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この町では年に数度しかない明るい夜空を見上げながら、遠くから聞こえる音に耳を澄ませていると、ズボンのポケットから振動を感じた。慌ててポケットに手を入れ、着信が来たことを知らせているスマホを取り出した。画面を確認すると、電話は陽子からのものだった。その意外な相手に驚いてしまう。陽子とは仲がいいし、それなりに話もするが、ただ電話で話すということは普段はあまりないのだ。
それに今、陽子はお盆に合わせて、引っ越してくる前に住んでいた都会に帰省しているはずで。
電話が切れないうちに急いで通話ボタンをタップする。
『もしもし』
耳に当てたスマホの向こうから小さな声で話しかけてくる聞きなれた声が聞こえる。
「陽子ちゃん? 急にどうしたの? 今、帰省してたはずだよね? 今年はどう? 何か楽しいことあった?」
自分の動揺を隠すために、ついつい矢継ぎ早に質問を連ねてしまう。そのことに陽子は困っているのか、なんともいえない間が生まれてしまう。
『えっと……うん。おばあちゃんとか優しいから』
質問の答えになっていないような微妙な返事が返ってきて、しくじったかなとつい頭を掻いてしまう。次にどんな話題を切り出していいか分からず、頭を悩ませてしまい、またしても気まずい間が生じるが、それを埋めてくれたのは陽子だった。
『なんだか電話の後ろの方が少し騒がしいみたいだけれど、もしかして何かしてたかな?』
「後ろ? ああ、今日は盆踊りなんだよ」
『そうなんだ、もしかして……誰かと一緒だったりした?』
「そんなことないよ。俺は楽しむ側じゃなくて、楽しんでもらう側だったからね。それでコキ使われまくって、今はちょうど休憩中」
電話の向こう側でホッと息を吐く気配を感じた。
『それならいいんだけど……あっ、そうそう。お土産は何がいい? 涼太くんは何か欲しいものある?』
「うーん……洋菓子系のお土産はなんというかありきたりな気がするし、お菓子とか食べ物なら和菓子系がいいかな」
お土産をリクエストするのは本来なら気が引けるが、毎年帰省するたびにお菓子だとか買ってきてくれるので、選ぶ方も大変なのかもしれないと思い、素直に欲しいものを口にした。
しかし、陽子の反応が一切なく、電話が繋がっているのかすら不安になるほどだった。
「陽子ちゃん?」
『……あの、えっと……ごめん。和菓子ね。分かった』
「うん。まあ、でも、無理に買うことはないよ。お土産はモノより土産話の方がいいからね」
上手くフォローしたつもりだったのに、電話の向こう側からは『うん』という一言のみで、電話越しでも陽子のどこか上の空な空気感を感じてしまう。そのことで言葉に詰まり、またしても間ができてしまう。それに耐えれなくて、今度はこちらから話を切り出した。
「そういえば、何か話があったんじゃない?」
『うん、そうだった。涼太くんは、もう進路決めた?』
「地元の公立を受験するつもりだよ」
電話の向こう側から小さなため息の後に、『やっぱり……』と呟く声が聞こえた気がした。気のせいかもしれないのでしばらく待っていると、
『私ね、進路のことで迷っているんだけれど、どうしたらいいと思う?』
陽子はゆっくりと言葉を選ぶようにしながら相談してきた。しかし、その的をいない聞き方に、「どう、って?」と尋ね返した。
『えっとね、先生からは推薦の話も聞かされててね、でも、私としては二人と同じ公立にも行きたいと思ってて……それでどうしたらいいのかなって』
二人という言葉に引っかかりを覚えたが、それは自分と梨奈のことを指すのだろう。そして、陽子の相談に対して、本心を言えば、陽子と同じ高校に通えたらいいなと思ってしまう。
なぜなら、初めて会ったあの夏の日から俺は陽子に恋をしているのだから――。
しかし、学年で常に成績トップ争いをしている陽子に、自分のワガママのために進学する高校のランクを下げてくれと言うのは無責任すぎる。逆に陽子のレベルに合わせようにも、俺にはそんな学力はないし、どんなにがんばってもあと半年足らず追いつける自信もなかった。
そして、当たり前のことだが、陽子の進路を含めた将来を決めるのは周りではなく陽子本人であるべきだ。
「陽子ちゃんは、高校で何がしたい? 高校でじゃなくてもその先でもいいんだけどさ」
自分の気持ちを押し殺して、陽子のためになる選択を自分で選んでほしくて――反応はないが話を聞いているであろう陽子に向けて、言葉を紡ぐ。
「俺や梨奈はさ、お世辞にも頭がいい方ではないし、行ける高校の選択肢も少ないんだよね。その中で偏差値と通いやすさで地元の公立を選んでるだけでさ。それに俺はきっとずっとこの町で暮らしていくと思うんだ。地元の高校に行って、卒業して、そのまま近場で就職して――みたいなさ。小さいころから、そういう将来しか想像できないんだよね」
陽子は時折小さく相槌を打ちながら静かに聞いているようだった。一つ息を吐いてさらに続ける。
「でも、陽子ちゃんは選べる選択肢があって、将来のために何を選べばいいかなんて、俺なんかよりずっと頭もよくて賢い陽子ちゃんなら、きっと俺なんかに相談しなくても本当は見えてると思うんだよね。今は将来、何がやりたいとか分からなくても、いつかやりたいことが見つかった時のために、今できる一番いい選択をすればいいと思うんだ。陽子ちゃんが自分で選んで、進んでいく路なら間違ってないと思うから――」
途中から自分でも何を言っているのか分からなくなったが、自分の気持ち以外で言いたいことはちゃんと伝えれたと思う。自分なりに背中は押したつもりだ。
しかし、電話の向こう側で陽子は黙り込んでいた。
「もしかして、意味わからない変なこと言ってた……かな?」
『ううん。ありがとう……またそっちに帰ったら連絡するね』
陽子はそう言うとあっさり電話を切ってしまった。スマホをポケットにしまいながら、これでよかったのかと省みる。
自分とは違い、都会から引っ越してきた陽子はこの町になんのしがらみもなく縛られてはいない。そんな陽子をこの町や地域に縛りつけることはできない。
ただ繋ぎとめるという意味合いで思いつく手段はある。それは俺が陽子に告白をして、恋人という関係になればいいのだ。
しかしながら、告白が成就するという保証も自信もない。
だけど、恋人になれば陽子は何も言わず自分と同じ公立の高校を選択するだろう。もしかすると、そんなリスクを冒さなくとも、「一緒の学校に行こう」と俺や梨奈が言うだけでもそうするかもしれない。
しかし、好きな人である以前に大切な人だからこそ、進路は自分で決めてほしかった。仮に違う進路を選んだとしても、会えなくなるわけではないのだから。そのときはそのときで、休みの日や放課後に時間を見つけて会えばいい。
だから、俺は――町谷涼太は沢井陽子に告白することを躊躇していた――。
想いを告げられないまま見上げた星空に、届かない想いを重ねそっと手を伸ばす。
電話で喋って乾いた喉を潤すために、持って来ていた炭酸飲料に口をつけ、炭酸が抜けていることに気付いた。人の気持ちや想いというものも、まるで抜けていく炭酸のように目に見えず、気が付いたらなくなってしまうのだろうか。
それでも、俺は残った甘い記憶や想いを、大事にしていきたいと思っていた――。
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