第三話「那由多事件」

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第三話「那由多事件」

「で、お前ら二人の成果はゼロ、と」  夕刻の会議室に権藤の深いため息がひとつ。呆れ顔の権藤を前に、桜子は少し居心地が悪かった。  人為的に魔物が発生させられている可能性の調査を任せられた桜子たち一班。あれから一週間、街に出て地道な調査を続けていた。調査と言ってもできることは限られていて、街でなにか変わったことがないか聞いて回るくらいだ。それでも、局長である御堂になんとかしてくれと言われた以上、何もしないわけにはいかなかった。 「いやーだって実質手がかりゼロじゃないですか。そういう権藤さんはどうだったんですか」 「いや、俺も特に成果はない。だが……」  権藤は急に歯切れが悪くなり、口ごもる。 「……武器の密売組織を見つけた。しかも、おそらくは実弾銃だ」  実弾銃。それはかつて反魔術を掲げたフォーコ帝国が主力とした武器だ。天津風が勝利した先の大戦以来、実弾銃の使用、流通はもとより製造さえも国際的に禁止されている。つまり、権藤が見つけたという組織は立派に犯罪組織だ。  もっとも、退魔局では魔術式銃が使用されているから、完全に銃器の類が消え去ったわけではない。一班でもジークはショットガンを好んで使っている。退魔局で使われている銃は実弾を飛ばすものではなくて、使用者の魔力を打ち出す魔術式銃と呼ばれる実弾銃とは異なるものだ。本来、魔力の単純出力である無属性魔術は非常に高度とされ、扱える者は極わずか。それに普遍性を持たせようという目的のもと開発されたのが、いまの魔術式銃である。  魔術式銃の開発は天津風が独占して行っており、実戦使用されているのは退魔局だけだ。しかし、実弾銃を規制した天津風が魔術式銃を開発するというのは、他国から不信を得ることに繋がりかねない。自ら銃器を規制しておきながら、なぜ天津風は銃器を開発するのか、と。だから、魔物討伐の為の必要な兵器開発と表向きは銘打って、天津風は退魔局において魔術式銃の開発運用をしているのだ。 「……帝国と、シルワネムスですか?」  神妙になるジークに、権藤は頷く。  シルワネムスはジークの母国だ。とあれば、ジークの眉が険しくなるのも無理はない。  シルワネムスは閉鎖的な国であると同時に、貧富の差が激しい国でもある。上層階級だけが富み、一般庶民は困窮している。ジークのように魔術が使えれば、軍人になって身を立てることもできるが、そうでない者たちはただひたすらに上層階級から搾取されるばかりであった。  こうした帝国とシルワネムスとの密売取引は今回が初めてではない。そういう事情があるから、魔術が使えなくても誰にでも等しく扱える実弾銃は、庶民を中心にしたシルワネムスの反体制勢力から需要があった。帝国の残党が小遣い稼ぎに大戦時の遺産である実弾銃を高額でシルワネムスに売りつけるのだ。だいたいは粗悪品で、とても使い物にはならないが、それでもシルワネムスの反体制勢力は不定期に帝国残党と取引をしているらしい。 「そういう露骨に怪しい組織なら、裏に召喚魔術が使える魔術師を抱えててもおかしくないですよね」  なにか考え込んでいるジークをよそに、桜子が言う。  桜子にはそう言えるだけの心当たりがあった。武器の密売、ましてシルワネムス……。となれば、エンシーアが関わっていても不思議はない、と。 「そうだな。可能性はゼロではない」 「それなら……」  その密売組織、私たちで調べましょう。と、桜子が言いかけるけれど、それは権藤の言葉にかき消される。 「一班はこの件を降りる」 *  夕食の時刻。食堂の隅で夕食のカレーをつつきつつ、桜子とジークは権藤の言った言葉の意味について話し合っていた。 「なんで突然降りるなんて言ったんだ権藤さんは」 「そんなの私に言われても困る」 「だよなあ……。悪ぃ。」  二人して肩を落としていると、桜子の隣に夕食のトレーが置かれる。 「どうしたどうした。元気ないね二人とも」  隣、座るね。と言って桜子の隣に座ってきたのは二班の西園寺るりえ。桜子と同じく天津風の軍人だ。るりえは黒髪をショートカットにしていて、服もジャケットを着こんで見た目の雰囲気は大人っぽいのだが、社交的で冗談が通じるような人だ。今みたいに何かというと後輩を気に掛けてくれる面倒見のいい先輩でもある。 「まあ、色々あってさ」  ジークはるりえと取り合うのが面倒くさいらしい。そんなジークを意にも介さずるりえは続ける。 「そういえば、一班が降りるっていう例の一件、私たちが引き継ぐことになるみたい」 「マジかよ……」  ジークは眉をひそめて呟く。その様子を見たるりえは状況を察したらしい。 「納得いかない?」 「そりゃまあ、もともとは俺たち一班の任務だし。理由も説明されずに降りるって言われたって、納得できねえ」 「私も。それになんか、権藤さんらしくないなって」 「権藤さんらしく、ねえ……」  るりえはカレーとご飯を混ぜながら呟いて、何か言いかけてやめた。三人の間に気まずい沈黙が流れる。 「おい、るりえ。カレーと飯混ぜんなって。相変わらず汚ねえ食い方だなお前は」  沈黙を破ったのは、秋波だった。桧山(ひやま)秋波(しゅうは)は二班の班長で、るりえの直接の上司である。富出(とみで)国の軍人で、同じく富出国の軍人である権藤とは付き合いも長く、仲もいい。秋波はいつもジャージ姿でいい加減な人物であるが、実力ゆえに上からの信頼は厚いのであった。  秋波は自分のトレーを乱暴に置いて、ジークの隣に腰掛ける。 「うるさいなあ。カレーの食べ方なんて人それぞれなんだから別にいいでしょ。秋波にどうこう言われる筋合いはないの」  るりえは秋波に悪態をついてから、カレーを頬張る。  秋波の方がるりえより年上で軍人としてのキャリアも長いのだが、るりえは一切秋波に気を使わない。二班には秋波、るりえの他にヒロトと阿地が居るが、阿地を除いた三人は十年近く同じ班で働いている。こうして秋波やるりえがふざけ合っているのも、局では日常風景だ。 「で、権藤の話してたんだろ。聞こえてたぜ」 「そう。権藤さんが密売組織の一件降りるの、納得できないんだって」  桜子とジークはるりえの言葉に頷く。 「そりゃなあ……」  秋波はなにか言いかけて、やめた。一瞬なにか考えて再び口を開く。 「お前ら、なんで権藤が魔術式銃持たないか知ってるか?」 「それは、そんなの無くても十分強いからじゃないんですか」 「それも正解だけどな、それだけじゃないんだ」  ジークの言うとおり、権藤の魔術の実力は局でも一、二を争う。  ジークは、権藤が銃を持たないのは銃を必要としないくらいの実力があるからだとばかり思っていた。 「那由多さん……、ですか?」  桜子がぽつりとつぶやく。 「なに……?」  桜子の一言にカレーを食べかけていた秋波の手が止まる。  秋波の反応を見て、やっぱりそうなんだと桜子は思う。 「八年前の、あの事件、関係してるんじゃないですか?」 「桜子?」  ジークには八年前の事件がなんなのか、心当たりがない。 「別に知っててもおかしくないでしょ。この子は竜崎なんだから」 「それもそうか」  秋波とるりえは知っているようだ。この場で話を理解していないのはジークだけらしい。 「おいおい、俺を置いて話を進めるなよ」  自分だけ何も知らないのが面白くなくて、ジークはふざけた調子でそう言う。ちらりと秋波の顔を見ると、なんだかもの寂しげな顔をしていた。  しまった。こういうテンションの話じゃなさそうだ、とジークは少し後悔する。 「昔の話だ。お前らだって、聞いたことくらいはあるだろうが。『那由多事件』って」  秋波はどこか遠い目をしたまま食事の手を止めて話し始めた。 「八年前……。前にもあったんだ。実弾銃の密売組織が。その時事にあたったのが俺たち三人と、権藤と、まだ前線にいた鎌田と、──鷹森(たかもり)那由多(なゆた)」 「……那由多さんのこと、桜子は知ってる?」 「はい。私の実家の隣に住んでて。……優しいお姉さんでした」  言いながら桜子は那由多の顔を思い出す。長い髪にフレームレスの眼鏡。軍人っぽさは欠片も無く、まさに大人の女性といった感じの人だった。  最後に会ったのはいつだっただろうか。それほど親しくしていたわけでもないけれど、私がまだ実家に住んでいた頃は、たまに顔を会わせるといつも笑いながら挨拶をしてくれた。那由多さんはいつも笑っていた気がする。 「その『優しい』那由多が、銃密売の手引きをしてたとかって濡れ衣を着せられた事件。それが、『那由多事件』」  るりえは声こそ軽い調子だったが、その表情は決して明るくなかった。  「それ、竜崎へ言いがかりをつけるきっかけが欲しかっただけですよね」 「わかってるじゃん、桜子」  るりえはそう言って桜子に笑みを向ける。  三百年も昔の事だが、桜子の実家である竜崎家は黒龍国という一国の主だった。黒龍国は天津風国に降伏し、支配下に入った。天津風に従順だった竜崎とその旧臣に対して特に処罰は無かったため、竜崎家はそのまま黒龍国領に留め置かれた。その竜崎旧臣の一つが鷹森家だ。三百年の時を経た今でも竜崎家とその旧臣の関係は続いている。 「那由多は鎌さんと同じで戦時の諜報出身でね。その一件の時も密売組織に潜入してたの。あのときも今回と同じで、帝国主体の密売組織だった。それなのに、いつのまにか那由多が密売組織の密偵で、局の情報を抜いてたとかいうことになってて……」 「なんで、そんな……」 「邪魔だったんだろうね、『鷹森』が」  ジークの言葉にかぶせるように、誰かの声がする。誰かが気配無く近づいていたようだ。 「局長!」  現れたのは御堂だった。手には何も持っていないから、夕食を一緒に食べようとかいうわけではなさそうだ。 「こんな所でそういう話は感心しないよ。秋波、るりえ」 「だってよ、ちゃんと話さなきゃこいつら納得しねえだろうが」 「確かに。桜子にはいずれちゃんと話さなきゃならないことだったけど、それは私たちの口からじゃなくてもよかったんじゃないかな」  御堂は言いながら秋波の隣に座った。あまり余計なことを言うなという無言の圧を感じる。御堂の態度に秋波は思わず小さく舌打ちした。 「世間はどうだか知らねえが、俺たち局員は那由多が悪かったなんて思ってねえ。ちゃんとわかってんだ」 「だからヒュウガくんも……」 「そうか。お前は知ってんだな。ヒュウガのことも」  秋波は桜子の言葉に一瞬驚いたが、『竜崎』なんだから当たり前かと思い直す。  皆はなぜか合点がいっているようだけれど、ジークは話が一切見えてこないから面白くない。ただ、ここで口をはさむのも違う気がして、何も言えずにいた。 「まあなんだ。その、権藤は那由多には特別世話になってたから。それで嫌いなんだよ、実弾銃が」  秋波は横に御堂がいる以上、曖昧な表現をするほかなった。  このくらいの表現でも、きっと言いたいことは桜子に伝わっているだろうと思う。ジークにははなから伝える気が無い。 「だから権藤さん、実弾銃の密売組織とかにはわざわざ首突っ込みたくないんだよ。それか、私たちに気を使ってるのかもしれないけど……」 「まあ、確かにこういうのは俺たちの方が得意だからな。銃には銃を、ってことで」  二班の阿地を除く三人は魔術式銃を主力武器としている。局の中で最も銃器の扱いに長けているのが二班だった。 「まーそういうこった。諦めろ。何でお前らがそんなに今回の任務にこだわるのか知らないが、余計なこと考えんなよ」  わざわざ釘を刺してくる秋波に、なにか気が付いているのかもしれない、とジークは思った。  本当は事件についてもっと色々と聞きたかったが、エンシーアとオルディを捜しているのがバレたら色々と面倒だ。あとで桜子にでも聞くことにして、ここは大人しくしておこう。 「はい。重たい話はおしまい。片付ける方に迷惑だから、早く食べてしまいなさい」  御堂はそれだけ言うとさっさと食堂から出て行った。どうやら、事件の話をするなと牽制しに来ただけだったらしい。  だが、桜子にとっては収穫はあった。向かいに座るジークはわけがわからないと言ったような顔をしているが、もう少しこのことは黙っておこう。推測が確信に変わるまでは。 * 「琥珀君、私のことなんて、気にする必要ないのよ。酷い大人なんだから」 「侑奈とヒュウガ君、すっかり姉弟みたいだったわ」 「秋波君は馬鹿だし、るりちゃんもまだちょっと頼りないし、ヒロトくんは何もかも心配……。八重之助さんだって、いつまでもここにいるわけじゃないだろうし、私がここから離れるの、やっぱり心配だなあ」 「ごめんなさい琥珀君、本当の事は言えない」 「八重之助さんは優しいけど、……怖い」 「ねえ、琥珀君。私が帰って来なかったら、どうする?」 「……藤? 権藤、聞いていますか?」  鎌田の呼びかけで権藤は我に返る。話の途中だと言うのに、ふと昔を思い返していたらつい気が遠くなってしまっていた。 「あ、ああ。悪い」  鎌田は権藤の様子を訝しんでいたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。 「それで、降りるんですね」 「……ああ」 「あなたも私も、過去に縛られすぎなんですよ」  鎌田は深いため息をつき、権藤から視線を外してそう言う。誰かと向かい合ってしたい話ではなかった。そのくらい、『那由多事件』はもう何年も権藤や鎌田に重くのしかかっている。 「気持ちはわかりますけどね。鷹森那由多の事は、私も忘れられないですから」 「そういうところ、鎌田も人間なんだなって、少し安心するよ」 「何言ってるんですか『琥珀君』。僕はちゃんと人間ですよ」  いまの退魔局には権藤を『琥珀君』と呼ぶ人間はいない。そう呼んだのは那由多だけだった。 「それはよかった。『八重之助さん』」  権藤はお返しと言わんばかりに嫌味をたっぷり込めて言う。  鎌田を『八重之助さん』と呼ぶのもまた、那由多だけだった。
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