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とたんにあたりに緊張が走る。
「ヤバい! スズメバチだ」
「早く逃げないと!」
俺はにやりと口角を上げる。……いや蝶の俺には口角などないので、あくまでそういった気分だ。
「待て。俺に任せておけ」
周りのやつらの視線を一斉に集める。今こそ、俺が本領発揮するべき時が来た。
「君らは、ここから少し離れて安全な場所で待機しといたらいい」
そそくさと甲虫や蝶たちが離れるのを確認して、俺は臨戦態勢に入る。その間も低周波をとどろかせて近づいてくるスズメバチ。
俺はやつがクヌギの幹に到達したかしないかの時点で、大きく翅を動かしてやった。見てろよ、俺が本気を出すとスズメバチでさえ弾き飛ばすほどなのだ。
くそっ、さすがに大型のスズメバチ。一度では無理だったか。だが俺は日本代表のプライドをかけて再び翅を動かす。羽ばたきの音が聞こえるほどに。
今度はうまくいったようだ。悲鳴を上げる間もなく、俺の巻き上げる爆風によってスズメバチが飛ばされていく。ちょっとやり過ぎたと反省したものの、弱い虫たちから守ってやった満足感が俺を占める。
一時避難していた虫たちが戻ってくる。
「ありがとうございました!」
「さすがオオムラサキさん」
「あなたは、我々蝶目の誇りです」
賞賛の言葉の嵐に、気をよくする俺。だが最後に声をかけてきたゴマダラチョウだけは違った。
「大丈夫? 翅が破れてるよ……」
さっきまで脳内物質が分泌されていたのだろう。痛みを感じることのなかった俺は、とたんに翅の先に違和感を覚える。
俺は少々無理をして答えた。
「大丈夫だよ。こんなのかすり傷だ」
だが本当は、俺は悲しかった。この傷のせいで、俺はもう女子の飛翔に追いつくことはできないだろう。
一説によると、オオムラサキのメスが複雑な飛翔をするのは、それについていける強いオスを求めているからだという。わざと複雑に飛んで、ついていけるオスにだけ身体を許すのだ。そうなったら、傷ついた俺はもうどうあがいたって無理だ。
「ごめんね、オオムラサキくん」
ゴマダラチョウが俺に寄り添って申し訳なさそうに言った。ゴマダラチョウとは旧知の仲だ。幼虫の頃はよく一緒にエノキの葉を食べていた。カメムシなどから守ってやったこともある。それに、今でこそ姿かたちは異なるが、幼虫の頃はよく似た顔つきをしていた。成虫になった今、俺のような華やかさはないものの、黒いシックな翅に白いまだら模様が似合っている。
幼馴染だからか、俺はゴマダラチョウにだけは気を許している。
「いいよ。こうして日本代表の面子も保たれたから」
「でも。……あっ」
ゴマダラチョウが何かをとらえたようだ。またスズメバチかと俺も身構える。だが違った。茶色の翅に白い斑点のその美しい姿は……。
「オオムラサキくんだったら、きっとカップルになれるよ!」
「おう! いってくる!」
ゴマダラチョウの声援を受けて、俺は最後の力を振り絞って彼女を追いかけた。
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