3綿菓子ちゃん、王子に戸惑う

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3綿菓子ちゃん、王子に戸惑う

 和花子は役所でパソコンのキーを叩きながら、前夜のことを思い返していた。  思い通りにいったといえば、いった。  顔を見つめるふりをして胸を押しつけたら、ベッドに行く余裕もなくして、その場で襲いかかってきた。  ――かわいかった……。  和花子の口元がほころぶ。  ただ、解せないのは別れ際のセリフだ。和花子としゃべりたいから、帰宅とは違う路線に乗ったようなことを言っていた。  これだと、セックスする前から、和花子に目をつけていたということになる。よりによって、愛想の悪いアラサー女に、だ。となると、自分になびかない女が珍しかったのか、そんな女の存在が許せなかったのか。  昨晩、三回して和花子は美津雄が手練れだと確信していた。  美津雄は美形なのに体は体育会系でセックスが上手い。今まで女の子を取っ替え引っ替えしてきたはずだ。  ――本気になってはいけない。  それは自分の心を守るために必要なことだ。二十九にもなると、このくらいの知恵はついている。  たとえセフレであったとしても、あんな美形年下くんのセフレになれるなんて光栄だ。  しかも、気を使って高級ホテルに泊まろうとしてくれている。その心意気だけで和花子はもう満腹だ。本当に、そんなところに泊まる必要なんてない。  そこで、やんわりと安いホテルにしようと提案したら、和花子の部屋に泊まりたいと言い出した。家になんか来られたらピンチだ。自分が張りぼてなのがバレてしまう。狭くてぼろいマンションに住んで、一時間半かけないと美人になれないアラサー、それが自分なのだ。  ――このまま騙し続けなければ……!  そこでチャイムが鳴った。十二時だ。十一万円を返してもらったので節約生活は昨日で終わり、今日は食堂に行ける。  史織がエビフライをかじっていたので、その隣に焼き魚定食のトレイを置いて座ると、悲しげな視線を向けられた。 「今日、おばちゃんが休みなのに、うっかりエビフライ定食を取っちゃったんだよね。おばちゃんの腕あってこそのエビフライと改めて思った」  史織は相変わらず美しい顔で、どうでもいいことをつぶやいた。  ――でも、十人並みの私だって……! 「実は、私、彼氏……のようなものができたんだ」 「ええ? どこで?」 「先週金曜日の合コンで、お持ち帰りしちゃって」  少し見栄を張って自分が持ち帰ったことにした和花子に、史織は尊敬の眼差しを送った。 「さすが、姫様! 気に入ったらすぐものにしちゃうんだね!」  ――心は置いといて体はまあ、ものにしたと言えよう。 「まあね」と和花子はふわふわのカールをかき上げた。 「私、ずっと姫ちゃんの社交力と実行力、憧れだったんだ。その彼は絶対、見る目あると思う」  史織が我がことのように喜んでくれた。うれしい……が、和花子は自分がずるい女のように思えてくる。実のところはセフレなのだ。 「あ、ありがと」 「彼、どんな仕事してるの?」 「仕事っていうか海苔屋さん」 「何ていう海苔屋?」 「藤山海苔店……の藤山さん」 「え!? もしかして社長の息子さん!?」  そのとき、史織の目が見開かれた。  ――私の彼(のようなひと)が御曹司だなんて、まあ、驚くよな。  だが、史織が驚いているのはそこではなかった。 「海苔王子……」 「は?」 「私、藤山海苔店の商品、好きなんだよね。エビフライはここのおばちゃん、味付け海苔とふりかけは藤山海苔店」  そう言いながら、史織がスマートフォンをいじっている。 「ほら、これ」  そのネットニュースには美津雄の写真と『海苔王子』という大きな字が踊っていた。  ――やだ、笑顔、爽やかすぎ! あとで壁紙に……じゃなくて……。 「『海苔王子』として女性客の心を鷲掴み……藤山海苔店ジュニアの手腕やいかに……って、ええー!?」  記事を食い入るように読んでいると、史織が興奮した面持ちでこう告げてきた。 「朝の情報番組にも出てたけど、海苔王子って呼ばれていて、とにかく女性からの人気がすごいんだよ!」  ――王子? 「……まじか」 「元々、藤山海苔店はデパートにも出店してる優良企業だしね」 「道理で……金離れがいいと思った……」  ――中小企業の跡取りだと思っていたら、大企業の跡取りだったのか……。 「その王子を持ち帰ったわけー!?」  史織の瞳に宿る羨望の色がさらに深まり、和花子は肝を冷やす。見栄を張って彼氏であるかのように言ってしまった。二晩過ごしただけだというのに――。  次に会うのは金曜夜。和花子は下着を新調して臨んだ。会社帰りなので華美な服装はできないが、一番高級なMYAUMYAUの薄ピンクのスーツで臨んだ。  王妃(おくさん)になれなくても王子にふさわしい愛妾(セフレ)でありたいものだ。待ち合わせはまたしてもホテル、しかも今回はレストランまで指定されて二十三階にある展望のいい高級フレンチ。この『アペティサン』という店はフレンチ界でも有名だと、グルメな史織が言っていた。  ――こういうデートより、美津雄を早く食べちゃいたいんだけどな。  メニューに目を落とすと、一万円以上のコースしかない。和花子は笑いそうになる。 「バブル期のドラマでこういうのあったよね? 部屋取ってるとか言ってルームキーをテーブルに置いたりして」 「今はカードだけどね」  美津雄がルームカードをスッとテーブルに出してきた。  ――ドラマかー!  和花子が最も安い一万円のコースを頼むと、美津雄は「なぜ遠慮するのか」と不満顔だ。 「いや、だって、このお金、あなたの部下たちが汗水垂らして作り出したんでしょう?」  美津雄がまたアメリカのアニメキャラみたいになった。まん丸お目々に睫毛がびょんびょん。ストラップにして持ち歩きたいかわいさがある。 「それもそうだね」と美津雄がうつむいたので、和花子は後悔した。テンションが下がるような余計なことを言ってしまったと――。  そもそも、働いているのは部下だけではないだろう。彼だって海苔王子なんてあだ名をつけられ、自身をメディアに晒して頑張っているのだ。  和花子は日夜、役所でこき使われている庶民だから、ついこういう発想になってしまう。これでは愛妾どころか、王子と侍女、いや王子と町娘くらいの差がついたままである。 「なら、和花子の部屋で手料理にしよう」  顔を上げて、美津雄がにっこり微笑んだ。 「いや、こんな高級なものを食べてるひとに私の手作りなんて恐ろしくて食べさせられないよ」  和花子は顔の前で左右に手を振りながら、そう返す。 「なら、断腸の思いで部下を犠牲に……」  美津雄が冗談ぽく眉をひそめて言ってくる。  なので、和花子はホッとして、「もーやめてよー」と、笑うことができた。  すると、美津雄が急に真面目な表情になった。 「正直、どんなところに海苔が役立つかわからないから、和食以外を積極的に食べてるんだ」  ――なんて立派な!  和花子は、史織に海苔王子のことを聞いてから、今日までにいろいろ調べた。美津雄は銀行で三年間修行したあと家業に入るなり、新商品を開発し、ネット事業を拡大させて、年商も株価も上げている。もちろん、その成功は彼の顔に惹かれたファンによるところも大きいのだろうが――。  そんなことを考えていたら目の前に前菜がサーブされた。野菜やエビ、ウニ、サーモンなどで調理された色とりどりのフィンガーフードが大皿に並べられていてお花畑のようだ。 「きれい!」  思わずスマートフォンを取り出してから気づいた。ここは白壁に黄金の装飾、大きな花瓶に、センスのいいシャンデリアと、貴族の邸宅みたいな内装で、周りはお偉いさんの接待か、中年のおじさんと若い恋人、みたいな客層だ。 「……ここで写真は、まずいよね……」  和花子がスマートフォンを引っ込めようとしたら、美津雄が微笑を湛え、こんなことを言ってくる。 「そんなことないよ。参考にしたいから、あとで画像ちょうだい」  その微笑がちょっと邪悪に感じられたが、多分、気のせいだ。 「そっか。新商品の参考になるかもしれないもんね!」  和花子は前菜からデザートまで、はりきって撮った。あとでSNSにアップするつもりだ。グルメな史織が喜ぶだろう。  美津雄は和花子が楽しそうに撮影するたびに、にっこりと微笑んでいた。 「あ、美津……雄、すご……!」  食後、二人はこれまた貴族の邸宅みたいなスイートルームの、やたら広いベッドの上で絡まり合っていた。四つん這いになった和花子の後ろから美津雄が性を穿ってくる。そうしながらも彼は両乳房を大きな手で覆い、指先でその頂点をぐりぐりとしていた。  こんな体勢なのに胸まで愛撫してもらえるなんて和花子は初めてで、蕩けそうだ。肘で体を支えられなくなって腕を投げ出し、頰をシーツにつけた。声も止まらなくなっている。 「や、こんなことされたら、一人でいっちゃう……」 「いきそうになったら教えて。俺、和花子といっしょがいい」 「ごめ……も、駄目」  前カレのときは、何度抽挿されても、いけないときが多かった。だが、この手練れにかかると和花子はすぐに達してしまいそうになる。これではまるで早漏の男みたいだと内心、苦笑した。 「あ……んんん!」  和花子は呆気なくいってしまったが、彼がそのタイミングに合わせてくれた。  美津雄が肩で息をしながら、和花子の頰にキスしてくるものだから和花子の心は震える。頰へのキスは口よりも愛情が感じられた。だから和花子はうれしくなり、彼のほうに顔を向けて微笑んだ。  美津雄が目を見張ったあと、照れたように微笑み返してくる。  ――ああ、幸せ。たとえ、一時だとしても。  和花子が幸せに酔ったのもつかの間、美津雄がまた例の提案をしてきた。 「ねえ、明後日から来週土曜日まで出張なんだけど、そのあと、和花子の家に行きたいな」  和花子は冷や水を浴びせられた気分になる。  一般的に男が一人暮らしの女の家に上がりたがるとしたら、それはホテル代を浮かせようとしてというのが大きいが美津雄は明らかに違う。安いホテルを拒否するぐらいだから節約する気は全くといっていいほど、ない。  ――なら、どうしてこんなに来たがるんだ?
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