処暑

1/1
前へ
/27ページ
次へ

処暑

 自慢の真っ赤なボディを見せつけるように飛び回る。  人間たちは、自由気ままに飛び回る俺たちの姿を見て秋を感じるようだ。「赤とんぼだ!」と指を指して叫びながら。  だが俺は人間たちの知識のなさに少々困っている。なぜなら俺は赤とんぼではないからだ。  俺はショウジョウトンボ。大切なことなので、もう一度言おう。いわゆる赤とんぼといわれるアキアカネやナツアカネよりも赤く美しいショウジョウトンボ。この機会に彼らとは属も異なるということを覚えておいてほしい。アキアカネやナツアカネはアカネ属、俺はショウジョウトンボ属。俺たちが脚まで赤くなるのに対してアカネ属は脚までは赤くならない。絶対にアカネ属よりも俺たちの方がかっこいい。それなのに人間たちときたら、一緒くたにしやがって。全くやれやれだ。  ほかにも腑に落ちないことがある。  どうして人間たちは俺が草の先などに止まって休んでいると、こぞって顔の前で指先をくるくる回すのだろう。 「ほら、赤とんぼの顔の前で指を回してごらん。目が回って捕まえやすくなるよ」  今も、親にそう促された子どもが俺の顔の前でくるくるし始めた。……だから俺は赤とんぼではなくてショウジョウトンボだってば。  俺もそっとその場から飛び去ればいいものを、つい目の前で動くものを観察してしまうからいけない。それが人間たちに誤解される理由になっているのだが。  真っ赤な美しいボディも自慢だが、目がたくさんあることも俺の自慢だ。そのひとつひとつの目は別々のものを見ていて、それらが脳内でひとつの映像として認識されるのだ。どうだ、すごいだろ。  ただ弱点があって、それは視力が著しく悪いことだ。要するに俺は動体視力がものすごく優れているが、その一方で目の前で動くものが餌なのか何のかを見分けることが苦手なのだ。だから人間がくるくるさせる指先をじっと見続けてしまうというわけだ。そしてその動きに集中しすぎるあまり、逃げることにおろそかになってしまう。その一連の動作が「目を回している」という誤解を生んでいるのだ。 「赤とんぼ、顔がくるくる動いてるよ。目が回ってるのかなあ」  子どものつぶやきで我に返った。だから俺は赤とんぼではない。いやいや、今はそんなことにツッコミを入れている場合ではない。俺が優雅に空に飛び立つと、親子の残念そうな声が聞こえた。 「ああ、惜しい! もうちょっとだったのに……」  再び俺は大空を飛び回る。田んぼが広がるのどかな里山に真っ赤な俺のボディがさぞかし映えていることだろう。写真を撮ってもいいんだぞ。インスタ映えすること間違いなしだ。  ああそうか、人間たちは俺の飛翔スピードに追いつけないのか。よし、サービスだ。俺は稲の穂先に止まった。これぞ日本の美しい風景。日本生まれでよかったと心から思う。そして人間たちよ、どうかこれ以上自然を破壊して俺たちの住む場所を奪わないでほしい。  環境問題にも精通しているショウジョウトンボの俺。ボディが美しいだけでなく頭脳も明晰なのだ。  悦に入っていた俺は、少々油断してしまったようだ。いきなり腹の先っぽをつかまれた。 「やったー! 捕まえた!」  さっきの子どもか? まさかリベンジしにきたというのか? しつこい子どもだ。  一瞬俺は焦ってしまう。だがすぐに落ち着きを取り戻して、腹を曲げた。そして、がぶり。子どもの指先を噛んでやった。 「痛い!」  びっくりした子どもの指が離れる。親が駆け寄って心配しているようだが、大したことはないだろう。強い顎も俺の自慢のひとつだが、スズメバチと対等にやり合うという最強のオニヤンマさんほどではない。オニヤンマさんに比べたら俺なんて甘噛み程度だ。  さあ、ひと通り人間たちと戯れたところでお遊びもおしまい。俺は本気モードになってスイートハニーを見つけるべく、飛翔のスピードを上げる。  俺たちの熱い夏は始まったばかりだ。 <了>
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加