14人が本棚に入れています
本棚に追加
第一節 夜空に伸ばした手が掴みたいのは
「なあ、町谷のとこの涼ちゃん! こっちのテントを立てるのを手伝ってくれないか?」
「はい、分かりました!」
そうやって呼ばれた場所でテントの鉄骨を組み立て始める。辺りには鉄骨同士が当たる甲高い音や、喋ったり笑う声で賑やかだった。
今日は住んでいる地域で自治会主催で盆踊りが開催される予定だ。両親がそれぞれ青年団と婦人会に所属していて、祭りやイベントのたびにこうやって借り出されるのだ。そういうわけで、今日も昼過ぎからずっと荷物運びなど様々な手伝いをさせられている。
中学生になってからは、手伝いという身分でありながら戦力として扱われ、テントや屋台を何度も設営してきた。今では手際よく作業を進められるようになったが、そのせいで周囲の大人が露骨にサボるようになり、その代わりに黙々と手を動かし、汗を流した。
そうやって都合よく使われることに文句の一つでも言いたくなるが、今は何かしている方が気が紛れた。というのも、先週末、気合いを入れて臨んだ中学最後の部活の大会で早々に敗退してしまったのだ。部活という打ちこめるものと逃げ道を同時に失い、進路と真剣に向き合わなければならない時期が来ていた。
進路――生まれてからずっとこの古い町並みを残すこの場所で育ち、おおげさでなく同じ地域に住む人はほぼ全員が顔見知りで。漠然とこのままこの町で大人になり、就職し、結婚して、今みたいに祭りなどの行事ごとに関わりながら生きていくのだろうと思っていた。
この町がなんだかんだ好きで、離れようとも離れたいとも思わない。悪く言えば、この町に縛られているだけなのかもしれない。
だからこそ、進路は決まっているも同然だった。
元々勉強ができる方でもないし、赤点を取るほどにひどいというわけでもない。選べるほどの選択肢は多くはないが、地元の公立高校に進学しようと思っていた。というより、そうなるのだろうと幼いころからずっと思っていた。
それはきっと幼馴染の桑原梨奈も同じで――。
「お疲れ様でーす! 婦人会からの差し入れです。一休みして、英気を養ってください!」
まだ明るさが残る夜六時過ぎ。婦人会の一団が大量のおにぎりやいなり寿司を手に差し入れにやって来た。その差し入れに準備がひと段落し、疲れた顔をしして建てたばかりのテントの下で涼みながら談笑していた男衆が群がった。食べ物と一緒にお茶が配られ、地面に座ったり、立ったまま差し入れに手を付け始める。中には、「もうこのまま一杯ひっかけたい気分だ」と冗談めかす人もいたが、「打ち上げでしこたま飲めるんだから、我慢しろよな?」と返され、どっと沸いたりしている。
俺はというと、差し入れの受け取り競争に出遅れてしまい、大人げない大人たちを遠巻きにぼんやりと眺めていた。
「あんたも差し入れ食べなさいよ」
梨奈が不格好なおにぎりを二つ載せた紙皿とお茶の入った紙コップを手に声を掛けてきた。それを受け取りながら、
「ありがとな。その様子だと、梨奈も手伝いに借り出されたみたいだね」
と、似合わないエプロン姿の梨奈をじっくりと見つめる。その視線に梨奈は不機嫌そうな表情を浮かべる。
「そうよ、何か文句ある?」
「ねえよ。そのへんはお互い様ってもんだろ?」
俺も頭にタオルを巻いていて、似合ってないという自覚はある。梨奈の表情がふっと緩む。
「それもそうね。昼過ぎから、ずっと差し入れの準備や打ち上げ会場になる集会所の掃除やなんかで、もうくたくたよ」
「それはお疲れ様。こっちは手を動かさずに口を動かしていた大人たちの代わりに炎天下でずっと準備でもうバテバテ。そのうえ、さらに露店の手伝いをしろって言われてるんだぜ」
手に持ったものを落とさないように気をつけながら、大げさに肩をすくめてみせる。一瞬の沈黙のあとに、顔を見合わせて同時に噴き出した。
そのまま並んで座り、受け取った差し入れのおにぎりを口にする。塩加減がきつくて、強く握ったせいか少し硬かった。思わずお茶に手を伸ばすと、隣で不安そうな表情を浮かべている梨奈が目に入った。きっとこのおにぎりを作ったのは――。
いっきに二つともたいらげ、バレないようにお茶で流し込む。紙皿の上が空になると、梨奈の硬い表情に笑顔が戻り、さっきの話の続きを思い出したかのように再開させてくる。
「で、涼太はなんの露店やるの?」
「飲み物のやつ」
「ああ……それは、ご愁傷様」
梨奈が同情と憐みに満ちたかわいそうな人を見る目で見つめてくる。それも仕方のないことで、中学生未満は飲み物は無料で飲み放題なので群がってくる。そのなかで中学生以上からはしっかりと代金を取らなければならないし、さらには酒類もあるので未成年に売らないように気を付けなければならない。気苦労の絶えないある種、罰ゲームのようなもので。
去年までは群がる側だったからこそ、惨状は理解しているつもりだ。だからこそ、不安から大きなため息が出てしまう。もしかすると、瓶ラムネを使ってシャンパンファイトごっこをする悪ガキまで現れるかもしれない。その主犯格がかつての自分だったわけで。
「あっ、そうそう。涼太、今年の夏祭りは誰かと行く予定あるの?」
ふいに隣からこちらを覗き込みながら梨奈が尋ねてきた。陽子が引っ越してきてからは、梨奈と陽子と三人で行くのが通例で、断る理由もないし、誰かに誘われているわけでもない。
「今のところはないよ」
「じゃあ、今年も三人で行こうよ」
「うん、わかった」
「じゃあ、また時間とかの連絡するね」
梨奈は嬉しそうな表情を浮かべながら、「約束だからね」と念押しをしてくる。その笑顔が眩しいのでふっと目を逸らすと、大人たちが生暖かい視線を向けて来ているのに気づいた。そのことにうっと顔をしかめると、梨奈も視線に気づいたようで顔を赤らめ、すっと立ち上がる。そのまま足早に差し入れを配る手伝いに戻って行った。
少しの休憩のあと、盆踊りの準備はラストスパートを迎える。建てたテントの中に大型の鉄板やアイスボックスを設置し、本部テントには音響機材が運び込まれ、本番に向けて慌ただしさばかりが増していく。さっきまで手を抜いているように見えていた大人たちは真剣な表情でてきぱきと分担して、配線や照明の取り付け、発電機の用意などもくもくと準備を整えていった。
陽が暮れていくと、発電機のけたたましい音とともに照明が灯り、そこに吸い寄せられるようにまばらに人が集まりだした。
顔馴染みの大人からは「手伝いしてえらいねー」と褒められ、近所に住む小学生たちからは「涼太兄ちゃん、飲み物さっさとくれよー!」とせっつかれた。その合間を狙ったかのようにやってくる同年代の知り合いからは「色々と大変だな、お前も」と気を遣われる始末で。
しばらくすると、交代するから休んでいいと言われ、冷えた炭酸飲料を一本取り出し持って行くことにした。そして、会場裏手の人がいない場所に移動して座り込み、疲労感から大きなため息をついた。盆踊りの音楽に混じり、楽しそうな声が反響して聞こえてくる。
持ってきた炭酸飲料のタブを開け、いっきに半分ほどを乾いた喉に流し込み、思わず声が漏れる。炭酸の爽やかな喉越しに今日一日の疲れが取れる気がした。大人にとってのビールがこんな感じなのかもしれない。
休憩といってもやることがなく、近くの盆踊り会場の明るさに飲み込まれた星空をぼんやりとただ眺めた――。
最初のコメントを投稿しよう!