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気配が遠ざかるのを確認して、ふっと息を吐く。
自分の机にある既に処理済みの書類を手に取って、テーブルの上に飾った秋桜を彼女から見えにくい位置へ移動させた。
事前に調べていた内容に、秋桜の記述はなかった筈だ。
やれやれ、と息を吐いて椅子に腰かける。
一気に疲れが襲ってきて両眼を塞ぐように片手で覆った。
暗闇と静寂に満ちた事務所の中は温かい。
「―――……『暖かい部屋』を用意するだけでは駄目なんですね、師匠」
女性とはままならないものです、と苦く笑えばタイミングを見計らったように時計が時を告げる。
重量感のある音は二階建ての事務所内によく響く。
彼女が戻って来た時に突っかかられると面倒なので、出しっぱなしの大福にラップをかけておくことにする。
ついでに冷蔵庫に入れて、彼女が好きなおかずでも作ろうかと座った椅子から立ち上がった。
その時、背後に“慣れた”気配。
音が空気を震わせて私に『信』を問うた。
『あの子の両親、祖父母はどこぞ。ヒトの守護者も見当たらぬ』
古めかしい口調には責めるような色。
それがおかしくて口元が吊り上がっていくのを自覚した。
そっと手に持っていた扇で口元を隠す。
彼女がいる訳ではないが、この表情を見せるのは少々癪だった。
「――――……そんなもの、いませんよ」
とうにね、と自分の声が響いた。
彼女に聞かれるわけにはいかない『答え』であり『真実』だ。
向けられた質問に私は恐らく生涯、魂が溶け無に帰しても尚答えないだろう。
そう、決めている。
彼女に与えた食卓用の椅子の背をそっと撫ぜる。
温かい食事と寝床と壊れることのない平穏を与えると決めてから私は日々が愉しくて仕方ない。
「彼女を護るのは私だけで充分ですからね。さっさと輪廻転生、極楽浄土、ああ、後は天国でしたか? イイ所へ送り込んでおいたので無事といえば無事です」
『あの娘もひどいのに魅入られたものよのぅ…かわいそうに』
「どの口でそれを言うのですね。ふふ、いいではないですか。私が彼女を手に入れれば、あなた達は一番近い場所に居られるのですから」
終わり良ければ総て良し、そして『正しい道』から外れてもいません。
なにせ、死者は死者。
生者は生者。
それ以外は、それ以外――――…そう、何の問題もない。
遠くで、秋桜が風に揺れる音がする。
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