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土日を挟み、週が明けると、全て元に戻る。
彼は自分の席で弁当を食べ、髭を付けて気を引くような真似はもうしない。
相沢さんと喋る機会があり、彼と何を喋ったか聞いてみた。
彼女にも、加嶋くんはしょっちゅう私の話をしているそうだ。
私まで彼に興味を持ったと勘違いされ、妙な微笑みを返されてうんざりした。
もっとも、食事をどうするかが今は最優先に考えることだろう。
このままでいいのか改めて問われると、迷いもするし、悩みもする。
私は自己矛盾の塊だ。
加嶋くんのストレートなお節介は腹立たしくも、眩しい。
不躾でガサツな言動は、私への好意があってこそ、か。
それがどんな好意かまでは知らないし、考えなくてもいい。
ただ、彼を受け止めることが出来るか、それを試されているように感じる。
月曜、火曜と、仕事の指示を伝えるだけで、ランチでの話が蒸し返されはしなかった。
水曜日、一度、加嶋くんを呼び止めはしたが、画像の補正漏れを指摘して誤魔化す。
夜の九時近くまで会社に残った木曜日、帰りにコンビニへ寄った。
チキンとナスのパスタをレジに持って行くと、マニュアル通りに店員が説明を添える。
「温める場合は、電子レンジで五番のボタンを押してください」
いつもなら冷たいままの弁当を手に、マンションへ帰るところなのに。
この日、初めてコンビニのレンジを利用した。
自室に戻り、着替えもしないでパスタをテーブルに置いて蓋を開け、暫し立ち上る湯気を見つめる。
赤いソースが絡むパスタを、思い切って口に入れた途端、嘔吐感が食道を逆流した。
目を滲ませ、駆け込んだトイレで半日分の食事を吐き出す。
人肌を思わせる温度は、まだ私には耐えられなかった。
金曜日の昼、弁当を広げる加嶋くんへ、前夜の顛末を訥々と語る。
温かい食事は無理だった、と。
「そうですか……」
「冷えた食事なら」
「え?」
「冷たければ、食べられるかも」
「ボクとでも?」
多少、自信無くも頷いてみせた。前に進むのは、若さの特権じゃない。
弁当を包み直した彼は、冷やし中華を食べに行こうと提案する。
「いや、せっかくのお弁当が」
「そんなのいつだって食べられます。早く列ばないと、昼休みが終わっちゃうじゃないですか!」
結論から言うと、この日の昼飯は半分を残してしまった。
それでも上出来だと、加嶋くんは飛び切りの笑顔で受け合う。
彼は知らない。
この一歩に、どれほど逡巡したかを。
その屈託のない笑みが、凍った私を溶かす報酬なのだと。
十年以上も止まっていた時計は、また動いてくれるかな。
ランチの帰り道、冷たい料理ならいくらでもあると、彼は楽しそうに並べ立てる。
どうやら、これから毎日、外食するつもりらしい。
「ところで、主任は気になる男性とかいます?」
「その質問こそプライバシー侵害ね。答える義務無し」
「世間話じゃないですか! 好みのタイプとか教えてくださいよ」
「一人前になったらね」
「えー」
ずいぶんと歳の離れた彼だけど、私の貴重なランチ友達となった。
一本取られたような気分とは言え、私にだってまだまだ教えたいことはある。
誤字の多さを笑って誤魔化す悪癖――こいつをまず直させよう。
私たち二人の冷めた関係は、こうして始まったのだった。
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