第二節 春に初恋の結末を見届けるはレモンティー

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 梨奈との通話を終え、私は涼太の顔を真っ直ぐに見つめる。 「涼太くんはこれからどうするの?」  私の問いかけに、涼太はとっさに何も言葉が出てこないようだった。それはまだ状況の整理が追い付いていないのか、呆けてしまってるのかは分からない。ひとつ分かることは、梨奈の口から間接的に私の好意を聞かされて、視線を合わせるのをためらっているということくらいだった。 「どうするって言われても、俺は――」  その続きは聞かなくても分かっていた。涼太は私とここで出会う前から、自分はどうしたいかという選択をしていたのだから。だからこそ、わざと涼太の言葉を遮るようにして、 「じゃあさ、涼太くん。私と恋人になってよ」  と、自分の言葉で告白し直す。涼太は呆気に取られて、目を丸くしてこちらに視線を向ける。 「私は涼太くんが好きなの。昔から――たぶん、初めて会ったあの夏の日からずっと。私は涼太くんとずっと一緒に生きていきたい。私にとって、自然に笑って話せる男の子は涼太くんしかいない。私には涼太くんしかいないの――」  そう伝えながら、気付いたらいつの間にか服の裾を握りしめてしまっていた。そして、次の言葉を言うために緊張で震える唇で細く深呼吸をする。 「だから、結婚を前提に私と付き合ってもらえませんか?」  私の告白にさっきまで定まっていなかった涼太の視線がばしっと定まり、こちらを真っ直ぐに見つめ返してくる。涼太はすっと立ち上がり、私の正面に立つ。 「陽子ちゃんの気持ちは正直言うとすごく嬉しい。だけど、ごめん。俺は陽子ちゃんの気持ちには応えられない」  分かっていた返事が、今日まで先延ばしにしてきた聞きたくなかった言葉が私の耳に届いた。  そして、この恋を終わらせるために私は涼太に尋ねる。 「……うん、分かってた。それでも、理由……聞いてもいいかな?」 「俺はさ、梨奈が好きなんだ。物心つく前から俺の隣に梨奈がいて、梨奈の隣には俺がいてさ――それはきっとこれからも変わらないし、変えられないものだと思うんだ。おかしいかもしれないけど、俺と梨奈は二人でワンセットみたいな関係なんだと思う」 「そっか……」 「うん。だから……ごめんなさい」  涼太は心底申し訳なさそうに頭を下げる。そんな姿に私の胸は締め付けられるように痛んだ。私と涼太の関係は本当にこんな結末しかなかったのだろうかと思い返して、考えてしまう。  もしこれが物語の世界なら、私と涼太の出会いは運命的と言っても差し支えないものだったに違いない。それなら涼太と結ばれるはずだったのは――。  もし私が違う選択をしていたら、どうなっていたのか気になってしまう。 「ねえ、涼太くん。一つだけ、聞いてもいいかな?」  涼太は下げていた頭を上げ、「なに?」と聞き返してくる。 「もしさ……本当にもしもの話なんだけど、私がこっちにある高校に進学して、涼太くんたちとずっと一緒にいたとして――そんな状況で、私が涼太くんに告白していたら……それでも涼太くんの返事は同じだったのかな?」 「それは分からない」 「そうだよね……」 「――でも、陽子ちゃんの言うようなもしもがあったとしたら……きっと俺は陽子ちゃんの気持ちに応えていたと思うよ」  私は思わず言葉を失う。そんな私をよそに涼太は続ける。 「今だから言えるけど、俺は初めて会ったあの夏の日に陽子ちゃんに一目ぼれをしていたんだ。それからずっと片思いしてた」 「そっか……五年、遅かったんだね。私の告白は――」  思わず空を見上げる。そこには雲一つないきれいな空が広がっていた。大きすぎる後悔や失恋の辛さから涙が出るかなと思ったが、そうでもないみたいだった。私の心中も今の空模様のように晴れわたりすっきりしていた。  視線を涼太の方に戻しながら、 「それで涼太くんはこれからどうするの?」  と、先ほどは遮った答えの続きを聞くために改めて尋ね直す。 「もう一度ちゃんと梨奈と話してみるよ。今度は落ち着いて話せそうだしね」 「うん、そうだね。それから?」 「梨奈次第だけど、もう一度やり直そうと伝えるつもりだよ」 「さっきの梨奈の様子だときっと大丈夫だと思うよ」 「そう……だといいな」  涼太はまた視線を彷徨わせる。 「なんだかはっきりしない返事だね」 「なんというか、正直ちょっと自信ないんだ。今回のことで伝わってると思っていた自分の気持ちが伝わっていなかったことや、信じてもらえてなかったということが相当ショックだったんだ。また、同じようなことがあるかもしれないと思うと不安なんだ」 「きっと大丈夫だよ。涼太くんと梨奈なら乗り越えられると思うよ」 「陽子ちゃんにそう言われると安心できるな。親をのぞけば、俺らのことを一番見てきて分かってくれてるのは陽子ちゃんだと思うから……そんな陽子ちゃんの言葉だから信じられる」  涼太は今日初めて、笑顔を浮かべる。やはり笑っている顔を見ている方が安心する。  私は涼太の笑っている顔が好きだ。私と話すときだけ、少しだけ困ったような表情ではにかむのが好きだ。どんなときでも優しい涼太のことが好きだ。  私の涼太への想いはまだこんなにも溢れている。だけれども、もう終わりにしなければならない。  届くことも叶うこともなかったけれど、私の想いを涼太にも覚えていてほしい。  私が告白してフラれた今日のこともいつかは思い出になる。いつか今日のことを思い返したとき、涼太の記憶には私はどのように見えているのだろうか。  そして、思い出はゆっくりと風化し、思い出されることもなくなるのだろう。  だから、一生忘れられないように涼太に刻み込みたくて、私は――。 「ねえ、今は誰とも付き合っていないフリーの涼太くんにお願いがあるんだけどいいかな?」 「嫌な言い回しをするね。それで俺に何をさせたいの?」 「じゃあ、少しだけ目を閉じてもらえないかな?」 「なんで? ちょっと怖いんだけど……」 「いいの、いいの。涼太くんに気合いを入れるためにこう、ね――」  私は手を水平に軽く振ってみせる。きっとこういう仕草をすれば、涼太は背中か頬を叩かれるなりして、フラれた憂さ晴らしをされるか、物理的に気合いを注入されるものと勘違いしてくれるだろう。だから、少々触れたところで涼太は気にすることはないだろう。 「わ、分かったよ」  涼太はぎゅっと目をつむり、歯を食いしばる。私はこんな状況でも素直で空気をよく読んでいて、私や梨奈の頼みなら断り切れないいつもの涼太の姿にくすりと笑みがこぼれる。 「目を開けたらダメだからね? いい?」  私の念押しに涼太は頷いて見せる。  涼太に近づき、そっと頬に触れる。ビクッと体を強張らせるのが触れた手の平から直接伝わってくる。  涼太が一目惚れしたという、初めて出会ったあの日に比べて短くなった髪の毛を、耳に掛け直してそのまま押さえる。そして、ゆっくりと涼太に顔を近づけ、そのまま唇をそっと重ねた。  私の初めてのキスは、初めて本気で好きになった人と交わす最初で最後の初恋を終わらせるためのキスで、嬉しさのなかに寂しさと切なさを感じるものだった。  出会ってから今まで(はぐく)んできた愛情を余すことなく伝え、それが叶うことがないと結果が示されている悲しさに満ちたキスだった。  今までの思い出が脳裏に蘇り、長くも感じたその一瞬のひとときを終え、名残惜しさを感じながらゆっくりと唇を離した。  この忘れようにもなかなか忘れないだろう瞬間に、私は涼太に涙を見せたくなかった。この瞬間が思い出になったとき、私が涼太に思い出してもらいたい表情は――――。  未だに驚いた顔をして、唇に指を当てて呆けている涼太の顔を見つめながら、油断すると泣き出してしまいそうになるのを必死に堪えながら、今できる最高の笑顔を向ける。 「涼太くんは今は誰とも付き合ってないんだから、さっきのは浮気にならないから安心して。涼太くん――ありがとう。好き、だったよ」  そう伝え、いつもの別れのように「じゃあ、またね」と小さく手を振って、くるりと回って歩き始める。そして、涼太のいる神社から少しずつ離れていき、路地を曲がり完全に涼太からは見えない場所まで来てたところで、私は声を出さずに泣いた。  私の初恋はこうして終わりを迎えた。  そして、それは形を変えても、これから先の人生において、ずっと心の内で淡い光を放ち続けるのだろう。  まるで失われてしまっても変わることなく輝き続ける、星の光に似たそんな初恋だった――――。
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