第二節 春に初恋の結末を見届けるはレモンティー

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 近くの自動販売機でペットボトル入りのホットのレモンティーを二本買い、涼太に一本渡し、隣に腰かけた。  涼太はレモンティーを手の中で転がし、指先を温めているようで、その横顔をそっと見つめていた。 「それで涼太くんはどうしたの?」  私の言葉に涼太は動きを止める。そして、私に視線を向け、何かを言いかけては視線を逸らすということを繰り返す。それだけで涼太の葛藤や不安というものが伝わってくる。  そして、それだけのことで何が原因か容易に予想がついてしまい、胸が痛む。そんな自分の気持ちは今は押し殺し、 「もしかして……梨奈と何かあった?」  と、おそらく核心であろうことを涼太に尋ねる。涼太は梨奈の名前を聞いた瞬間、表情を一瞬歪めた。涼太は何も答えないまま、黙り込んでしまい、その沈黙が私の言葉が間違っていないと証明していた。 「やっぱりそうなんだね」  確認するように呟いて、レモンティーに口をつける。 「なんで梨奈のことだって、分かったの?」 「だってさ、今みたいに涼太くんの表情を本気で曇らせることができるのは、世界中で梨奈だけだからね」  涼太はまた言葉が出てこないようだった。私はできるだけ優しい声音を意識しながら、 「私でよかったら、いくらでも話聞くよ? それくらいしかできないかもだけど、話すと楽になることだってあると思うんだ」  と、涼太の顔を真っ直ぐに見つめながら、安心させるために笑顔を作って見せる。 「大丈夫。私は涼太くんの味方だから。焦らないでいいから、よかったら何があったか話聞かせて?」  そんな私の言葉に涼太の目からすっと涙が流れた。長い付き合いなのに、涼太の涙を初めて見た気がした。そのことに動揺してしまうが、悟られないように静かに涼太の言葉を待った。  そして、風に消え入りそうなほどの小声で、 「梨奈に……昨日、梨奈にフラれたんだ」  と、涼太が口にする。最初、何を言っているのかすぐには理解できなかった。  二人の間に何があったかは分からないが、涼太が全く予期できずにこうも落ち込んでしまうほどに、唐突な別れがあったのだとしたら、それなりの理由がなければおかしい。 「どうしてフラれたの?」 「色々言われたけど、本当のところは分からない。だけど、気付かないうちにどうしようもなくすれ違ってしまったんだと思う」 「どういうこと?」  それから涼太は昨日の夜にあったことを話してくれた。  涼太は昨日の夜にこの神社に梨奈に呼び出され、別れ話を切り出されたそうだ。要約すると、梨奈は私と涼太の関係を疑い、疑心暗鬼に駆られ、涼太の善意の行動を勘違いし、その果てに最悪の結論を導き出したということらしかった。  そして、涼太は今日、梨奈の家にもう一度話をしに行ったが、玄関先で梨奈の母親に、「梨奈が今は会いたくない、って言っているのよ。ごめんなさいね」と言われ、仕方なく梨奈の家をあとにしたが、自分の家に帰る気にもなれず、他に行く当ても思いつかず、なんとなく神社の石段に座り込んで物思いにふけっていたそうだ。そんなときに私がやってきたというわけだ。  その話を聞きながら、私は涼太と梨奈、どちらに対しても共感も同情もできなかった。自分の中に沸いた感情は自分でも不思議なことに怒りだった。だから、話し終えた涼太に最初に発した言葉が、 「はあ? なにそれ?」  という、ため息と呆れが混じった言葉だった。涼太にとって、私のそんな反応が予想外だったのか、息を呑んでこちらの様子を伺っているようだった。  そんな涼太の反応を後目(しりめ)に、石段からすっと腰を上げ、上着のポケットからスマホを取りだした。 「ねえ、涼太くん。今から梨奈と話したいから、梨奈の番号教えて」 「わ、分かった……」  涼太は戸惑いながらもズボンのポケットからスマホを取りだし、梨奈の連絡先を表示させる。それを見ながら番号を打ち込み、一息ついてから通話ボタンをタップする。  呼び出し中のコールを聞きながら、勢いのまま電話をかけたはいいものの、何を話せばいいかとか考えはまとまっていないことに気付いた。きっとただ文句を言いたかっただけ。そんな理由で梨奈と距離を取って、折り合いをつけていた現状を自分から崩すことになるとは思ってもみなかった。  しかし、梨奈は電話にでることはなかった。知らない番号から電話が突然かかってきたら、警戒するのも仕方のないことに思えた。さらに今の梨奈も目の前の涼太と同じで、精神的に弱っていて、心に余裕がないのかもしれない。そんな状態で、知らない番号からの電話に出てみようなんていう心持ちは生まれないのも理解できることだった。  だからと言って、梨奈と話すのを諦めるという気はさらさらなかった。  電話を一旦切り、私は別の人物に電話をかける。呼び出し音が同じように聞こえてくるが、今度の相手はすぐに応答してくれた。 『はい、もしもし。陽子ちゃん?』  電話の相手の変わらない優しい声音に安心する。梨奈の母親は出会ったころからずっと変わらない。私にとってはいつも優しくて楽しい人で、数少ない大好きな人の一人だった。だから、梨奈と涼太の二人と距離を置いていた時期も、事情を説明して連絡を取り合い、季節の挨拶だけは欠かさなかった。 「あっ、おばさん、お久しぶりです。と言っても、新年の挨拶以来だから、二ヶ月くらいしか経ってないですけど」 『そうね。それで今日は急に電話してきて、どうしたの?』 「母から聞いていると思いますが、またこっちで暮らすことになって――」 『ええ、聞いてるわ。落ち着いたら、ゆっくりお茶でも飲みながら話しましょうって、陽子ちゃんのお母さんと話したもの。それで、陽子ちゃん……本当の要件は何かしら?』  梨奈の母親のこういうときの察しの良さには本当にくだを巻く。もしかすると、最初から私が電話をかけた理由を見透かしているのかもしれない。しかし、今はそれがありがたい。 「梨奈のこと、なんですけど……」 『このタイミングで、ってことはやっぱりそのことよね。梨奈ね、昨日の夜、突然どこかに出かけて、帰ってきたと思ったら、それからずっと部屋にこもって、ふさぎ込んでいるのよね。陽子ちゃんは何があったのか知ってるのかしら?』  横目でちらりともう一人の当事者を見る。何を話しているのか気になっているのか静かに聞き耳を立てているようだった。 「はい。さっき涼太くんからだいたいの事情を聞きました」 『そう……それで何があったか予想はつくけど、詳しく事情を教えてもらってもいいのかしら?』 「大丈夫……かもしれませんが、それは私の口から話すことではないと思うので、ごめんなさい……」 『いいのよ。それで陽子ちゃんは私に何をさせたいのかしら?』 「――じゃあ、電話の相手が私ということを伏せて、梨奈に代わってもらえませんか?」 『分かったわ。ちょっと待っててね』  それからスリッパで歩く足音が聞こえる。音がくぐもって聞こえるのは、スマホのマイク付近を手で(おお)っているからだろう。しばらくして、今度は何やら話している声が聞こえだす。音がクリアになるのを感じ、ドアが閉まる音が聞こえた。  スマホの向こう側から深呼吸をしているかのような息を吐く音が聞こえる。 『……もしもし?』  梨奈の声が聞こえる。久しぶりのその声に思わず嬉しさがこみ上げる。しかし、涼太の顔が視界に入り、それは怒りという感情に上書きされる。そして、これから梨奈とする会話はきっと涼太にも聞かせた方がいいと思えた。  第三者の私からしてみれば、二人のすれ違いは本当にくだらないものでしかないのだから。  スマホを耳から離し、スピーカーに切り替える。そのまま涼太に視線を向け、静かにしててねという意味合いを込めて、口元に立てた人差し指を当てる。その意図が伝わったのか涼太が頷いたのを確認して、一度深呼吸をして、気を入れ直した。 「梨奈、分かる? 久しぶり」 『よ、陽子!? なんで? 今は陽子とは――』 「梨奈! あなた、何してるのよ!!」  思った以上に大きな声が出て、自分でも驚いてしまう。驚いているのが自分だけでないことは、目の前の涼太の表情からも、電話の向こうで何か言いかけたまま続きを言いあぐねている梨奈の様子からも感じ取れる。しかし、今はそれは大したことではなく、気にせずに話を続ける。 「ねえ、梨奈。そんなに涼太くんのことが信じられない? 梨奈の涼太くんへの気持ちはそんなもんだったわけ?」 『……そう言うってことは、涼太から聞いたんだね。だったら、陽子だけにはそんな言葉を言われたくない。私はずっと信じていたかった……信じてたのよ。だけど、もう限界なの。分かるでしょう?』 「分からないわ。結局、梨奈は自分のことがかわいいだけで、涼太くんと正面から向き合おうとしなかったんでしょう?」 『ち、違う! 陽子には分からないよ! そばにいるのが当たり前だった人が……離れている時間の方が短いようなそんな人がいなくなって、次第に離れている時間が長くなって、今度はそれが当たり前になっていく怖さや不安が……』  梨奈の声は震えていた。梨奈の気持ちが分からないわけではない。かつて私も同じような気持ちを抱いたことがあるのだから。  だからこそ、私に対してそんなことを言い出した梨奈には再び怒りがこみ上げる。 「だから、何? そんなことが言い訳になると思ってるの?」 『……でも、だんだん不安や寂しさが強くなっていく中で、涼太からは毎日のように陽子との楽しそうな話を聞かされるのよ? それがどんなに苦痛か分かる? だけど、涼太は私のような不安を感じてる様子はないし、陽子との楽しそうな毎日を特別なものだとも思っていない。私は会えないのに、陽子は涼太といつでも会える距離にいて、毎日のように一緒にいて、一人暮らしの部屋をお互いに行き来して……何もなかったとしても、そういうこと自体が苦しくて……』  梨奈の吐露(とろ)に、涼太は目を逸らすように俯いた。涼太は本当に私とのことは悪気も後ろめたさも何も感じていなかったのだ。ただ再会した幼馴染の友人と今日も楽しく過ごしたということを梨奈に話しただけ。だからこそ、そこまで気にしないといけなかったのかと、自分を責めるのと同時に、理不尽と思っても誰にも当たることができない状況に当惑しているようだった。  そんな涼太の辛そうな表情に私の心は締め付けられる。  一度は届かないと諦め、胸の奥にしまい込んだ想いのはずだったのに、苦々しい感情と共に溢れでそうになってしまう。 『それに陽子は……陽子は昔から涼太のことが――ううん、きっと今も涼太のことが好き、なんでしょ?』  梨奈によって私の気持ちが言葉に変換され、それが涼太の耳にもしっかりと届く。梨奈は今ここに涼太がいることを知らない。だからこその言葉だったのだが、そのせいで私が告白してしまったかのような気まずい空気がこちら側に流れる。 「だったら、何だって言うの? もし私が今も涼太くんを好きだったら、梨奈は簡単に諦めてくれるの?」 『そんなわけ……』 「でも、梨奈が諦めたから、今のこの状況なんでしょう? だったらさ、私が涼太くんをもらっても梨奈は文句ないよね?」 『……い、いやだ……』  梨奈は小声でぼそりと呟く。聞こえた言葉を聞こえないふりをして、わざと煽るように、「なに? 聞こえない」と口にする。 『いやだよ……絶対にいや! 涼太が隣にいない人生は私には考えられない! だから、涼太のことは誰にも譲りたくない。たとえ陽子が相手でも私は絶対に負けない! 私は誰よりも涼太のことが好きなんだから! それは今もこれからも絶対に変わらないんだから!!』  私は期待した言葉を引き出せたことにひとまずホッとする。梨奈は電話の向こう側で息を切らしていて、涼太は梨奈の本心が聞けたことで安心したのか、気が抜けているようだった。  このまま上手く切り上げて通話を終わらせれば、二人の関係はきっと何事もなかったかのように修復されてハッピーエンドになるのだと思う。  だけど、私はそれを素直によかっただなんて思えない。そう思ってしまったら、私はどうなるのだろうか。叶わないと諦めつつも、ずるずるとずっと思い続けてきた涼太への気持ちはどうなってしまうのだろうか。ろうそくの火のように吹けばパッと消えてくれるようなものでもないし、忘れるにも想いの火が消えていくのにも、時間がかかるものなのだろう。  私は二人が付き合っていることやおそらくこれから復縁するだろうことに納得はしていても、心からの祝福はできないし、したくなかった。  だから、最後に少しだけ自分の気持ちに素直になろうと決めた。 「でもさ……梨奈と涼太くんは今は恋人ってわけじゃないんだから、私が何をしようと梨奈に止める権利はないよね?」  私の言葉に「えっ?」と驚く声が聞こえた。それは電話の向こう側からだけでなく、すぐ近くからも聞こえた気がした。その両方を聞こえないふりをして、私は続ける。 「だから、好きなだけ一人で自分勝手な選択の結果を悔やめばいいんだ――」  それはかつての自分自身にも向けた言葉だった。 『待って! 陽子、ねえ――』  梨奈の言葉を最後まで聞かずに通話を終わらせる。すぐに折り返し掛かってくる電話をスマホの電源そのものを落とすことで拒否をする。  そして、私と涼太の二人だけが静かになった神社の石段で向かい合う――。
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