第1話 また私を殺しにきたの?

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第1話 また私を殺しにきたの?

「首を()ねよ」  命じたのは、大切なあなた。私を愛していると囁いたその唇で、私を断罪するのね。冤罪と知りながら、隣の女と一緒になるために……私を。  自慢の黒髪を引っ張られ、跪くように命じる声。処刑人を恨むことはない。あなたを憎みもしません。ただ悲しいだけ。  残していく家族の顔が涙で滲む。お父様、大切に育ててくださってありがとう。先立つ親不孝をお許しください。慈しんでくださったお母様の元でお待ちしております。素直で可愛い弟の未来が心配だわ。私のせいで不幸にならないでね。  偉大なる神カオス様、お願いです。私の愛する家族をお守りください。今は手を合わせることも出来ぬ私ですが、この命をもって、残される父と弟を……。  祈りは突然途切れる。ザンッ――聞こえたのは振り下ろす刃が風を切り裂く音。痛みは感じず、転がった視界に微笑んだ。 *******  びくりと全身が揺れる。 「びっくり、した」  思わず呟きが漏れた。見上げた天井は自室の見慣れた天蓋に覆われ、ほっとする。嫌な夢を見てしまったわ。汗を掻いているみたい。  起きあがろうとして、ころんと後ろに転がった。左手がぶつかったのは、愛らしい兎のぬいぐるみ。右側にはお母様が作ってくださったお人形……あら、随分綺麗ね。どうしたのかしら。  体がやけに重くて、手を持ち上げるのも辛い。まだ半分眠っているのかしら。ぎこちなく持ち上げた手が視界に入り、私は動きを止めた。  嘘っ、どうして小さいの? 握って広げる動きは思った通りだし、ちゃんと私の手だってわかる。でも、おかしい。私は21歳のはずなのよ?  ノックの音がして、そっと扉が開く。顔を覗かせたのは、ばあやのエマだった。もうずっと前に引退して、この屋敷にはいないはずよ。目を瞬いて、声を出そうとするけれど……貼り付いたみたいに開かなかった。 「お嬢様! お目覚めなのですね、良かったです。ずっと高熱で魘されて……いまお水を、どうぞ」  喉をごくりと動かした所作で、喉が渇いているのを察したみたい。ばあやはこういうところ、すごく気が利いたの。ひとまず水を飲ませてもらうことにした。小さい手でコップを掴み、ばあやが傾けてくれるグラスに口をつける。  冷たい水が一口ごとに体に染み渡っていく。気持ちいい、すごく美味しい。ほっとして手櫛で髪を梳かしたら、ばあやが鏡とブラシを用意してくれた。皺が少ないばあやの手が支える鏡に映ったのは、まだ子供の私……。  ブラシを持った手が震えた。 「まだ具合が悪いのですか? ばあやがブラシをかけますね」  私が成人した18歳で屋敷を去ったばあやは、腰が曲がっていた。手ももっと皺だらけで、お母様の乳母をしていたお年寄りよ。でも軽い動きで私を抱き上げ、ベッドヘッドのクッションへ背を預ける。腰痛なんて気にしてないわ。やっぱり……若い時のばあや? 「お母様譲りの美しい黒髪ですから、大切にいたしましょう」 「ええ」  頷きながら、私は混乱していた。どういうこと? 私が21歳で殺されたのは夢なの? そうよね、じゃないと話がおかしいわ。大きくなった夢を見て起きたから、きっと勘違いしてしまったの。私はまだ6歳なんだもの。  お母様手作りのお人形が綺麗なのは、先月のお誕生日でいただいたばかりだから。ちゃんと記憶してるわ。混乱が収まるにつれ、私は体の力を抜いた。私より少しだけ冷たいばあやの手が、いつもより冷たく感じる。まだ熱が下がり切ってないのかしら。 「失礼……、おお! 体調はどうかな? 可愛い私の天使(レティシア)」  少し開いたままの扉から、お父様が顔を覗かせる。やっぱり若い。いえ、夢のお父様より若いだけじゃないわ。にこにこと笑顔で私に手を差し伸べる姿は、子供がいる父親には見えないくらい。私のお兄様でも通用するわね。 「まだ怠いのか。お医者様は熱が下がれば大丈夫だと言っていたが……どれ」  額に手を当てて、首をかしげて額を当てる。うふふ、昔から同じなんだから。私はもう赤ちゃんじゃないのに、生まれたばかりの弟と同じ扱いね。 「お父様、もう平気ですわ」  微笑んだ私は、身を震わせた。そこにいたのは――。 「レティシア、具合はどう?」  美しい天使のような外見の少年。このシルベスタ国の王太子にして、私の婚約者になる人……リュシアン・マルセル・ド・シルヴェストル。金髪碧眼の麗しさに惑わされたのは、夢の中の私。  これは悪夢の続きかしら。大切だったあなた、また私を殺しにきたの?
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