第二話「共謀」

1/1
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

第二話「共謀」

 敢えてカーテンを閉めないでおいた窓から朝の陽ざしが部屋に差し込む。朝だ。桜子にしては珍しく、目覚まし時計が鳴るより前に目が覚めた。というより、昨日はろくに眠れなかった。  こんなに早く起きるのは久しぶりだ。昨日の事で体は疲れているはずなのに、不思議と眠気は無く、興奮さえしているようだ。とりあえず顔を洗って、着替えて、食堂で朝食を食べて、できたら仕事が始まる前にジークに会いに行こう。できるだけいつも通りに、平静に。前のめりなのをジークに悟られたくない。まだジークの事は信用したわけじゃないんだから。 「お、早いなー。お前いっつもギリギリまで寝てんのに。そんなに今日が楽しみだった?」  桜子は食堂に向かう途中、既に朝食を済ませたらしいジークとすれ違った。今日もジークはへらへらしている。昨夜の緊張感が嘘のようだ。 「私だって、たまには早く起きるんだよ。それより……」 「わかってるって。まあそう焦るなって。今日は午後非番だろ。仕事終わったらゆっくり話せばいいじゃねえか」 「……」  桜子は部屋に来いと言うジークを無言で睨みつける。  この人は自分が信用されていないってこと、分かっているんだろうか。 「お前変なこと考えてねえよな。なんもしねえよお前みたいなちんちくりんには。なんも起きねえ。絶対。間違いなく。ありえない。だいたい、普段から俺の部屋まで荷物運んできてるじゃねーか! いつものことだし、周りからも怪しまれねえし丁度いいだろ」  桜子の視線の意味を悟ったジークは、早口にそう言いきった。  非番の度に桜子はジークの買い出しに荷物持ちとして付き合わされていて、部屋にはしょっちゅう出入りしている。だから、二人がジークの部屋にいたところでいつもの事。誰も怪しまない。 「わかった。わかったよ。でもちんちくりんは余計だと思うけど」  桜子はため息交じりに言う。  ジークはまったくいつも通りで、朝から棘のある軽口を飛ばしている。気がはやるのは私だけのようだ。 「ああでもな桜子、お前がこんな早朝から動いてたら怪しむ奴はいるかもな」  去り際にジークはそう言ってくつくつと笑った。  平静を保つなんて、もとより無理な話だったのかもしれない。     *      昨日の一件について話があると、一班は局長室に呼び出された。デスクに座る御堂と、その横に鎌田が控えている。いつも穏やかな両者だが、今日の面持ちは深刻さをはらんでいた。 「昨日はご苦労だった。昨日、討伐にあたった二班と三班の報告では出現した魔物自体はいつもと同型で、特に変わったところはみられなかったそうだ」 「特に強くも弱くもなく、本当にいつも通りと言っていました。発生源自体が変わった可能性の検討、および発生源の特定については三班が主体となって動いてくれています」  御堂と鎌田が淡々と言う。 「それはそれとして、人為的な出現であった可能性の調査は昨夜も言った通り、一班に任せる。あと、鎌田もサポートに回るから、四人でなんとか頑張ってくれ。仁科はいつ帰って来るかわからない。あまりあてにするな」  仁科というのは一班の班員で、源境(げんきょう)国という西域の西端に位置する国の武人だ。彼は国元で不幸があったとかで、国に帰ったまましばらく不在であった。どうやら、復帰のめども立っていないらしい。 「今回の一件、もし人の仕業だとしたらおそらく相手は個人ではなく組織的です。可能性としては帝国の残兵や、亜魏の賊という可能性も捨てきれませんが、どうも僕にはそうは思えない」  鎌田は顎に手を当てて言う。 「俺も流石にフォーコの残党ってことは無いんじゃないかと思うけどな。もう帝国にはろくに魔術を使える人間なんて、残っていないだろう」  権藤の言う通りで、おそらく今の帝国に魔術を扱えるような人間はいない。  先の戦争に勝利したのは天津風国だが、帝国が衰退したのは戦争に負けたせいだけではなかった。帝国では戦中、魔術師狩りという魔術が使える人間の排斥運動が行われていた。魔力は個人により差があり、万人が扱えるものではないから平等性に欠ける。結局、実権を握る者、富める者は生まれもって魔術の才があるものだけではないか。すべての権利は万人に平等であるべきではないのか──。そんな少々過激とも取れる思想が当時の帝国では支持されていた。  この思想を掲げ率先して魔術師を弾圧していたのが時の皇帝であった。しかし、皇帝は自らの肉親で魔術の才がある者は表向き排斥したことにして、実際は匿っていたのだ。終戦後、このことが国民に露呈すると、弾圧されてきた魔術師たちの積もり積もった憎しみと、敗戦からの憂さ晴らしと、様々な思いが爆発し、あっという間に国中は内乱状態となった。その内乱の中で生き残った魔術師たちさえも互いに傷つけ合い、殺し合った。以来およそ二十年経つが、未だに帝国は国としての体をなしておらず、古戦場である古州よりも大地は枯れ、人は病み、荒んでいる。 「だとして、亜魏の残党って言うのも、ちょっと考えにくいんじゃないかなあ。最近は昔ほどそういうのも無いし。だいたい、今のチンピラの群れみたいな亜魏の賊の中に召喚魔術が使えるほどの魔術師が居るとは考えにくい」  亜魏も国としてはとうに崩壊しており、かつての領土は現在天津風国の支配下にあるが、一切の政治体制が整っていない。というより、亜魏にはもうろくに人がいない。都市として機能しているのは局のある古州ぐらいで、あとは細々と農耕する小さな村落が各地に点々とあるだけだ。だが、亜魏の人間は帝国だけでなく、天津風国のことも憎んでいる。亜魏の民にとっては、帝国も天津風も、どちらも憎むべき国土を蹂躙した相手だ。近年ではあまりないが、かつては武装した亜魏の民が蜂起し、その鎮圧に退魔局が当たることも少なくなかった。 「とはいえ動いてみないことにはなにもわからないから、とりあえず街で不自然な集会が無いかだとか、変わったことはなかったかだとか、調べてみてくれる?もし本当にこちらに明確な悪意を持った敵性組織だったら、そう簡単には尻尾はつかめないと思うけど。鎌田も居るし、なんとかしてくれ」  御堂はこれ以上ここで議論しても結論は出ないと踏んだのか、そう言って一旦議論を締めくくった。 「局長、一つ聞きたいのですが。なんで相手が組織前提なんですか」  ジークのもっともらしい質問に、御堂は鎌田と目を合わせた後、ふっと笑う。 「うーん、勘、かな」 「勘?」 「ジーク、いま局長がまた馬鹿なこと言ってると思っただろう。でも、こういうのはなんとなく当たるんだよ」 「局長……」  御堂の横に立つ鎌田は呆れた様子で口を開いた。 「確かに、勘です。勘ですが、根拠のある勘です。詳しくは話すことは控えますが、とにかく適当に言っているわけではないと、信じてください」  いつも表情の変わらない鎌田だが、どことなく寂しげな雰囲気でそう言った。 「……まあ、次長がそこまで言うなら」  納得はできなかったが、これ以上追及できる雰囲気でもなかったのでジークは渋々引き下がる。  桜子とジークは今回の一件はエンシーアとオルディの仕業ではないかと踏んでいる。踏んでいるどころか、桜子の中には根拠のない確信めいたものすらある。御堂や鎌田の勘が正しければ、相手となるのは二人だけではないという事だ。  わからない以上考えても仕方がないのだが、昨日の夜から桜子の頭の中はエンシーアとオルディのことでいっぱいだった。先ほどからの任務の話も半ばうわの空で、早くジークと話がしたいとしか考えていなかった。 *  午後、桜子は約束通りジークの部屋を訪ねた。控えめにノックした後、どうぞ、と返事があって部屋へと足を踏み入れる。部屋の中では眼鏡をかけたジークがデスクチェアに脚を組んで座り、何か書物に目を通している。  ジークの部屋は見渡す限り本ばかりで、棚に収まりきらない分の書籍が床に平積みされているほどだ。雑然としたその部屋は足の踏み場もろくに無い。ジークは見た目や普段の言動に反して読書家らしく、非番の度に街に出ては書籍を買いあさっていた。買うのは魔術書だけではなく、小説、漫画、果てはゴシップ雑誌など多岐にわたり、単純に読書家というよりは収集家なのかと桜子は思っていたが、ジークは購入した書籍すべてに目を通しているらしい。桜子はそのジークの異常とも言える知識や教養への執着を常々疑問に思っているが、いまだ本人には聞けずにいる。もう何度も来ているジークの部屋だが、今日は本にあふれた薄暗いこの部屋が桜子には少し威圧的に感じられた。  ジークは桜子が入ってきたのを確認すると本を閉じて脚を組み直した。桜子はベッドに座るように促され腰かけたが、ベッドにさえ書籍が散乱している。 「きったない部屋だね本当」 「俺は何がどこにあるかわかってるからいいんだよ」  桜子は手元にあった分厚い本を手に取ってみる。 「『召喚魔術の基礎』って、ジーク、使えるの?」 「できるわけねえだろ。魔術は苦手だ。でも知識は必要だった」 「……シーアの件?」  桜子に見据えられ、ジークは無言で頷く。昨夜と同じ、緊張した空気が張り詰める。 「約束だからな。話すよ、知ってること。お前、俺のこと信用してないだろうから、信じるかどうかはお前次第だけどな。態度に出過ぎだぞお前」  自嘲気味にジークは言う。  桜子は内心を言い当てられて少し動揺した。今朝から平静を保とうと努めてこそいたが、ジーク相手には通用しなかったようだ。 「まず初めに確認な。お前の捜してる奴は、オルディ・キングズリーと、その従者のエンシーアで間違いないな?」  桜子は無言で頷く。 「俺が何でそいつらを捜しているかっていうと、シルワネムスの軍の上層部からの命令だ。別に私怨とか、個人的になにかあってって訳じゃない。第一、俺は直接会ったことも話したこともないし」 「それ、口外しちゃっていいの?」 「よくないけど、お前が黙ってれば問題ない」  ジークは暗に口外するなと言っている。こういう時のジークは、威圧感を丸出しにする。桜子はそれがどうにも苦手だった。 「俺が知っているのは、奴らが人間じゃないってこと。エンシーアの方は魔人とかなんとか聞いたけど、オルディの方ははっきり教えてもらえなかったからよく知らない。あとは、三年前の夏に天津風に滞在していたのを最後に奴らの足取りが途絶えてるってことぐらいだ。あとは、おそらくはもう天津風には居ないことと、シルワネムス国内には居ないこと。俺も局に来てから色々調べては見たけどさ、その後の足取りは一向につかめない……。本当にまだ生きているのか、死んでいるのかさえわからない」 「なんだ……」 「なんだってなんだよ」 「だってそれ、私も知ってる」  桜子はあからさまに落胆してみせた。  新しい情報が手に入るかと思ったのに、ジークは桜子の知りうる以上の情報は持っていないようだった。 「おいおい、ひっでぇな。せっかく情報を共有してやろうっていうのに……」 「私、ジークが知らないことも知ってるけど、それ喋ってもジークが得するだけじゃん」  桜子はじっとりと睨みつける。ジークの手には汗がにじみ始めた。  さっきまでビビってた風な桜子のくせに、ここにきて強気に転じやがった。でも俺も引くわけにはいかない。 「いやいやいや、俺もう任務の事お前に口外しちゃったし、それなのにお前からなんも見返りないとかちょっとひどくね?俺からお前に提供できる情報云々は抜きにしても、お前が知ってる事話してくれたら捜すのとか一緒に出来るじゃん」  ジークに必死さがにじんでいるのを見て、桜子は笑わずにはいられなかった。突然笑い出す桜子を前にジークはより焦るばかりである。 「なーんだ。ジークだって、私と同じじゃん。いや、会ったことも無い人を極めて無計画で捜してる時点で私以下かも」 「なっ、うっせーな。悪かったな無計画で。でも仕方ないだろ、命令なんだから。あーあーそうだよ無計画だよ。しかも、死んでいるのならそれでいいから死んでいる証拠をつかんで来い、出来るまで帰って来るなとまで言われてるんだぜ? まったく理不尽だ。まあ最初っからできるわけないって見越してて、俺を使えるだけ使って切るつもりなんだろうな」  ジークは開き直って桜子に言い返すが、言い終ってから余計なことまで言ってしまったとはっとした。しかし、桜子も聞き逃さない。 「何? 切るとかって……」 「いい、それは関係ない。忘れろ」 「いや、それこそ関係なくないでしょ。つまり何? ジークはシーアとオルディを見つけるなり、もう死んでるって証拠をつかまない限りは国に戻れないってこと?」 「まあ、そういうことになるな」  ジークはばつが悪そうに頭をかいた。いつもの余裕めいた態度はもう無い。  ジークの母国であるシルワネムスという国は、非常に閉鎖的な国である。そのシルワネムスにおいて退魔局への派兵というのは、実のところ左遷を意味していた。ジークもまた、例外ではない。 「でも俺はどうしても国に帰らなきゃならない」  ジークは俯いたまま、なんとか声をひねり出す。 「どうして」 「……国には俺を待ってる女がいるからさ」  一瞬真顔になった後、いつもの調子に戻ってジークは言った。  女が待ってるとか、どうせ嘘なんだろうな。もっと大事な、誰にも言えない何かがあるんだろうと桜子は思う。言い方こそ軽いが、国に帰らなければと言うジークの目は嘘をついていないように思えた。 「いいよ。分かった。私の知ってる事も話すよ。二人でシーアとオルディ、捜そう?今度の任務も関係してると思う……、っていうか関係してるといいなって思うし、きっとなんとかなるよ」  彼も私と同じで行き詰まっていたから、昨日の一件を発端に私に打ち明けたんだろうな、と桜子は思う。  そうだ、事態は悪い方向に向かっているわけじゃない。一人でこのまま捜すより、ジークと協力して捜した方がいいに決まっている。もし、ジークの目的がシーアとオルディを捜して国に連れ帰るだとか、……殺すだとか、そういう目的だったとしたら、尚更一緒に捜した方がいい。多分、ジークに二人は殺せない。そして私にも、無理だ。捜される二人からすると、ジークはシルワネムスの手先で、追っ手だ。しかも殺意を持って近付いたりなんかしたら、間違いなく殺される。私はジークとはそれほど親しい訳でもないし、助ける義理も無いのかもしれない。それでも、私は知っていて見殺しに出来るほど鈍感ではない。まして、今のジークの必死な様相を見てしまっては……。 「……いいのか?俺のこと、信用して」 「信用してるかって言われると微妙だけどね……」 「なんだよそれ……」  ジークは安心したのか、目を細めて笑った。桜子もつられて笑ってしまう。 「……で、お前の知ってる事って、なんなんだよ」  ジークに見据えられて、桜子は少し緊張する。一呼吸おいてから口を開いた。 「……生きてるよ。少なくとも、シーアは生きてる」  桜子の言葉にジークは眉間に皺を寄せる。 「なんでそんなこと言えるんだよ、証拠もないのに」 「あるよ。私、二年前の春にオクシドンタルへ卒業旅行に行ったの。その時に、シーアを見たの」 「嘘、だろ」 「嘘じゃない! 確かに物的証拠は何にもないけど……、でも生きてた! シーアが生きてるんだったらオルディだってきっとどっかで生きてると思う。その時のシーアは魔物を従えてた……。だから私思ったの。ここなら、退魔局のある古州なら、きっと何かあるんじゃないかって」  でも結局まだ何にもわかってないんだけど、と桜子は自嘲気味に続ける。 「分かってないのは俺も同じだ。でも、そうか、生きているのか……エンシーア」  ジークは感慨深げにつぶやく。  ジークにしてみれば、局に来てから何の進展も無かった任務にささやかながらもようやく進展が見られたのだ。 もし死んでいるなら死んでいる証拠を探して来いと、軍からは言われているが、死んでいる証拠なんて手に入るわけがない。もし仮にそういう物があったとしても、軍はきっと難癖をつけて証拠とは認めないだろう。どっちにしたって八方塞がり。今回の人捜しの任務は、生きていても見つからない、死んでいても証明できない。俺を潰すための軍の方策だ。そう思っていたから、少なくとも絶対に不可能な方の可能性が消えて俺は少し安堵した。 「シーアは簡単には死なないって」 「なんで。魔人だからか?」 「ううん。それもあるけど、だって、あの師匠だし」  桜子は嬉しそうに言う。  どうやら桜子にとってエンシーアとオルディは相当に大きな存在だったらしい。そうか、俺にとっては任務で仕方なくでも、コイツにとっては大事な師匠と幼馴染を捜してるってことだもんな。そりゃ嬉しそうな顔もするか……、とジークはひとり納得する。 「生きてるってことなら、捜すのも無駄にはならないな」 「そう。だからさ、明日からの任務、頑張ろうね。大丈夫、きっと何かつかめるよ」 「なんだその自信は……」  桜子はのんきに笑っているが、ジークには一つ引っかかっていることがあった。午前中の鎌田の様子である。組織的だと予測するのは勘、ただし根拠のある勘、と鎌田は言った。その根拠は話せない、とも。鎌田は、いや、御堂も含め何か知っているのではないかとジークは考える。ただ、それを桜子に言ったところで仕方ないとも思うのであった。  桜子に余計な動きをされて、俺の任務が局長たちにバレる事だけは何としても避けたい。何はともあれ、すべては明日からの任務次第だ。俺は桜子のようにのんきに構えても居られないが、どうにかなると信じたい。いや、何とかするんだ。俺が、俺自身で──。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!