第一節 春嵐に襲われるはインスタントティー

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  第一節 春嵐に襲われるはインスタントティー

 冬の寒さの合間に春の暖かさが混じりだす三月のはじめ。  大学二年生の後期の試験も終わり、少し長い春休みに入ってから、一ヶ月が経とうとしていた。  そんなある日、俺は同じ大学に通う幼馴染で友達の沢井陽子に呼び出され、彼女の住むマンションに来ていた。 「それで陽子ちゃん。今日はどうしたの? 何も聞かされないまま、とりあえず来たわけだけど」  通されたリビングのソファーに腰かけ、キッチンから持ってきた飲み物をなどを載せたトレイをテーブルに置きながら隣に座る陽子に尋ねる。陽子は紅茶の入ったカップとクッキーが盛られた皿をトレイからテーブルに移しながら、 「あのね、私、また引っ越すことになったの。だから、その報告とあとはクッキー焼いたから食べて欲しくってさ」  と、呼んだ理由を説明してくれた。しかし、あまりにも自然に言葉が発せられすぎたせいで、「今日も寒いね」と言っているのと同じような口調やトーンだったこともあり、何を言われたのかすぐに理解できなかった。だから、砂糖を入れる前に口を付けた紅茶の渋さの方に驚いてしまい、 「そうなんだ。あっ、砂糖取ってくれる?」  こんな感じに軽く流しそうになってしまう。しかし、何かおかしいと硬直して陽子の言葉を思い返して、あらためて驚きで固まってしまう。 「……引っ越し? そんな大事なことをさらりと言わないでよ」 「そう? でも、実際、そんなに大ごとじゃないからね。はい、砂糖」  陽子はシュガーポットを差し出しながら、表情一つ変えず何でもないように言う。そんな陽子を横目にシュガーポットを受け取り、気持ち多めに砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜ、あらためて紅茶に口をつけると、安心の甘さにホッとして、一旦心を落ち着かせる。 「それで陽子ちゃんはどうするの? 大学だって、あと二年残ってるわけじゃん?」 「大学は大丈夫だよ。それに私はこっちに残る予定だから」 「どういうこと?」  陽子はすぐには答えず、間を取るように紅茶にゆっくりと口をつける。 「引っ越すって言っても、新しい家に引っ越すのはお父さんとお母さんだけで、私はこっちで一人暮らしする予定なんだ」 「なるほどね。それでおばさんたちはどこに引っ越すの?」 「お母さんたちは、涼太くんたちの実家のあるあの町に引っ越すんだよ。戻るって言った方がしっくりくるかもね」 「まじで!?」  想像もしてない展開に思わず大きな声が出た。そして、そのまま理解はできても状況が呑み込めず、固まってしまう。そんな俺のリアクションを見て、陽子はくすくすと笑い出した。陽子からしてみれば、ここまでの俺の反応はある意味想定通りなのかもしれない。その証拠に、 「驚いた?」  と、楽しそうな笑みをこちらに向けている。一つ大きく息を吐きだして、陽子に向き直る。 「そりゃあ、驚くに決まってるじゃん。でも、なんで今になって?」 「お父さんがね、今度、出世だったか昇進するらしくて、転勤が難しい立場になるけど今の職場に残るか、違う支店に転属するかを選ぶことになって、残る選択をしたらしいの。それなら、いっそのことあの町に骨を埋めようかって、お母さんと相談して決めたらしんだ。それで前に住んでた家が空き屋のままだったから、今度は借りるんじゃなく、思い切って買ったらしいんだ。だからさ、来週の週末にはここも引き払う予定なんだ」  淡々と説明されて、情報量の多さに混乱する頭の中で話を整理していく。そのことに集中するあまり陽子が最初に言っていたもう一つの呼び出された理由のクッキーの存在も、ちょうどいい甘さにした紅茶を飲むことも忘れていた。  そんな俺をよそに、陽子はこちらの様子をちらちら伺いながら、紅茶に口を付けていた。 「えっと……うん。だいぶ状況は理解できた。それで陽子ちゃんは?」 「私はさっきも言ったけど、一人暮らしをするんだ。最初はさ、このマンションからあんまり離れていないところにお母さんの実家があるんだけど、そこに居候させてもらおうかって話も出てたんだ。だけど、がんばってプレゼンとかして説得して、一人暮らしの許可を貰ったんだよ」 「どんなことを言ったのかは分からないけど、一人暮らしのために本気になりすぎじゃない?」  ちょっとした呆れを含んだため息をついた。そして、テーブルの上に視線を戻し、紅茶を飲んで、存在を忘れていたクッキーに手をつける。ドライフルーツ入りのクッキーは甘くて美味しかった。  そして、陽子に視線を戻すと、こちらをじっと見つめていて、目が合うと陽子はふっと表情が緩めた。 「まあ、成人したことと大学があと二年しかないってことも一人暮らしを許してもらえた理由だったかもしれないけど、一番の決め手は涼太くんの存在だから、そのあたりは本当に涼太くんに感謝してるよ」 「えっと……どういうこと? ちょっと言ってる意味が分からないんだけど……」 「それはきっとすぐにわかるよ」  陽子はにっこりと笑みを浮かべながら答える。 「なんか嫌な予感しかしないんだけど……」 「そんな警戒しないでよ。それで今日来てもらった理由なんだけど、引っ越しの手伝いをお願いできないかな?」 「うん、全然かまわないよ。陽子ちゃんから言われなくても、こっちから手伝うことないかって、提案してただろうし」 「ほんとありがとう。私の引っ越しの方はお父さんが帰ってこれないから、男手足りなくて困ってたんだ」 「いえいえ。なんだったら、陽子ちゃん個人の引っ越しだけじゃなくて、家族の引っ越しの方も手伝おうか? 少しでも人手が多い方がいいでしょ?」 「本当にいいの?」 「もちろん」 「ありがとう! じゃあ、お礼の一部前払いってことで、クッキーをどうぞ」  陽子はすっとクッキーの載った皿をこちらに寄せてくる。 「もしかして、最初からこうなるだろうと思って、クッキー作ったわけじゃないよね?」 「考えすぎだよ」  陽子はカップを両手で包むように持ったまま、楽しそうな笑みを浮かべながらこちらを見つめてくる。その表情からは本心はうかがい知れないが、他意があろうがなかろうがきっと同じ結果になっていただろう。だから、今はありがたく前払いのお礼をおいしくいただくことにした。  こうして、俺は沢井家の二つの引っ越しを手伝うことになった――。
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