第1章 蕎麦屋の娘、巫女になる!②

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「了解!」 (中には、本当に狸を食べる人間もいるけど……。そこは伏せておいた方が良さそうね)  私は心の中でそっと付け加えた。 「ふん、お前に合わせる訳じゃないが、俺はきつね蕎麦にする」 「きつねもあるだか!?」  稲七はそう言うとお品書きを閉じた。どうやら、どんな料理なのか説明しなくても分かっているらしい。  狐の好物は油揚げだというが、あれは本当なのだろうか。 「ねえ、稲七もやっぱり油揚げが好きなの?」 「まあ……人間の食い物の中ではマシな方だな」  すました顔をしているが、これはかなり好きという意味だろう。だんだん彼の性格が分かってきた気がする。 「承知しました。じゃあ、ちょっと時間かかっちゃうかもしれないけど、お待ちくださいね!」  私は気合を入れてキッチンへ向かった。二人分なら、お店の厨房でなくても充分だ。ついでに私も夕食にしてしまおう。 (昨日のはいい感じだったんだけど……香りがもう一つだったのよね。かえしの寝かしが足りないのかしら?)  実は、祖母の仕込んでいた蕎麦つゆが無くなってしまったのが寂しくて、なんとか自分で再現出来ないか、このところ毎晩挑戦していた。  鰹と昆布の出汁も、祖母に教わった手順通りに煮出したものを合わせた。 (これでよし!)  手際良く三人分の蕎麦とお茶を用意して、私は店に戻る。 「お待ちどうさま!」  お盆を持ってテーブルへ向かうと、二人は何やら話し込んでいるようだった。  私に気が付くと、天助はそれまでの真剣な表情から一転、嬉しそうに立ち上がって蕎麦を出迎える。今は見えていない尻尾が、きっとぱたぱたと振られているに違いない。 「おお! 蕎麦だ、蕎麦だー!」 「まずはたぬき蕎麦ね。後、きつね蕎麦と私の分も持ってくるわ。一緒に夕飯にさせて貰うわね」  順に蕎麦とお茶を運んで、私も椅子に腰掛けた。 「やっぱり良い香りだべ〜。ん、つきみのは、なんて蕎麦なんだ?」 「卵が乗った月見蕎麦よ!」 「なんだー、みんな自分にぴったりな蕎麦だな!」  彼はくしゃくしゃの癖っ毛を掻いて、愉快そうに笑った。 「私の名前、おばあちゃんがつけてくれたの。綺麗な満月の夜に生まれたからなんだって。さ、伸びないうちにどうぞ!」 「ありがてぇだ」  天助は座り直すと、また丼を両手で持ち上げて食べようとする。 「箸くらい使え」  稲七は慣れた様子で七味を振り、箸を取って手を合わせた。 「ハシって、この棒切れか?」  稲七の真似を試みるも、天助の手つきは覚束ない。やっとのことで、天かすと蕎麦を口に運ぶと、彼の表情は見るからに明るく輝いた。  
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