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5綿菓子ちゃん、ピンチ
しばらく美津雄と会えないのかと、和花子は冴えない顔でメールの処理をしていた。そこに、美津雄からのメールが届く。勤務時間中は、美津雄はスマートフォンにメッセージを送るのではなく、役所のほうにメールを送ってくるのだ。
『ドライブがてら出掛けよう』
――来たー!
さすがファンと浮名を流しまくった王子。(決めつけ)
最早、ホテルでのセックスだけではご満足いただけないようだ。だが、公園や海などオープンスペースでいたすのには抵抗がある。動物園……はどこでやるのかよくわからないし、遊園地なら、観覧車など、まだ密室がありそうだ。いや、どの選択をしても結局カーセックスがしたいだけなのかもしれない。
和花子は、美津雄と抱き合うだけで幸せなのに、それだけでは美津雄を満足させられないのかと思うと悲しくなる。きっと、こうやってセックスが過激になった挙句に飽きて捨てられるのだろう。
そんな思いを振り切るために和花子はぶるぶると頭を振って、遊園地がいいと返信した。
昼休みに食堂で史織の横に座ると、史織が身を乗り出してくる。
「ちょっと、ちょっとー、御曹司の彼、アペティサン連れて行ってくれたんだー、すごい」
「いや、私はそれよりむしろ彼を食べちゃいたかったんだけどぉ」と、視線を天井に向けて冗談ぽく言うと、「さすが肉食ー」と笑われた。
「私の彼も、アペティサンはいい店だって言ってた」
そういえば史織の彼氏は飲食店オーナーなのだった。元々グルメな史織とお似合いである。つきあい始めた当初、和花子は、史織が美人だから……などといじけていたが、結局ひとは自分と合うひとと巡り会ったときにつきあうのだ。
――まあ、私の場合、相性がいいのは体だけだけどね。
「彼(的存在)、和食以外で海苔が使えないかとか、いろんな店で食べながら考えてるみたい」
「さすが、おそ梅海苔缶を作った王子だわ。いつも新しいことをしようとされているわけね」
なぜか史織が感心している。
「おそ梅?」
「知らないの? 大ヒットアニメで、今度また映画もやるんだよ」
「さすが広報課、アニメまでチェックしてるんだー」
すると、史織が信じられないという表情で顔をずずいと近づけてきた。
「おそ梅一族は、大人に人気のアニメ、な、の、よ!」
史織がスマートフォンを取り出した。画面に出たのは藤山海苔店の通販サイトだ。『おそ梅海苔缶』という同じような男子の顔イラスト入り海苔缶に軒並み『sold out』の文字が並んでいる。
「この冴えない男の子の海苔缶がみんな欲しいわけ?」
呆れて和花子が笑うと、史織が般若のような顔になった。
「……もしかして、ファン? 欲しいの?」
史織がコクコクと頷く。
「わかった、頼んでみる」
史織の顔が急に明るくなった。
「お礼にいいこと教えてあげる」
次に史織が開いたのは藤山海苔店のSNS『KAOブック』だった。美津雄の写真が載っている。彼が『中のひと』なのだろう。
「なにこれ、彼(かもしれない)が、どんな仕事してるのか、まるわかり!」
ハムスターの回し車の巨大版みたいなものが写っており、『海苔の種付けの時期です』と書いてある。よくわからないが、どうも九月に海苔作りが始まるようだ。
「それより、ここ見てよ」
『7528人が「いいね!」と言っています』とある。
「これって『TSUBUYAKI』でいうところのフォロワー数的な?」
「うん、まあ、それに近い……っていうか、『KAOブック』で、この数は芸能人並みよ!」
「そっか……」
コメントも『王子自らご視察なんてステキ♡』などといったファンからの黄色い声で埋め尽くされていた。その巨大回し車の背景をよく見たら、若いのからおばちゃんまでの女の亡霊が……じゃなくて女たちが遠巻きに見ている姿が写っている。
――王子っつーか、アイドルだよね……。
美津雄が急に遠い存在のように感じられ、寂しい気持ちになってきた。
それなのに、「今、彼にメールで頼んでよ」と、史織が圧をかけてくる。仕方ないので、スマートフォンを取り出し、『同期がおそ梅一族というアニメのファンなので、もし余っている海苔缶があったら、ひとつもらえませんでしょうか』と、メッセージを送った。
――これだから美人は~!
史織は彼氏が彼女の頼みを聞いてくれるのは当たり前だと思っているのだ。いや、和花子とて、美津雄が本当に彼氏なら、そう思ったことだろう。
一時間後、仕事中にスマートフォンがバイブしたので、ちらっと画面を見たら『まかせて』という返信だった。
心の中のささくれが、一気に羽毛へと変化した。心が温まる。
――我ながら単純……。
優しい言葉をひとつもらっただけで、カーセックスだって頑張れる気がしてくる和花子だ。
そして金曜夜、和花子は相変わらず合コンの予定がある。
正直、参加したいと思えないのだが、かといって合コン仲間に『こないだのアイドル顔の御曹司のセフレになったので合コンを卒業しま~す』と言うわけにもいかず、幹事に指定された創作和食店に、のこのことやって来た。今日の幹事は海苔屋のときと同じ彩香だ。二十代最後のクリスマスは何がなんでも彼氏と過ごすという決意のもと、月一、二回幹事をしてくれている。
「ちょっと~、先週、結構いい感じの合コンだったのに、姫ちゃん来れなくて残念だったね」
先週は美津雄との約束があり、和花子は合コンを休んだのだった。
「あー、ほんと残念」(棒読み)
全く残念ではないが、合コン仲間としては残念がらねばなるまい。
彩香とテーブルに着くなり、海苔屋合コンの落武者が現れ、度肝を抜かれる。
「こないだはどうも」
谷口に挨拶され、和花子は心臓が止まるかと思った。
「今日は出版関係じゃなかったっけ?」
クキッと首を回して、小声で隣の彩香に問う。
「実は谷口さん、小説家という一面もあるんだよ! びっくりさせようとして内緒にしてたんだ」
――びっくりとか、マジいらないからー!
と、そのとき谷口の後ろから、わらわらと社会人と思えないカジュアルな服を着た男ども四人が現れた。中に一人、やや顔のいい男がいた。彼に視線をロックオンした彩香がうれしそうに囁いてくる。
「姫ちゃんが谷口さんに、また合コンしようって言ってくれたおかげよ~」
――自分で撒いた種かー!
確かに、言った。でもそれは美津雄とああなる一時間前の話だ。
――これはまずい。愛妾が婚活してるというのは王子の気に障るのでは……!
こうなったら、秘技『欠員補充で連れて来られました』を発動するしかあるまい。
和花子は立ち上がり、「谷口さん、隣いいですか」と、谷口の隣の席をキープした。
「どうぞ、どうぞ」と、谷口が、ひとのよさそうな笑みを浮かべた。
「谷口さんが早速、合コンを開いてくれたので、みんな、喜んでます。ありがとうございました」
――この合コンはみんなの幸せのためであって、決して自分のためではないアピール。
「いやいや、喜んでもらえてうれしいよ」
「恥ずかしながら、金曜夜なのに予定なくて暇だなーって思っていたところだったので、今日たまたま空きが出て、私も誘ってもらえてラッキーでした」
「あ、そうなんだ。藤山、浜回りに行っちゃったもんね」
――ん!?
和花子は固まった。これは喜ぶべきなのか青ざめるべきなのかわからない。同業者の先輩に和花子のことを隠していないという点で喜びに一票。合コンに来たのがばれるのが時間の問題という点で青ざめに一票。
和花子が放心していると、谷口がこう慰めてくれた。
「でも寂しがらなくて大丈夫だよ。もうすぐ来るから」
そのとき、背後からあの凛々しい声が聞こえてきた。
「谷口さん、呼んでくださってありがとうございます」
和花子は括目して振り返った。見たくて会いたくてたまらなかった、あのきれいな顔がそこにある。
だが、美津雄は和花子と視線を合わせなかった。
彩香が「あ、藤山さん♡」と、黄色い声を出している。
「情報誌の編集さんもいらっしゃると聞いて宣伝しに来てしまいました。合コン、お楽しみのところすみません。お詫びに、もしよかったらこれ」
美津雄が、おそ梅海苔缶を配り始めると、「これ即完売したんでしょ!」「うちも早めに付録に付ければ良かった!」と出版関係の男性たちは阿鼻叫喚だ。
「藤山みたいに進取の気性があるヤツがこの業界を変えていくんじゃないかって期待しているんですよ」
谷口が我がことのようにうれしそうだ。
――谷口さん、つくづくいいひとだな……でも今はそれが恨めしい……。
「この海苔缶紹介したら、藤山さん、うちの雑誌に顔出ししてくれます?」
雑誌編集者にそう言われて美津雄は爽やかな笑顔で名刺を差し出した。
「ぜひぜひ。今日も新たなコラボ企画の打ち合わせで、出張を切り上げて東京に戻ったとこなんです。宣伝のためならなんでもやりますよ」
その男性編集者は名刺入れから自分の名刺を出しながらも、美津雄の顔をじっと見つめた。
「やべー、やっぱ美形! 王子って呼ばれるのわかりますよ! 今度ぜひインタビューお願いします」
「王子とか勘弁して下さい。所詮、海苔屋の倅ですよ」
そのとき美津雄が浮かべた苦笑が、女たちを虜にした。
美津雄が一人一人の前に海苔缶を置いていく。そのたびに女性たちはうっとりと彼を見上げる。とうとう、ラス一、和花子の手元に海苔缶が置かれたそのとき、美津雄は背を屈め、耳元でこう囁いた。
「雌羊がふらふらしているので、回収しに来ました」
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