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「おーい、どうしたー? 谷口ー?」
ハッと我に返り、向かいに座る矢崎の顔を見た。不思議そうに俺の顔を見つめていた。
ここは予備校でもなく、自分は高校生でもない。そこはよく行く居酒屋だった。白昼夢——と言っても既に夜だ。夢心地でいたのはアルコールが回ったからだろうか。
「何浮かない顔してるの? 大丈夫?」
矢崎は眉をハの字にして俺の顔を覗き込む。頬はほんのり赤く染まっている。
蒸し暑い日が続く梅雨の晴れ間。今日は雲一つない晴天に恵まれ、太陽の日差しはこれまでになく厳しい一日だった。矢崎の提案で2人で納涼会をしようと居酒屋へやってきた。
「……大丈夫。今日も暑かったと思って」
「暑かったよねー。もう一歩も外に出たくなかったよ。ほら、とりあえず谷口もどんどん飲んで身体を冷やそう!」
矢崎はテーブルに置かれたジョッキを1つ、俺の前に差し出してきた。ほら持て、と言わんばかりにぐいぐい押してくる。
「おつまみも食べなよー。この唐揚げ美味しいし」
矢崎はいつの間にか3杯目のサワーとつまみを注文していた。枝豆を頬張りながら、どうした? と言っているように首を傾げている。
「よく飲むよな」
「暑いしねー喉乾いたし」
「よく食べるし」
「まあ、お腹空いてるし? ——なに、言いたいことあるならはっきり言いなよ」
ほれほれと、酒を勧めながら言葉を促す矢崎は、サラリーマンのオッサンにしか見えないがそれは黙っておく。
「本当に暑くて滅入ってるんだよ。夏、苦手なんだ」
「まあ……谷口は夏って似合わないよね。どちらかというと冬なイメージかな」
「矢崎は夏だな」
「自分でもそう思う。夏好きだし。夏の青空が好きなんだ。それに海とかプールとかかき氷とか」
指折り数えながら、夏の楽しみを1つずつ言っていく矢崎は、本当に楽しそうで夏が好きなんだと伝わってくる。
「谷口はさ、夏、好きじゃないかもしれないけど、夏の思い出作りたいな」
「例えば?」
「そうだなあ……お祭りには行きたい。あと花火大会? きっと綺麗だよ」
ニコニコと笑う矢崎を見て、俺はあの夏を思い出す。高校3年の夏。予備校の窓から眺めていた男女4人組の姿が思い出される。
あっち側の世界へ、まさか自分が回ることになるとは思いもしなかった。それが嫌なわけではない。ただ、そんな身の振り方が出来るとは微塵も思っていなかったから。
「花火大会に行こうか」
「いいの!? やったー楽しみ!!」
「俺も、楽しみ」
矢崎は俺の返事を聞いて満足そうに頷いていた。人も多いだろうし蒸し暑いだろう。
それでも矢崎となら楽しいかもしれない。いや、きっと楽しいはずだ。今も、こんな何気ない一瞬が幸せで溢れているのだから。
コンコンと木枠を叩く音がして、2人揃って顔を上げる。そこには居酒屋の店員がアイス皿を片手に持ち爽やかな笑顔で立っていた。
「失礼しまーす。本日カップル様限定でデザートのサービスを行っております。お召し上がりください」
居酒屋の店員はテーブル脇にアイス皿を置き、「ごゆっくりお過ごしください」と次のテーブルへと歩いていった。残されたアイス皿を2人で見つめ合う。バニラアイスにミントの葉を乗せ、ウエハース付きの大サービスだ……と自分は思う。
矢崎を見てみると、豆鉄砲でも食らったようななんとも言えない表情でアイスと俺を見比べていた。そして急に顔を覆って笑い出した。
俺は何が何だかわからず、そんな矢崎の行動に面食らう。
「矢崎……食い過ぎたか」
「失礼な」
「じゃあどうしたんだよ」
「あの店員さん、わたし達見てカップルだと思ったんだって。なんかアイス見てたらじわじわと込み上げてくるものがありまして」
そこまで言うと、矢崎はキャーキャー騒ぎ出した。酒が入るといつも以上にテンションが高くなるが、今日はまた一段と高い。
「良かったな」
「谷口は、嬉しくないの? わたし達がそう見えてること」
「……俺らがわかってればいいと思うから、別に」
少しの沈黙。俺は何かやらかしたか、と不安になり矢崎の顔を窺い見た。そこには不機嫌な顔などせず、ふわりと——花が綻ぶような——そんな顔で微笑む矢崎がいた。
その顔に、一瞬目を奪われた。いつも豪快に屈託なく笑う矢崎とは違う、柔和な微笑みだった。
「そうだね、他人より自分たちが幸せならいいよね。あーもーほんと今幸せ!」
そう言ってにっこりと微笑む矢崎の顔をまともに見ることが出来ず、俺は視線を彷徨わせ俯いた。矢崎はずっと「幸せだなー花火大会楽しみだなー」と連呼し続けている。
俺の気など知るよしもないだろうな……。
だから俺は一歩踏み出してみる。矢崎が想像もしていないだろう、この一歩を。
「矢崎」
「なんだい、谷口くん」
ほろ酔い加減の矢崎は終始笑顔だ。だから、少しだけこの笑顔を引き剥がしてみよう。
「夏休み、泊まりで出掛けようか。二人で。少しだけ遠出して」
「いいねー泊まり! どこに行こうか? 二人ならどこでも楽しい……よ……え?」
矢崎はしばらくして言葉の意味を理解したのだろう。ぽかんと口を開けて俺の顔を見つめている。俺はおかしくなって声を上げて笑った。
「……からかってるでしょ」
「いや、本気」
「……本当に、泊まりで行っていいの?」
「いいよ」
「もう、やっぱやめた、はナシだよ?」
「泊まりで行こう、旅行」
——初めて言葉を交わしたあの夏の日は、俺にとって青春の1ページ目だったんだ。
2人で沢山の思い出を作ろう。何気ない日々でも、特別な日でも。一緒に過ごした時間は、全てかけがえのないものだから。
End.
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