第一話「サイレンと焦燥」

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第一話「サイレンと焦燥」

 古州(こしゅう)郊外の荒野には、夕日を背に受けて長く伸びる影が三つ。桜子はこの影を見ると無性に安心するのであった。  桜子が退魔局に入局して一年が経とうとしているが、それでも未だに日々の哨戒任務の緊張には慣れなかった。 「今日もなーんもなかったですね」 「何も無い方がいいんだ。毎日戦闘なんて俺は御免だぞ」  桜子より前を歩くジークハルトと権藤琥珀は、桜子とは違って余裕があるようだった。彼ら三人は国際機関退魔局の局員である。権藤を班長とした一班で、今日は夕方の哨戒任務にあたっていた。 「桜子、黙りこくってどうしたよ」  ジークが振り返り桜子に話しかける。 「なんでもないよ。ただ、少し疲れたなって」 「分からなくもないけどな。このところ哨戒出たって全然魔物いないし、下手に戦闘するより疲れる」  ジークの言うように、このところ魔物の出現頻度はめっきり下がっていた。魔物の出現頻度は元々年々下がってはいるが、ここ最近は特に顕著で、最後の出現はいつだっただろうかと思案してしまうほどである。 「ジーク、敵がいるかもしれないから哨戒っていうのはするんだ。そういうものだ。諦めろ」  権藤は背を向けたままため息交じりにそう言った。どうやら権藤も、多少は参っているらしかった。  国際機関退魔局の主な職務は、その名の通り魔物の討伐である。魔物が現れるようになったのは、先の天津風国とフォーコ帝国の大戦の後からだ。退魔局の所在する古州地方は、天津風国の北方、フォーコ帝国の南方に位置する。かつての両国の血を血で洗うような凄惨な大戦の主戦場になった土地でもある。魔術至上主義の天津風国と、魔術に頼らない近代兵器の使用、普及、魔術の根絶を掲げたフォーコ帝国との互いの主義主張をかけた戦いはそれは熾烈な物であった。天津風国の大規模魔術とフォーコ帝国の技術の粋のぶつかり合いは、戦場の地形や、その地の気候すら変えてしまうほどのものであった。そのせいなのか、原因ははっきりしていないが、荒れた古州の郊外には魔物が出現するようになった。魔物といっても、無差別に人を襲う漆黒の異形を便宜上魔物と呼んでいるだけで、その正体は判然としない。しかしそれらは傷つくと後も残さず消えてしまう。どうやら獣やその類とは決定的に違う存在であることは間違いないらしかった。  終わることなどないとさえ思われていた大戦は、天津風の勝利に終わった。魔術の勝利である。天津風国はもとより大国であったが、それに対抗しうる勢力であった大国フォーコが倒れた今となっては、天津風国は世界の盟主も同然であった。魔術至上主義、反近代兵器を掲げる天津風国は、国際的に近代兵器の使用及び製造の禁止を言い渡したのであった。  国際機関退魔局は、国際機関と冠してこそいるが実質的には天津風国の支配下にある軍事組織である。もとは終戦後に魔物の討伐を名目に、北方にあった基地の名を退魔局と変えたことが発端である。だが、それ以上に退魔局の設立には政治的な思惑が絡んでいる。先のフォーコとの戦争で天津風とフォーコの間にあった国・亜魏(あぎ)はその主戦場となり、天津風は勝利こそしたもの亜魏の国土は焦土と化し魔物も出現する有様。いくら対フォーコの最前線基地とは言え、さんざん土地を荒らした天津風軍がそこに居座り続けることに関して亜魏をはじめ諸国からの反発は大きかった。そこで出た苦肉の策が退魔局である。あくまでも目的は魔物の討伐として、国際的組織にすることで天津風の軍であるという色を少しでも薄めようとした。他国にとってもそれは天津風一国の台頭をけん制するのや、他国の情勢を探るのに好都合であったのだ。そういった複雑な事情の中、局員たちはそれぞれの国からそれぞれの思いを抱いて退魔局へと来ている。それは桜子──竜崎桜子もまた例外ではなかった。  桜子は天津風国軍所属の軍人である。歳は今年で十八になる。軍人としては二年目を迎えるが、なりは軍人というよりは少女のそれであり、未だどこか頼りない。  局へ来て丸一年。一年前と変わらない状況に桜子は静かに焦っていた。だからといって、どうしたら打開できるのかわからない。そもそも、無策で局へ飛び込んだ自分が悪いのだということは、痛いほどに分かっている。  宿舎の狭い自室の、お世辞にも広いとは言えない備え付けのベッドの中。考え始めると止まらない。どうしたって嫌な方向へと考えてしまう。そんな桜子の思考を遮ったのは、静かな夜更けにはうるさ過ぎるほどのけたたましい警報の音だった。     「通常より強力な魔物の出現を察知した。確認できた数は一体だけだが、こちらの索敵にひっかかっていない可能性もある。念のため二班と三班で対処にあたってくれ。一班は局にて待機」  先ほどの警報を受けて広間に集合した局員たちは、指示を受けてそれぞれの行動に移った。待機を言い渡され広間に残された桜子たち一班は、三人そろって首をかしげる。  おかしい。確かに、夕方の哨戒では何もなかった。索敵魔術は街のはずれにある局を中心に展開されているが、哨戒任務ではその範囲よりさらに遠くまで足を運ぶ。それなのに、索敵魔術に引っかかるような近距離に近づくまで気が付かないなんてことがあるだろうか。  これまで魔物の出現源は特定されていないが、おおよその出現源は特定荒涼地帯とされ来た。特定荒涼地帯は、古戦場の中でも特に荒廃がひどく、草木も生えず、人や獣も一切なく、ただ荒野が広がるだけとなった地域である。古州の街からは距離があり、わざわざ近寄ろうと言う人間もいない。それほどまでに荒廃してしまったのは、天津風軍が不文律を破ってあまりの威力に普通は使用することを自重するほどの古代兵器である魔術砲を運用したからだとか、フォーコが何か毒でも撒いたのではないかとか、色々と噂されているが原因は定かではない。そんな戦時の物騒な噂がいくつもある特定荒涼地帯だからこそ、魔物の出現源ではないかと目されていた。そこから出現しているという前提が正しいならば、今回のような忽然と索敵範囲に魔物が出現すると言うことは有り得ないはずだ。  不自然な魔物の出現に疑問を持ったのは局長の御堂と、次長の鎌田も同様らしく、先ほどから権藤を交えた三人で何か話している。 「なあ、今日本当になんもなかったよな」 「無かったと思うけど……」 「だよなあ」  残された桜子とジークは二人して今日の哨戒を思い返す。いつも通り、ジークが愚痴って、権藤が嗜めて……。本当に何もかもいつも通り仕事をこなした。桜子が思い出せる限りでは、一班に落ち度があるようには思えなかった。 「これじゃまるで誰かが人為的に魔物を出現させているみたい……」  桜子のその発言に周囲ははっとする。いつの間にか御堂と鎌田、権藤は話し終えたらしく、桜子とジークの側に寄って来ていた。 「僕は局が出来てから今までを知っていますが、こんなことは初めてです。人為的に魔物を出現させるなんて、可能なんでしょうか。魔物の発生地点が変わったのではないかと、局長と権藤と話していたところだったのですが」  鎌田はいつもの微笑んだ表情を崩さず淡々と言った。しかし、その笑った眼の奥は穏やかではない。鎌田は天津風国の軍人で、まだ退魔局が局ではなく天津風の基地であった時代からのベテランだ。 「可能不可能で言ったら、可能なんじゃないか。確かに数は少ないが召喚魔術で精霊を呼び出す魔術師や、使い魔を生成するような魔術師だっているんだ。局にもいるだろう。桜子の言うとおりだとしたら、発生地点が変わるよりは納得がいくな」  権藤は桜子を肯定する。 「桜子や琥珀の言うとおりだったとしたら、それは誰って話になるな。ああ、いくらその手の魔術に堪能だとしても武は不在だし、違うだろう」 「だとしたらなおのこと、何なんですかね。今回のこれは……」  御堂と鎌田がそろって頭を悩ませているうちに、魔物の討伐完了の知らせが入った。しかし、今回の一件は魔物を倒して終わりではないと、その場にいる誰もが思っていた。 「何はともあれ、被害が無くて良かったよ。今回の件、出現地点の変化なのかは哨戒の強化と索敵の経過を見ることにして検討しよう。それとは別に、人為的な可能性も探ってみる必要があるな。そっちの方は、明日から一班で当たってくれ。詳細はまた明日。今日は深夜にもかかわらずご苦労だった。哨戒に緊急招集にと、疲れているだろう。一班は、もう戻って休みなさい」  御堂の言葉で、その場はお開きになった。    誰もいない宿舎へと続く深夜の渡り廊下は、必要以上に静かで、薄気味悪さすら感じられる。春というにはもう遅く、夏というにはまだ少し早いくらいのこの時期の夜風は少し冷える。若干の肌寒さを感じて桜子は身をすくめた。 「なあ桜子……」 「なに」  並んで歩いていたジークがふと口を開いた。いつもと違ってなんだか歯切れが悪い。権藤は御堂、鎌田と共に二班と三班の帰還を待つと言って広間に残ったので、いまはジークと桜子の二人きりである。 「……」 「なに、言いたいことがあるならはっきり言ってよ」  いつもと違うジークの態度に桜子は苛立ちを覚え、つい語気が強くなる。いや、いつものようにからかわれもそれはそれで腹が立つのだが。 「じゃあ言うけど。なんでお前、誰か人間が魔物を出現させてるなんて思ったんだ? 局長たちみたいに出現地点が変わったって考えた方が自然だろ。だって、今まで魔物を操ってる魔術師なんて見たことも聞いたこともないのに」 「それ、は……」  桜子はしまったと思うが、もう遅い。思いがけない不意打ちに足が止まる。なんて言い訳しようか。どうやって切り抜けようか……。 「お前、知ってるんだろ。魔物を操る『魔人』──エンシーアのこと」  エンシーア。桜子にとっては馴染み深い名前だ。知らないわけがない。まさしくエンシーアこそが、桜子が探している人であり、退魔局に来た最大の目的でもある。しかし、それをジークに話したことは一度たりともない。ではなぜそのエンシーアという名前がジークの口から出てくるのか。それも、いつものジークからは想像もできないくらい真面目な声で。状況が理解できなくて、桜子は頭が真っ白になる。なにも返答することができない。 「固まるなって。俺が悪いことしてるみたいじゃねえか。別にお前の事を責めてるわけじゃないんだ。ちょっと話を聞きたいだけ」  黙りこくった桜子に痺れを切らし、ジークはいつもの調子に戻って言った。 「それって、どういう……」 「お前、魔物を意図的に出現させてるのエンシーアかも、って思ったんじゃねえの?本人じゃなくても、関係ある誰かだろうなあ、とか」  ジークの言うとおりで、桜子は先ほどの不自然な魔物の出現に際して、真っ先にエンシーアの顔が浮かんだ。桜子には思い当たる節があるのだ。 「俺も同じこと思った。こんなことできるのは、魔人ぐらいじゃないかって。俺はエンシーアと、オルディを探してる。知ってるだろ、どっちも」  ジークの口からオルディの名前まで出てくるとは思っていなかった桜子は、驚き半分不信半分でジークを睨む。  オルディ。その名もまた桜子にとっては馴染みのある名だ。エンシーア同様、桜子の探している人物であり、昔馴染みだ。  その両者を探している、とジークは言った。目的が同じじゃないか。でも一体どういう事だろう。私は彼らと浅からぬ縁があり、退魔局に来てまで探しているのにはそれなりに訳がある。しかし、ジークはどうなんだろうか。シルワネムスの軍人であるジークが、二人を探している──。  シルワネムスはオルディやシーアの祖国であり、かつて彼らが属した国だ。というのも、彼らはあの一件以降姿を消し、事の経緯からおそらく国とも交信は絶っているはず。その彼らをジークは探していると言う。それが意味するところはおそらく……。 「私も……。私も二人を探してる。ジークは何か知っているの? 知ってるなら、教えてほしい」  桜子は頭の中で浮かんだ最悪の想定を打ち消して、ジークに縋った。二人を探すにしても、どう動いたら良いかわからず、もう一人ではどうしようもないことは桜子自身が一番よくわかっていた。今日だって、警報が鳴るまでは布団の中でさんざん思考していた一件だ。そんな時にこの一件である。渡りに船、と諸手を挙げて喜べるような状況ではない。だが、ジーク以外に頼れる人がいないのも事実であった。  ジークを完全に信用するわけではない。できるわけがない。シルワネムス本国で、オルディの存在を知っているのはかなり限られた人間のはずで、およそジークのような一介の軍人が面識があったとも思えない。怪しい。不信感はぬぐえない。ただ、私にはもう選択肢がない。ジークの表情を伺うと、狼狽する自分とは対照的で、いつもと同じようにへらへらと笑っていた。 「やっぱりお前も、捜してたんだな」 「やっぱり……? どういうこと?」  桜子が詰め寄るもジークはさらりと躱した。 「まあまあ落ち着けって。色々言いたいことは有るだろうさ。俺だってある。お前からしたら突然同僚が爆弾発言で、意味わかんなくて不信ここに極まれりってかんじだろ?とりあえず今日は寝ろ。明日また詳しく話そう」 「そういうわけには……!」  桜子が言い終わる前に、局舎の方から人の足音と話し声が聞こえてきた。二班と三班が帰って来たのだろう。 「ほら、聞かれたらまずいだろ。な?」 「……わかった。明日、絶対だからね」  はいはい、とジークは軽く流し、なおも睨み続ける桜子をよそに早々に立ち去ってしまった。一人取り残された桜子は、さっきまでの出来事の衝撃を今更ながらにかみしめていた。一年停滞していた、なにもできなかったエンシーアとオルディ探しにようやく進展がみられたのだ。ジークへの不信感はもちろんあるが、それ以上に事態の進展が嬉しかった。
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