第二節 待ち人に振る舞うは卵料理

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 数日ぶりの再会を果たした私と涼太は些細なきっかけで、周囲の視線を気にすることなく笑い合った。その笑いの波が落ち着ついたところで、涼太は一息ついてから、紙袋を差し出してきた。 「はい、陽子ちゃん。お土産」 「ありがとう」  紙袋を受け取りながら中を覗き見ると、洋菓子のようだった。数年前まで私も住んでいた場所のお土産のはずで、修学旅行で再度調べ直したはずなのに見覚えのないそれに首を傾げてしまう。 「えっと、お菓子?」 「そうだよ。ケーキとかも売ってた和菓子屋さん覚えてるかな? その店で最近、発売し始めたらしい新作ロールケーキだよ。数量限定らしくて、いつもすぐに売り切れちゃうらしいんだ。中に入ってる果物とかも地元のものを中心に使ってるらしいんだけど、個人的にはあんまりピンと来てないんだよね」 「そんな曖昧なものをお土産として渡すわけ?」  露骨な説明口調も含めて、くすりと笑ってしまう。 「まあ、でも、おいしくて人気なのは本当だから。そういうわけだから、賞味期限には気を付けて食べてね」  涼太は笑顔でそう付け足すと、鞄を肩に掛け直した。このまま何もしなければ、涼太はくるりと身を(ひるがえ)して、下宿先に帰ってしまうだろう。Uターンのピーク時に新幹線などを乗り継いで帰ってきた疲れなどを考えると、このまま見送る方がいいのかもしれない。  だけど、もう少しだけ一緒にいたくて、 「ねえ、晩ご飯はまだだよね? よかったら一緒に食べよ?」  と、とっさに引き止めるような言葉をかけていた。それは自分でも驚くほどすんなりと言葉になってしまい、言った後に色々と考えてしまい耳まで熱くなってしまう。 「えっと……それはいいんだけど、今から? 荷物多いから、このまま食べに行くのはちょっとなあ」 「じゃあ、私の家で食べるのは? どこかお店で食べるよりは、荷物とか周り気にしなくても大丈夫でしょ?」 「まあ、そうだけど。でも、いきなり家に行って、迷惑にならない?」 「それはきっと大丈夫だよ。まだ向こうに住んでいるときだって、私の家で食べたりしてたじゃん」 「そうだね……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」  流れと勢いに任せて家に誘ってしまったという高揚感と、これから一緒にご飯を食べるということが楽しみで胸が高鳴る。今日の私はちょっとどうかしている。 「でもさ、いきなり行ったら、おばさん、びっくりするんじゃない?」 「その心配はないよ。お母さんは今、お父さんのところに行ってるから、問題ないよ」 「それって……逆に問題じゃない?」 「なんで?」  聞き返しながらも、理由はちゃんと分かっていた。彼女持ちの男の子が両親がいない女の子の家にご飯を食べに行く。何もなかったとしても、その話を対外的にすれば確実に誤解を招くようなシチュエーションだ。 「私と涼太くんの仲なんだから、それくらい大丈夫でしょ?」  この言葉も本心からの言葉だった。きっと私が望んだとしても間違いは起こらないだろうし、お互いにそういうことをしないという信頼関係もある。 「まあ、そうなんだけどさ……」 「じゃあ、いいよね? 一人でご飯を食べるのはちょっと寂しいなって、思ってたんだよ」 「ああ、それは分かる。一人暮らし始めて、一人で食べるご飯は味気ないし、あんまりおいしく感じないってことあるし」 「そっか。ねえ、何か食べたいものある? 帰りにスーパーによれば、なんでも作れるよ」 「陽子ちゃんが作ってくれるの? いいのかな?」 「いいよ。私、料理作るの好きだし、家族以外に作ることって滅多にないことだから、今日は特に気合い入れて何でも作るよ」  涼太は首を捻りながら真剣に考え始める。悩ましい唸り声の合間にぼそりと、 「梨奈が相手なら、卵焼きだけ確定させて、あとはお任せにするんだけどな……」  と、無意識に発せられる言葉が聞こえてくる。聞こえないふりもすることができたが、そのふとした言葉が胸に深く深く突き刺さり、痛みだす。涼太の言動の端々にどうしても梨奈の姿が透けて見えてしまう。今の言葉もそうだが、お土産のチョイスなど些細なところにも梨奈の存在を感じてしまう。  私はすでに決着がついていて、負けが確定しているのにも関わらず、梨奈に負けたくないと思ってしまう。  料理の腕は昔から私の方がずっと上だった。お菓子もましてやおにぎりさえも、まともに作れなかった梨奈が涼太の言葉から察するにそれなりにできるようになったみたいだけど、子供のころからずっと手伝いでそれ以外でもずっとやってきた私とは、経験に差があると思っている。 「ねえ、梨奈が普段作ってくれない涼太くんの好物って、何? せっかくだし、それ作ってあげるよ」 「そういうことなら、明太子とか魚卵を使った料理かな? ほら、俺は魚卵大好きだけど、梨奈は見るのも嫌いだし」 「じゃあ、決まりだね。今日は明太子尽くしにしてみようか?」  私は無理に作った笑顔でそう提案すると、涼太は「じゃあ、それでお願いしよっかな。楽しみだなあ」と、楽しそうに笑みをこぼしていた。  それから並んで歩きながら、涼太から帰省した時の話を聞いた。  梨奈が駅に車で迎えに来ていて驚かされたこと、観光客が多くて、地元に帰ってきたはずなのにゆっくりできなかったことなど、楽しそうに話す涼太を隣で時折横目で見つめながら聞いた。そんなたった数日の土産話の中で、涼太の隣にはいつも梨奈がいて、話の中でもたびたび名前が上がる。私はそんな仲睦まじい話を聞きたくないような、それでも梨奈が元気で幸せに暮らしているということが嬉しいような不思議な気持ちに包まれる。  家の近くのスーパーで明太子と、その他に料理に必要な食材を買い物カゴに入れた。それから、涼太が好きだった炭酸飲料もカゴに入れる。レジで涼太もお金を出そうとしてくれたが、今回は私が誘ったのだからと、私が払った。それから、袋詰めをしていると、 「作ってもらうだけでもありがたいのに、材料費まで陽子ちゃん持ちとなると申し訳ない気持ちになってくるよ」  と、隣で涼太が不満そうな声をこぼす。 「じゃあ、今回は私の奢りだけど、別の機会に涼太くんに何か奢ってもらうよ。なんなら涼太くんの手料理でもいいんだよ?」 「俺は料理には自信ないから、何か奢らせてもらうよ」 「うん。それでその次はまた私が何か作るか奢るかしてあげるよ」 「せめて、割り勘にしてくれない?」  涼太が困ったような表情を浮かべるが、私は反対にからかい半分の笑みを向け続けた。買ったものを袋に詰め終えると、涼太がそれを無言でさっと手に取った。 「いいよ、涼太くんは他にも荷物あるんだしさ。そんなに量も多くないし、大丈夫だよ?」 「いやいや。それでもこれくらい持つくらいはしないと、さすがに男としてダメでしょ」  涼太は真面目な顔で言うものだから、私は思わず噴き出してしまった。涼太も私のそんな顔を見て、笑顔を浮かべる。 「こう見えても、俺、スポーツやってたんだよ。それなりに力と体力には自信があるんだ」 「うん、知ってる……じゃあ、お願いしようかな」  そうして、私たちは並んで笑顔で歩き出す。  こうやって並んで歩いたり、一緒に買い物をする姿は、周りにはどう映っているのだろうか。恋人と勘違いする人もいたりするのだろうか。  周囲からどう見られようが、叶うはずのない一方通行の恋心を抱いている情けない実情を知られようが、私は今のこの時間を大切にしたいと思った。  陽が遠くに沈んでいき、空には夜の気配が濃くなってきている。  大きな鞄を肩から提げ、隣を同じペースで歩く好きな男の子。私は歩きながら腕を上に伸ばしながら、一つ大きな伸びをして、そのまま空を見上げた。  相変わらず星が見えにくい都会の空に、それでも輝いているであろう星にそっと手を伸ばす。  そして、もう子供じゃない私は、もう何をしても星に手が届かないことを知っていて、ゆっくりと伸ばした手をおろすことにした――――。
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