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ああ、つまらないことを思い出したなぁ……と目を伏せる。
手には淹れたての温かい緑茶。
目の前には美味しそうな栗大福と栗きんとん。
視界の端でコスモスが茜色に染め上げられて、凛と誇らしげにしているのが少しだけ憎らしい。
コトリ、と小さな音がして視線を正面へ向けると上司で経営者の美人が私を見ている。
眼鏡の奥にある綺麗な緑色の瞳がじぃっと私を見つめるので無意識に佇まいを直す。
薄く形のいい唇が音を発した。
「―――……何かありましたか。珍しく食が細いようですが」
疑問形ではないあたりが上司様だな、と思いながら自分の眉尻が下がるのが分かった。
一口、お茶を口に含むと熱く苦みと独特の香りが広がる。
「コスモスをみて思い出したんです。私、昔からくじ運がなくって残念賞ばっかりだったんですけど、人生で一度だけ『特賞』の金色を出したことがあって」
母と父に渡す手前まで話したんだけどそれ以上は言葉にならなかった。
部屋が穏やかで何処か侘しい茜色に染められているのを眺めていると、続きを促すように上司様が微笑む。
「それで?」
「面白くない話ですよ」
「構いません。聞いたのは私ですから」
それなら、まぁいいかと一度熱い液体を飲み下してから当時のことを話していく。
独り言に近い言葉が唇から滑り落ちて、事務所内の空気を揺らす。
お客様のいない事務所は平和で、静かだ。
「引き当てた温泉旅行を新婚旅行だって言って、両親に渡しました。こっそり、お年玉をお母さんの財布に入れて初日に怒られたけど、お礼も言われて……お土産に美味しいものをたくさん買って帰るからって言われて楽しみで」
二日目は今でも仲のいい女友達を家に呼んでお泊り会をした。
中学生だったから親がいない所で友達と過ごすのが特別で、嬉しくて。
夜更かしして、寝坊しかけました。と言いながら夕食のメニューを話すと呆れたような視線を頂戴した。
そうです、食い意地が張っているのは昔からです。
私の両親も食べるのが大好きで、と話していると話題を修正された。
「ええと、うん……それで寝坊して慌てて身支度をしていたんです。友達がテレビをつけた所で丁度、家の電話が鳴りました。忙しいのに!って思いながら取った電話の第一声は今でも覚えてます」
ここで言葉を区切る。
頭の中で再生される懐かしい実家の風景。
背後から聞こえるテレビのニュースキャスターの声。ヘリの音。
友達の悲鳴じみた声。
電話から聞こえる知らない男の人の事務的な言葉。
『江戸川さんのお嬢さんで間違いありませんか? こちら〇〇警察です。ご両親の死亡が確認されました』
出来るだけ声を低くして、声の抑揚を無くして、録音された音声みたいに話した言葉に目の前の上司は目を細めた。
口元に浮かんでいた微笑は消えている。
「それからは、あんまり覚えてなくて……気づいたら、一緒に居た友達が泣いていて、私はただ、立っていました。その友達が学校にも、その後かかってきた祖父母からの電話にも対応してくれて、気づいたら車の中にいて……霊安室に」
冷たくて薄暗くて何処までも陰気な部屋に両親が横たえられていた。
見覚えのある服と見覚えのあるバックと見覚えのない小さな真珠のようなものが三つ縦につなげられたネックレス。
「マザーオブパールっていう真珠貝を加工したペンダントでした。普通なら、衝撃や熱に弱いからダメになっていたらしいんですけど……奇跡的に無傷で」
「確か、此処で働き始めた初日に着けていましたね。丁寧に作られたのがよくわかる一品でした」
「はい。真珠より安いからお土産に丁度いいって買ってくれたんだと思います―――……子供のお守りにいいって話をしたら嬉しそうに選び始めたってお店の人が後で教えてくれました」
適温になったお茶を飲んで、じっと栗きんとんを見つめる。
私の好きなお店の栗きんとんなのに、手が伸びない。
「お守りじゃなくって、本人たちが無事に帰ってこないと意味がないのになって思いました。今でも時々思います」
無茶いうんじゃないの!って母には呆れられそうですけど、とそこまで話してずっと思っていたことを聞いてみることにした。
この『正し屋本舗』という特殊な仕事についてから、胸の奥に沈めていた疑問。
聞きにくくてずっと聞けなかった。
「須川さん。私の両親や祖父母が私に見えないのはどうしてですか」
怖い顔の幽霊は見える。
黒い靄が人型をした『穢れ』という負の感情や思想、名残りだって見える。
人間とは異なる不思議で可愛らしくて不気味で恐ろしい妖怪や妖と呼ばれるもの達も見える。
普通なら見えない、此処に勤めるまでは見えなかった存在が見えるようになったのに両親や祖父母といった会いたい人には一向に会えなくて、視えなくて。
「私のこと、嫌いになったんでしょうか。視られたくなくて出てこないんでしょうか―――…私が」
「いけませんよ、優君。それを言葉にしてはいけません」
「でも…ッ」
いつの間にか握り締めていた湯飲みが温くなっていた。
指先と足先が急に冷えていくのに、目頭や心臓の辺りが熱を持つという矛盾。
静かに私の言葉を止める彼の表情は酷く冷たくて見たことのないものだった。
「落ち着きなさい。私は君に『答え』を告げる気はありません。その必要もない」
「なん、でですか。私が、お客さんじゃないから?」
お金を払えば教えてもらえるのだろうか、と小さな希望を胸に上司を見ると何の感情もにじまない瞳に見据えられて体の芯が冷えていく。
「―――……そろそろ、夕食の準備に取り掛かってください。私は残っている仕事を片付けてしまいます。ああ、醤油が切れているので買ってくるように」
明確な答えが返ってくると思っていた矢先。
ポンっと目の前に放り投げられた長財布を思わず受け取っていた。
「え、ちょ、須川さん?! 人に財布を投げないでください! 色んな意味で怖いっ」
それはすいません、と優雅に微笑み立ち上がった上司様はソファに座る私を見下ろして、直ぐに視線を自分の机へ向けた。
手元にはいつの間に取り出したのか扇子が握られている。
「お腹がすきましたねぇ。久しぶりにすき焼きが食べたいので肉もついでに買ってきてください。ああ、その中のお金は全部使っても構いません。二十万で足りますか? 足りないなら、追加しますが」
なんかとんでもないことを言われたので慌てて私は立ち上がって栗きんとんを口の中に放り込む。
大福は夕食後に食べることにした。
立ち上がって文句を言いながら、玄関へ向かう。
こうなると須川さんが話してくれないのは学習済みだ。
長く勤めていればわかる筈だ、と自分に言い聞かせながら「いってきます」と叫んでピシャリと玄関の引き戸を閉める。
もやもやした想いを抱えつつ、自分の上司が改めて分からなくなった。
(私がお客さんだったら絶対に教えてくれてた……私以外には優しいし)
嫌われることをしたつもりはないんだけどな、と小さく呟いて晩御飯の為に私は商店街へ向かって走る。
悔しいから、最上級のお肉をいっぱい買ってやる!
二十万は使い切れないけどもこの位の小さな復讐は許して欲しい。
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