最終章【どうしようもなく絶望的で、だからこそ希望に満ちた世界】

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 矢車は生まれてこの方……ただの一度も、うなじを隠そうとしたことがない。  そんな矢車は、松葉瀬の指摘を受けて。  露骨に、眉を寄せた。 「……センパイ。それ、わざと言ってますぅ?」 「は? 何だよその顔。意味分かんねェわ」 「うっわ、絶対わざとだ。絞首刑ですぅ」  麺を箸で挟み、矢車はジロリと松葉瀬を睨む。  そして……首を隠している理由を、不満げに伝えた。 「――ボクのうなじ、センパイに咬まれたおかげでえぐい感じになってるんですよぉ?」  ――それは、番であるアルファが死ぬまで二度と消えない……オメガ特有の傷だ。  けれど、矢車は本心から不満なわけではない。  その証拠に……矢車はわざと『せい』ではなく『おかげ』と言った。  可愛げのない矢車が見せた些細な可愛げに、松葉瀬は当然気付いている。  だからこそ松葉瀬は、普段と変わらない態度で矢車に応戦した。 「もう誰かに咬まれる心配はねェってことだろ。むしろ出せよ、ドアホ。そして誇れ」 「センパイの歪みまくった独占欲、正直どうかと思いまぁす」 「どこが独占欲だ、ボケ。脳みそ茹だってるんじゃねェのか」  わざとらしいふくれっ面を浮かべながら、矢車は尖った唇でラーメンを食べ進める。  ほどなくして、矢車もラーメンを完食。  口元をティッシュで拭いながら、矢車は表情を変えた。 「……でもぉ? ここで『財布は出さなくていいぜ』って言ってくれるアルファ様の咬み痕ならぁ? 惜しげもなく晒しちゃうかもしれないですねぇ?」 「安い挑発してんじゃねェよ、ちんちくりん」  上目遣いで松葉瀬を見つめた後、矢車がおもむろに髪をかき上げる。  しかし、そんな見え透いた策略はどこ吹く風。  松葉瀬は椅子から立ち上がり、サッサと歩き出す。 「割り勘な」 「何でっ!」 「冗談だ、馬鹿」  歩き始めた松葉瀬が、一度テーブルへ戻る。  無造作に置かれた伝票を手にし、松葉瀬は今度こそ矢車を追いて歩き始めた。  その後ろを、矢車が慌てて追いかける。 「やだぁ、ボクの恋人最高にカッコいいですぅ! かっこよすぎてぇ? 逆に気持ち悪いのでとぉっても絶望的ですっ!」 「ほざけブス。……あと、男に二言はねェだろォが。そのダセェチョーカー外せ」 「あれぇ? もしかして……咬み痕隠してるの拗ねてますぅ?」 「テメェの頭はピーマンか?」  会計を済ませた松葉瀬が店の外に出ると、後ろを歩いていた矢車は隣に並ぶ。  そのまま、松葉瀬の腕にまとわりついた。 「ねぇ、センパイ? 居酒屋にするぅ? バーにするぅ? それとも……?」  蠱惑的に囁き、もう一度上目遣いを行使してきた矢車を……松葉瀬はジッと見下ろす。  ……そして、寸分の迷い無く……矢車の額を指で弾いた。 「痛いっ!」  デコピンをされた矢車は、短い悲鳴を上げる。  情けない矢車を見下ろしたまま、今度は指先で額をグリグリと押す。 「う、うあぁ……? センパイ? いったい、何の――」 「コレ」 「……はい?」  人差し指を矢車の額に押し付けたまま、松葉瀬がもう一度答える。 「だから……コレって言ってんだろォが」  松葉瀬の指が、矢車の額から離された。  矢車は松葉瀬の腕にまとわりついたまま、俯く。  そして小さな声で「はぁい」とだけ、返事をした。
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