街の中に現れた馬車と獣人を見て、街の住人の恐怖の声が上がる。 「ひゃぁ! 獣人だぁ」 「食われるぞ! 逃げろ」 「人間の国に来るな、帰れー!」  馬車に乗る獣人は、街の人々に非難の声を浴びせられ始める。タクちゃんは「ふうっ」と一息ついて、馬車を乗る従者と騎士に声をかけた。 「デン、エン、サク悪いな。僕の我がままでお前達を人間の国に連れてきてしまって……すまない」  謝るタクちゃんに従者、騎士は笑顔を見せた。 「ターリク様、大丈夫だ」 「そーだよ〜! 気にしなーいーのぉ〜!」 「我、ターリク様、守るためここに来た」 「ありがとう、そう言ってくれて嬉しい。マーセルはいる?」 「はい、ターリク様ここにおります」  返事の後、馬車の中から執事服の白い猫さんが、黒いアタッシュケースを2つ持って降りてきた。 「マーセル、それを奴の所に持って行ってくれ」 「かしこまりました」  白猫さんはアタッシュケースをアーシェ様の所に持って行った、そして彼に言った。 「お約束のものです。これでミリーナ様を譲っていただけるのですよね」  譲る? 私を買おうとしていたのは……タクちゃんなの? アーシェ様と妹はアタッシュケースの中を確認して大声で笑った。 「やった大金だぁ。これで父の借金が無くなり会社を立て直せる」  彼は大喜びで、そのお金を受けとっている。 「マーセル、離縁書と契約書を彼に渡して」 「はい、ターリク様」  白猫さんは封筒を取り出すと、喜ぶアーシェ様に渡した。 「いま渡した離縁者にはミリちゃんの、父の判も押してあるから書いて君が提出してくれ」      お父様の判?    「ターリク様?」  見上げたタクちゃんの眉にはシワがより、いまにも泣きな表情をしていた。 「詳しい話は馬車の中で話す。君を僕の国に連れて行くよ」   「あなたの国?」  そうね、私はいま彼に買われたのだからと、衣類を整えてスカートを掴み深く会釈をした。 「喜んで、貴方の国へ付いていきますわ」  深く会釈をする私に、彼は悲しげに「違う」と私から目を逸らした。 「僕はただ……君を、た……け、たかっただけだ」  その声は最後まで聞こえず、私に手を伸ばし優しく抱きしめた。 「ミリちゃん、行こう」 「かしこまりました、ターリク様」  私は彼の背に手を伸ばして彼を抱きしめ返した。ターリク様にエスコートされて馬車に乗る前。 「ミリーナありがとう。君が金持ちに買われてくれたおかげだ! この金で会社を立て直すよ!」 「ありがとうお姉様。アーシェのことは私に任せてね」    私にお礼を言う2人。その姿にターリク様が怒りを露わにする。それをマーセルさんは止めた。 「ターリク様! それは、いけません!」 「離せ。マーセル、僕はあいつらを許せない!」  マーセルさんは必死にターリク様止めた。 「ダメです。あなたが人間に手を出しますと、我々と人間との間に問題が発生してしまいます。ここは抑えてください」 「そんな事は今はどうでもいい! 僕はあいつが許せぬ!」  競り合うターリク様とマーセルさん。その後ろでガシャンと音がした。その方を見ると馬車に乗る騎士が剣を持ち動きターリク様とマーセさんの前に立ち塞がった。  馬車の上では分からなかったのだけど、その騎士の体はターリク様とマーセルさんとも違う。盛り上がった胸板の筋肉、腕の太さ、2メートル以上の身長。  ここに残っていた、野次馬達から悲鳴が上がる。 「うわぁーっ!」 「襲われる」 「帰れ。獣人ども」  罵声の声と逃げる人達の足音。彼等は人間に怖がられる存在だとわかる。 「サク、何の用だ?」  睨みつけるターリク様、しかし騎士は微動だにせず。  ただ……一言。 「ターリク様。国に戻る時間来た」  まだ聞こえる周りの悲鳴と罵声にも動じず。  騎士はターリク様とマーセンさんの前に堂々と立ち見下ろす。 「くっ……そうか、わかった。もう、そんな時間か」  ターリク様は振り向き私を見た。その表情からは何を考えているのか分からなかった。彼は静かに微笑み私に口を開いた。 「国に帰る時間が来た。さあ、僕の国に行こう、ミリちゃん」 「はい、ターリク様」  マーセルさんに馬車の入り口を開けてもらい、ターリク様の手を掴み馬車の中へ。私はアーシェ様に売られて獣人の国に連れて行かれる。  その後はどうなるか知らない。 「出してくれ」 「はっ」  ターリク様の声に従者は鞭を叩き、獣人の国に馬車が動き出した。お金を手に入れて喜ぶ2人を残して。  ♢  緩やかに馬車は道を進み、ターリク様の国に向かっていた。 (あの……)  さっきまで堂々としていたあなたは何処に行ったの? と言いたくなるほど小さく私の横で頭を抱えて、小さな声でぶつぶつ「ごめん」と謝っている。  それは私に言っているのですか? 「ターリク様!」  名前を呼ぶとビクッと体を揺らして、そんな大きな体を更に縮める。前に座るマーセルを見ても苦笑いを浮かべるだけで何も言わない。 「ターリク様!」 「嫌だよ。ミリちゃん…タクちゃんと呼んで…うっ…タクち……っ「「「“トルリーガ、リリガー”」」」」  ポフンと緑色の魔方陣を見せて、元の小さな羊のターリク様に戻ってもっと縮こまる。 「うっ……ひっく……僕は、なんて悪い男なんだ」  まったく、泣き出して、丸まって。 「ターリク様! ちゃんと説明をお願いします」 「嫌だよ。タクちゃん、そう呼んでよミリちゃん」  私をお金で買ったくせに、もう大人の癖に段々と可哀想に見えてくる。その可愛い見た目はずるいわ。 「……わかりました、タクちゃんと呼びます」 「ほんと! ミリちゃん、ごめん。僕のせい……なんだ」 「何が? タクちゃんのせいなのですか?」 「君の元旦那が借金で首が回らなくなって、困ってることを僕は知っていた」  そう言って、タクちゃんは顔を上げた。 「僕は一ヶ月ほど前に君の父と仕事でお会いしたんだ。そのときの君の父は顔色が悪く、何か悩んでる様子で心配になって話を聞いてみたんだ」 「お父様が? わたしに疲れている所なんて見せなかったわ」 「それはミリちゃんが大事だからだよ。場所を移して、会社の話と君の話をしたんだ。君の父に任せた会社は業績絶好調。しかし、ミリちゃんの元旦那の義理父は事業に失敗して、金をせびられると困っていた」  アーシェ様は「また父さんが借金を作った」と、言っていたのは、このことなんだ。 「義理父の借金は膨らむ一方。その借金を返せない。それなのに元旦那は妹と結託して、ミリーナを小金持ちの貴族に売ろうとしていると、耳にしたと頭を抱えていたよ」 「お父様はアーシェ様がやろうとしていたこと、全部知っていたの?」  タクちゃんは頷く。 「僕が全てに終止符を打つ、その暁にミリーナ嬢を僕のお嫁さんに欲しいと伝えた。最初、君の父は驚いていたよ。僕が獣人だからだろうね。でも直ぐに手を握りお礼を言って「いつも苦労ばかりさせる娘を幸せにしてやって欲しい」と言われたんだ」 「……お父様」 「直ぐに動き、他の貴族と話がまとまる前に僕が名乗り出た。僕は訳あって表に出れないから、マーセルに任せて元旦那を呼び出して。金は言い分よりも倍は出すから、ミリーナを俺に買わせろと横槍を入れたんだ」 「それで、どうなったのですか?」 「アーシェは直ぐに乗ってきたよ。ミリーナは売ってやるから言い分の二倍いや三倍は欲しい、と顔をニヤつかせていたらしい。承諾するとマーセルに日付を言い、この日に金を持って迎えに来いとだけ言って帰って行った」  彼らは、当初の目的の通り私を売り多額のお金が手に入った。 「アーシェ様は今頃喜んでいるわね。目的のお金が手に入ったし、厄介者の私もいなくなったのだもの」  タクちゃんは横に首を振る。 「僕は君をお金で買った悪い男だけど。あいつらが喜んでいられるのは今のうちだ、僕の大切なミリちゃんを物のように売ろうとしたんだ、僕は許さない。ごめんね、僕はあいつを潰すよ」  その言葉に通り、タクちゃんはフィーヨルド国から全ての紡績企業を引き上げてしまった。フィーヨルド国の羊毛などの物流も高額に跳ね上げた。  それに焦ったフィーヨルドの国王陛下が出てくる。  これでは国が潰れると言う国王に……「僕の妻が君の所の公爵家アーシェ・ヨークとか言う男に酷い目に合わされたんだ……僕はその男を許すことができない、その男を消してくれるとありがたい」  と耳打ちしたらしい。  国王陛下はすぐに動いただろうねと、タクちゃんは話してくれた。  そして、私の着いた国は獣人達の国カルーフ。  タクちゃんの正体は、この国の若き獣人王ターリク・カルーフ陛下。  彼は世界の紡績協会の会長も務めていた。前に持ち上がった貴族との結婚も打ち消したのも、お父様に会社を任せたことも知りました。  すぐに泣いてしまう彼に国王陛下が務まるのか? と心配をしたのだけど。普段の彼は凛々しく、みんなを引っ張る若き国王陛下。  可愛いターリク様になるのは私の前だけだと知った。  ♢  彼の執務室、仕事の合間の2人のお茶の時間。   「どうして、ターリク様は私を選んだの?」  彼との結婚を前にどうしても聞きたかった。どうして? 何の取り柄もない私を選んだのだと。彼には返せない恩ばかり受けてしまい、私にそれが返せるのか心配だった。  ターリク様は紅茶を一口飲み、微笑んだ。 「ミリは忘れてるかもしれないけど、今から15年前、僕はフィーヨルド国の舞踏会に婚約者、探しも兼ねて父上と共に呼ばれていたんだ」  ターリク様が10歳の時? 「そのときの僕はまだ半人前で、半獣になれず獣人の姿で参加をしていた。周りの奇妙な物を見る目に耐えれなくなって、怖くて泣いてしまったんだ。そこに『どうして、お兄ちゃんは泣いてるの?』 と、ミリが現れた」 「私? 舞踏会? 6歳の頃? ……あ、あぁ、もふもふのお兄ちゃん⁉︎」  そうだと彼が頷く。 「君と2人、バルコニーで遊びながら何度も僕に可愛いって抱き。もふもふ、もふもふ気持ちいいって、君は僕を色々触ったんだよ」 「その時のことなら、ちゃんと覚えているわ。ターリク様のお腹と角……それに尻尾を触ったの」 「そう、僕の尻尾をむぎゅっと掴んだね。ミリは獣人の弱点ばかり触ったのだよ」 「弱点?」 「尻尾なんて殆どお尻だよ、わかってる?」  お尻? 「本当だわ、当時の私は知らなかったとはいえ……ターリク様の凄い所を撫でたのね」 「あははっ、そうだよ。この様にね」 「きゃっ、お尻を握らないでください」  そして、舞踏会が終わり別れ際にターリク様の手を握って『お兄ちゃんと別れたくない』って泣きじゃくってしまった。そんな私にターリク様は『大きくなったら僕と結婚しょうね』と約束してくれたんだ。 「ターリク様、私……」 「君が結婚したと知ったときは辛かったけど。ミリはキスも初夜もまだ済ませていない。出来るだけ優しくするね」 「お手柔らかにお願いします」  彼は笑い、優しくキスをした。  後日  フィールド国の国王陛下は紡績企業の繁栄に影を残したとして、公爵家ヨークを国から追放した。その後、彼らがどうなったのかは知らない。  妹はその前にアーシェ様と別れて、違う公爵家の嫁となったらしいと、お父様から聞いた。    
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