第十話「鷹森那由多と鎌田八重之介」

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第十話「鷹森那由多と鎌田八重之介」

 鷹森(たかもり)那由多(なゆた)と僕――鎌田八重之助との付き合いは、戦時の諜報部時代からなのでそれなりに長い。  当時の僕は女装して敵陣営に潜入したりしていたので、きっと彼女からは男性としては意識されていなかっただろう。そのおかげか、同僚の枠と男女の垣根を超えた友情のようなものが僕たちの間にはあった。  諜報部という部隊の性質上、決してぬるい雰囲気ではなく慣れあいをよしとしない。そんな諜報部で僕にとって唯一気の置けない存在が鷹森那由多、彼女だった。 * 「八重之助さんは昔と変わらないわね」 「変わりましたよ。もう昔みたいに女装はしませんから」 「ふふ、そうね。でも、あなたなら今でもきっと完璧に自分以外の誰かになりきってみせるんでしょうね」  怖いわあ、と嬉しそうに那由多は笑った。  西日の差し込む室内には僕と那由多の二人きり。いつもならとうに退勤している時間である。今日は局長から丸投げされた雑務がなかなか終わらず、定時を過ぎても上がれないでいる。そんな僕を珍しがって、夕方の哨戒から帰ってきた那由多はこうして絡みに来たようだった。  那由多は僕に対して"自分以外の誰かになりきってみせる"などというが、むしろそういった類のことは彼女も同様で、恐ろしいほど別人になりきるのが得意な女性だ。 「那由多はまた潜入調査だって聞きましたよ。久しぶりですけど、大丈夫ですか?」  そう。いまの僕らはもう天津風国陸軍の諜報員ではなく、退魔局の戦闘員。  この時、本来ならもう担当することのない潜入調査を那由多は任される予定になっていた。  なんでも、天津風本国からの依頼で実弾銃の密売組織に潜入するとか。詳しいことは自分は聞いていなかった。 「大丈夫よ。やだ、八重ちゃん、私のこと心配してくれてる?」 「心配はしてますよ。でも、八重ちゃんは勘弁してください」  僕が苦い顔で返すと、彼女は楽しそうに「ごめんごめん」と、笑った。 「心配はありがたいけど、大丈夫です。八重之助さんほどじゃないけど、潜入は得意だから」 *  那由多が潜入調査へと向かってからしばらく経ったある日、たまたま彼女が局に帰ってきていた。  調子はどうか、と尋ねようとしたが、見るからに浮かない顔をしていたのでやめた。 「ねえ八重ちゃん。私この前は大丈夫って言ったけど、今度の一件はちょっと荷が重いかもしれないわ」  詳しい話を聞くに、潜入先の実弾銃密売組織が帝国主体の組織で、想定していたよりもずっと大規模だったとのこと。  那由多ひとりで対処出来る範疇を超えているが、この時点で他に応援を送れる余裕が局にはなかった。  当時はまだ魔物の出現率も高く戦闘員各位はそれに対処する必要があり、現場の人員を本来の業務外に、まして危険だと分かっている上に専門外の潜入調査という一件には割けないという事情があった。  ――今でも僕は、この時僕が後から無理にでも潜入していれば……と思うことがある。  密売組織に明確な名称は特にないらしく、那由多はじめ局内では単に密売組織と呼んでいた。那由多の調査で組織の親玉がロベルトという名のフォーコ帝国出身の人間だということがわかった。どうやら実弾銃以外にも麻薬も密売しているらしいという話だ。  ただ、密売組織は帝国主体とはいえ団結もへったくれもない規模の大きいだけの烏合の衆らしく、ロベルトという男のカリスマがなければ簡単に崩壊するだろうとの那由多の見立てである。  ロベルトを可能であれば捕縛――最悪の場合、殺害し、密売組織を解体する。それが那由多の新しい任務となった。  密売組織の倉庫兼事務所が北部の沿岸部にあることは那由多が突き止めていて、そこにロベルトが滞在する間に局の戦闘員何人かで突入して捕縛するという計画だった。   作戦の参加メンバーは潜入済みの鷹森那由多、桧山秋波(しゅうは)、西園寺るりえ、真田ヒロト、権藤琥珀――そしてこの僕・鎌田八重之助。今でこそるりえやヒロトは十分に信頼のおける一人前の戦闘員だが、この頃はまだ血の気が多いばかりで粗いところががあり、人選に危惧もあった。しかし、元々天津風国からの依頼の任務である以上、派遣できるメンバーが国家間の関係への配慮から限られて、このメンバーでの作戦決行となった。  那由多、るりえ、僕は天津風国の軍人だから問題はない。この頃から権藤と桧山の所属国・富出(とみで)は国際的に微妙な立ち位置にあったが、軍事に関しては完全に天津風のいいなりだった。ヒロトの所属国・セクレポワンは軍事に関して全く関心がなく、ヒロトの扱いも局に丸投げ状態で、実質ヒロトは天津風の軍人みたいなものだった。 *  標的はただ一人。組織の親玉・ロベルト。組織の構成員が実弾銃を持っている可能性を考えると、数で劣る上に不慣れな場所での戦闘はこちらが不利である。目標のロベルト以外との戦闘は極力避ける方針になった。  那由多が言うには、事務所の一番奥にロベルトの私室があって、仕事のない日はそこにひとりでワインを煽りながらくつろいでいるらしい。 「それなら殺すのは簡単じゃないか」  作戦会議時にふとそう言ったのはヒロトだった。この当時のヒロトはまだ十五にも満たないほど幼く、今のようにひねくれていなくて素直で可愛げがあったっけ……。 「そう簡単な話でもないのよねえ」  那由多はわざと大げさに困ったような顔をして見せてそう言った。曰く、建物の外から狙撃で狙える位置にはソファ等が置いておらず、組織も組織で外部からの攻撃を想定してそれなりの警戒をしているとのことだった。標的だけをピンポイントに狙うのは無理だ。  ……ということで、正面からこそこそと侵入して私室までたどり着き、一対多数で制圧しようという作戦になったのだった。  実際に内部に侵入するのは那由多を筆頭に桧山、権藤、それと僕。るりえとヒロトは万が一に備えて建物の外で待機することになった。  那由多は潜入先でうまくロベルトに気に入られたようで、ロベルトの私室へは自由に出入りできる立場にあるらしい。おかげで、私室の家具配置などを完璧に覚えてきて僕たちに伝えてくれた。侵入経路も事前に完璧に準備され、あとは決行するだけ。  ――今となってはもうわからないけれど、那由多が「荷が重い」と言っていたのは、いったいなにに対しての発言だったのだろうか。  作戦当日。僕たちは先に内部に潜入していた那由多の誘導で組織員から発見されることなく難なく事務所に侵入することに成功した。  妙に入り組んだ廊下を進み、一層豪奢な扉の前にたどり着く。那由多に言われずとも、ここがロベルトの私室なのだとわかった。  皆で顔を突き合わせて頷きあって、さあ突入だ、というまさにその瞬間、 「おおおおお、お前たち、何者だ⁉」  僕たち四人の背後から大声がして、思わず全員で振り返る。密売組織の一員と思われる小柄な男が、震える手で小銃をこちらに向けて構えていた。  男はただパニックになって喚き散らすばかりで、この場所でなにか異常があったことを事務所内に存分に知らせてくれた。普通に攻撃してくるより厄介なことになった。  数では勝てない。応援が来る前に、この扉の向こうにいるロベルトだけはなんとかしなければ。決して逃してはならない。 「私が行く」  那由多はそれだけ告げると残された僕らに目配せして、あとは頼んだとロベルトの私室へと入っていった。  冷静になってから考えれば、普段から潜入していて身分を偽っている自分が行けばひとまずは怪しまれずに済むだろう、という意味だったのだろう。 「雑魚がちょろちょろ集まってきてるけど、全部吹っ飛ばせば問題ないな」 「数が数だからな、多少雑でもしゃーないってところか」  権藤と桧山は口々に言うと、騒ぎを聞きつけて集まってきていた組織の構成員向き直って各々前に突き出した右手から突風と灼熱の炎を繰り出した。  僕の出る幕もなく、二人の攻撃で廊下の壁ごと吹きとばしていて、集まってきていた構成員たちはそこかしこにひっくり返っていた。それを見て、まだ自分で歩ける者たちは恐れおののいてどこかへ散っていってしまった。  なんだ。思っていたより大したことない相手じゃないか。これなら最初からこうして人員を割いて突入していればもっと早く解決していたのに……。  任務中だというのに、ぼんやりそんなことを考えていたその直後、僕の耳に思いがけず銃声が聞こえた。  ドッと重く鈍い、拳銃の音だ。これは、この音は――那由多の拳銃!  那由多がロベルトと戦闘になった……⁉  なりふりかまわず慌てて背後の扉を蹴り開けると、ちょうど一人の男が窓から逃げるところが目に入ってきた。くすんだ髪色に褐色の男――おそらく、いや、確実に、あの男こそがロベルト。  手に持っていた魔術式銃を構えて何発か男に向けて発砲したが、全て相手の魔術で防がれてしまった。  僕に遅れること数秒、権藤と桧山も部屋にばたばたと入ってきて、目前の男を逃がすかと各々魔術を放つも見事に躱されてしまった。  そのまま男は不敵に笑い、口の形だけで「あばよ」と言って窓から颯爽と外に逃げて行ってしまった。  殺すだけだったら、さっきみたいに全力で魔術をぶっ放せばいい。  でも、それが出来なかった。  僕らの目の前に、那由多が倒れていたから。 「那由多ああああぁぁぁ‼」  部屋に響いた悲痛な叫びは、僕のものでも、桧山のものでもなく、権藤のものだった。  後にも先にも、あれほど感情をむき出しに叫ぶ権藤の姿は見たことがない。  鷹森那由多は、銃で自身の頭部を打ち抜いて死んでいた。彼女の利き手であるら右手から拳銃がこぼれ落ちていた。しかも、薬莢が落ちている。使われたのは実弾銃だ。  板張りの床に頭部からの出血で赤黒いシミを作っていく那由多を無理矢理抱き起し、もうどれだけ呼びかけたって返事はないと分かっているはずなのに、権藤がひたすら那由多の名前を叫んでいる。  こういう時存外桧山は冷静で、苦虫をかみつぶしたような顔をしたあと、茫然と立ち尽くす僕と、ただ感情のままに叫ぶ権藤をその場に置いて、 「クソ野郎。追跡してくる」  と言い残し去っていった。しかし結局、追跡には失敗し僕らはロベルトを取り逃がしてしまった。    鷹森那由多の焦点のあっていないメガネのレンズ越しの二つの眼(まなこ)。とめどなくあふれる赤黒い血。その光景は、あれからもう八年も経つというのに未だに僕の目に焼き付いて離れない。 *  鷹森那由多は死んだ。  ただ、この死は自身の拳銃で自身の頭部を打ち抜いていた――つまり自殺であったことと、実弾銃を使っていたこと、この二点から那由多は密売組織と局との二重スパイ疑惑をかけられてしまった。あのタイミングで自殺することによって、組織の親玉・ロベルトをわざと逃がしたのではないか、と。  僕らがロベルトの私室突入寸前に、それまで全く遭遇しなかった組織の構成員に発見されてしまったことも状況証拠になってしまった。  普通に考えれば……、いや、普通というより鷹森那由多という人物を知っている者からしたら、彼女が二重スパイなどするはずがないとわかるのだが……。  拳銃の件だって、そもそも彼女は潜入調査にあたっていた訳で、今回に限っては実弾銃を使っていない方がおかしい。敵対する国の軍のものです、という証左に他ならない魔術式銃を引っ提げて密売組織に潜入する者がいるだろうか。  ロベルトに銃を奪われて、もしくはロベルトが同型の銃を所持していて、那由多が実弾で撃たれた。那由多の自殺に見せかけるようにわざと彼女の傍に置いて行ったのなら、それで説明がつく。  それでも当時の天津風の軍部は、なにがなんでも鷹森那由多を裏切り者にしようとした。  結局、事件は那由多が裏切っていたということで片付いてしまい、以降、退魔局では那由多の話題はタブーだ。  というのも、当時の天津風の情勢からして旧黒龍と天津風との軋轢が増していたという政治的背景があった。旧黒龍勢力の象徴である竜崎家の旧臣・鷹森家が粗相をしたとなればそれは純天津風派閥の人間たちにはどれだけ都合のいい事態だったかは想像に難くない。  鷹森那由多は死んだ。  直接殺したのはロベルト、あの男だとしても、彼女の名誉まで奪って殺したのは他でもない天津風軍部である。  僕はロベルトという男と再び巡り合えるかもしれない機会を信じて、那由多が死んだあとももはや全く信用していない軍に籍を置いて、ずっと局に居続けた。  できることなら、この手で鷹森那由多の名誉を回復させてやりたい。  彼女は、決して人を裏切るような人間じゃなかった。    今回の銃密売組織の話と、魔物を人為的に発声させている者がいる可能性。この二つによって、これまで日々ひたすら平和に退屈に向かっていくだけだった局での生活が一変した。  これは確かに勘でしかない。ただ、今回は密売組織だけでなく魔物の一件も絡んでいる。なにかあるに違いないのだ。  いや、もはやこれは願望かもしれない。なにかあってほしい。  僕は鷹森那由多の無念を晴らすまで局から退く気はない。  だから、局長のように体が言うことを聞かなくなる前に、早く――。 
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