第四話「蚊帳の外」

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第四話「蚊帳の外」

 夕食を済ませて食堂を出ると、ジークは桜子を部屋に招いた。ジークの部屋は相変わらず本に溢れていて足の踏み場がない。仕方がないので桜子は前回同様ベッドに腰掛ける。ベッドの上もいつも通りに散らかっているが、以前とは違う本ばかりだ。ジークの読書家っぷりには感心するが、少しは片付けるべきだとも思う。  そんな桜子の若干の蔑みの入った視線など気にも留めず、ジークはどっかりといつものようにデスクチェアに座って足を組み、前かがみになって本題を切り出した。 「で、さっきのはどういうことなんだよ桜子」 「『那由多事件』ね。でも私も当事者じゃないから、さっき秋さんが話していた以上の事は知らないよ。それに多分、私たちが知ったところでどうしようもないと思う」 「そりゃそうだろうけどさ。気になるじゃん」 「興味本位?」 「じゃないと言ったら嘘になる」  ジークにしては珍しく素直だな、と桜子は思う。しかし、興味本位と言われてあまりいい気がしないのも事実だった。とはいえ、このまま何も言わなかったらジークは納得しないだろう。 「事件は八年前。八年前って、私が竜崎の本家から大場家に預けられた頃なの」  桜子がそう言うとジークはあぁ、とどこか納得したようだった。シーアとオルディを追っているだけあって、竜崎兄弟の過去の動向はさすがに調べてあったらしい。 「私が本家から出されたのは事件の後。本家に居ると身に危険が及ぶかもしれないからだっったって、両親からはそう説明されたよ。あの頃は今より国勢がゴタゴタしてたみたいで、軍にも政治にも大きく影響力を持つ竜崎家は狙われてたんだって」  本当かどうかは知らないけどね、と桜子は付け加える。 「狙われるって、誰に」 「所謂政敵ってヤツ? 私はその辺よく知らないんだ。実家の事には全然関わってないから。竜崎の旧臣である鷹森家の人間に粗相があれば、竜崎を攻撃する口実になる。だから、那由多さんは竜崎をよく思わない勢力に濡れ衣を着せれらたんじゃないかっていうのが、多分秋さんの言いたかったこと」  桜子は自分の実家の事なのに、まるで他人事のように無表情で淡々と話す。いつもの考えていることがすぐ顔に出るような桜子と違う様子に、ジークは違和感を感じずにはいられなかった。  まあ、こんなんでも竜崎家のお嬢様なんだから、俺とは違って色々あるんだろう、と思うことにして、深くは聞かないでおく。これで詮索しようものなら、それこそ興味本位じゃないか。 「おっかねえな、天津風国は」 「未だに黒龍国残党は滅すべしとか言ってる過激派も居るのは事実だからね。天津風は一枚岩じゃないんだよ」  現在の天津風国は、三百年ほど前に黒龍、時津風の二国を併合して成り立った国家だ。未だに土地ごとの個性が強く、黒龍は黒龍、時津風は時津風、天津風は天津風といった地域への帰属意識が強い。 「そういうわけで、竜崎って何かと目立つからさ。当時は色々あったんだって。家の事に関して私は本当に蚊帳の外って感じだから、詳しく知らないんだけどね。私だけじゃなくて、兄を除いた兄弟はみんな本家から別の家に預けられたんだ。私とすぐ下の弟は一緒に大場家に。一番下の弟は……」 「浅西家?」  ジークの言葉に桜子は無言で頷く。桜子の一番下の弟・三梧(さんご)が預けられた浅西家は、シルワネムスとの貿易を独占する有力な商家だった。 「預けられた先でも、私たち兄弟は夏休みになると浅西の別宅に集まって遊んでたんだ。……兄さんは、来なかったけどね」 「そこでお前はエンシーアとオルディに出会うと」 「そういうこと」  天津風との貿易の関係で、エンシーアとオルディが浅西家に滞在していたことはジークも把握している。ただ、天津風に滞在していたことは当時の公的記録に一切残っていなかったから、二人は国にとって相当都合が悪い存在らしい。  ジークにとっては文字で得た情報に過ぎないが、桜子にとっては大切な思い出のようだ。楽しかった当時の事でも思い返しているのか、表情が緩んでいる。 「じゃあお前、那由多事件のせいでエンシーアとオルディに会うことになったんだな」 「そうとも言えるかな」  そこで一旦話題が途切れる。気まずい。ジークはまだ色々と聞きたそうだが、桜子としてはこれ以上話せることはない。何か適当に話をつけて、さっさと部屋に戻りたい。 「ジーク起きてるか? 入るぞ」  桜子がどうしたものかと考えていると、ふとドアの外から秋波の声がした。こちらが返事をするより早く、秋波はノックをしながら扉を開いた。 「なんだ。桜子も居たのか。お前ら仲いいなあ」 「まあ、同僚ですから」  ジークはさらりと言ってのけるが、桜子は内心動揺していた。  来たのが秋波でよかった。非番の日の昼間ならともかく、こんな時間に二人で部屋に居たら、邪推されても仕方ない。阿地やヒロトだったら、二人は付き合ってるのかと弄り倒されたに違いない。  ほっと胸をなでおろす桜子に対して、ジークは顔色一つ変えていない。本気で桜子の事はどうとも思っていないらしい。桜子も別にジークが好きだとか、そういうわけではないが、全く意にも介されていないのは少し腹立たしい。秋波は秋波で、同僚同士仲がいいに越したことはないよな、とさして気にも留めていなかった。 「で、秋さん。何の用ですか」 「ああ、明日の予定、変更になったって連絡。明日は朝から一班と二班で合同演習だとよ」 「合同演習? 何のですか」 「対人戦の実践演習」 「それはまた……」  ジークは神妙な面持ちで秋波と言葉を交わす。  退魔局では日常的に訓練は行われているが、対人演習は殆どない。退魔局の対する相手は建前上あくまでも魔物だからだ。 「局長から直々に指示された。まあ、今回の件絡みで今後そういう場面もないとは言えないだろうし。俺たちはともかく、お前らって対人戦闘の経験ないだろ」 「俺はありますよ」  ジークのその言葉に桜子は目を見開く。桜子自身は対人戦闘の経験、平たく言ってしまえば、人を殺すような場面はこれまでになかった。戦後に軍に入った者なら、珍しいことではない。ジークだってそれほど軍歴は長くないはずだから、同じような物かと思っていたのに。 「へえ。意外だな。最近は西域やオクシドンタル以外はそれほど物騒じゃない気がしてたけど」 「まあ、色々あって」  秋波の追及にジークは曖昧な返事をする。それ以上聞いてほしくないようだった。 「まあ、でもいざとなってできませんじゃ困るからさ。だから演習演習。正直俺はそういうの乗り気じゃないけど、局長からの指示じゃ仕方ないよな」  秋波はジークの事は大して気にも留めず、話を元に戻す。追求したところで意味がないとわかっているからだ。誰とでも親しいようで、そうではない。一線を弁えている。桧山秋波はそういう男だ。  伝えるべきことは伝えた、と秋波は部屋を後にしようとする。ドアノブに手をかけたところで、そういえば、と何か思い出したように振り返って口を開いた。 「夕飯の時の話だけど、権藤に直接聞くことだけはやめろよ。ま、どうせ聞いたって答えやしないと思うけど、いい気はしないだろうからさ。桜子も、どこまで知ってんのか知らねえが、ジークにあんまペラペラしゃべるなよ」  秋波にしては真剣な面持ちで言う。那由多事件については余計な詮索をするなということだろうか。 「夕飯の時は秋さんが率先して喋っていたような」 「権藤に直接聞かれるよりは俺が適当にしゃべってお前が納得した方がいくらかマシだからな」  ジークの言葉に秋波は苦笑する。秋波にも必要以上に喋り過ぎたという自覚はあった。那由多事件は当時の秋波にとっても大きな事件だったのだ。だから、つい感状的になってしまう。 「じゃあな、早く寝ろよ」  これ以上この場に居たらまた余計なことまで口走ってしまいそうで、秋波は足早にジークの部屋を後にした。  残されたジークは、やはり納得がいかない。今回の一件と関係があるかどうかはさておき、自分だけ何も知らないと言うのは気分がよくない。 「結局どういう事なんだよ。事件の他にもごちゃごちゃ言ってたじゃねえか。えーと、ヒュウガ? がどうとか」  ジークは桜子に詰め寄るが、桜子は取り合う気がないらしく、腰かけていたベッドから立ち上がった。 「そろそろ寝ないと、明日に差し支えるよ。その話は、もういいでしょ」  ヒュウガ君の事は、私の口から話していいのかわからない。無神経に言いふらすのは、権藤さんにとって気分のいいことではないと思う。さっき秋さんに釘を刺されたばかりだし、ジークには悪いけど、黙っていよう。ヒュウガ君の一件は多分、シーアとオルディには直接関係ないのだ。だったら、別に知らせなくてもジークに不自由はないだろうし。  部屋を出ていこうとする桜子を見て、話す気が無いなら聞いても無駄だろうなとジークは察する。自分だけ何も知らないままなのは悔しいが、変に事を荒立てて桜子と険悪になる方が面倒だ。 「那由多事件の事はともかくさ、あんまり目立つことするなよ」  ジークが言うと、ドアの前で桜子はなんで? と顔だけ振り返った。 「局長とか鎌田さんとか、勘付いてる気がすんだよなあ」 「そうかな」 「もしそうじゃなくても、そうだったら困るだろうが」  桜子は呑気だ。呑気すぎる。ジークは内心溜息をつきながらひとり脱力する。  呑気だから無計画に軍に入ったり出来るんだろうが、その行動力に計画性とか、少し賢さが伴えばもうちょっと何とかなるんじゃないか。行動力が勿体ない、とジークは思う。 「わかった。でも困ったね。調査、また振出に戻っちゃった」 「もう勝手にやるしかないだろ……」 「勝手にって、どうやって」 「あー、その辺はまた明日な!」  ジークはなんだか無性に苛立ってしまって、このままでは八つ当たりしかねないと無理矢理に話を終わらせ、桜子を部屋から追い出した。  実際、勝手にやると言っても何の手段も思い浮かばない。調査担当が二班になった以上、ジーク達一班は一班で別の仕事があるのだ。  ジークは布団の中で一人頭を抱える。考えても仕方がない。今日はもう、寝てしまおう。 *  次の日、一班と二班合同で実践形式の演習が行われることになった。朝礼が終わると、一班と二班は局の裏手にある屋外演習場に集合した。屋外演習場は普段の対魔物戦闘の場が想定されて作られているから、遮蔽物や障害物は無い。演習場とは名ばかりで、どちらかというと運動場といった方が相応しいくらいだ。  一班三人と二班四人。一班は本来権藤とジークと桜子と、仁科の四人だ。ここに居ない仁科からは、未だに復帰の知らせはない。人数的には二班に分があるのだが、阿地は一班には権藤がいるからずるいとボヤいていた。 「銃禁止だったら二班は圧倒的不利だと思うんですけど。秋さんもるりえさんもヒロトさんも、みんな銃ありきじゃないですか」 「仕方ないだろう。銃は当たれば普通に死ぬからな」  阿地の言葉に権藤は呆れ気味に返す。  阿地は桜子より一つ年下の少年だ。二季(ふたき)国という西域の国の忍びである。局では最年少ではあるが、その実力は他の二班の面々となんら遜色はなく、日々確実に任務をこなしている。ただ、銃の扱いは年季の差で秋波やるりえには一歩劣るのであった。  彼らの使う魔術式銃はその性質上、威力を術者に依存する。二班の面々は阿地を除いて銃の使用がメインであるが、彼らは魔術も熟練している。そんな彼らの魔術銃は、実弾銃をはるかに上回る威力を誇っていた。権藤の言う通り、当たれば良くて大怪我、最悪死ぬ。 「権藤さんの超火力魔術の方がよっぽど危ないと思うけど」  阿地は相変わらずにボヤいているが、権藤はやれやれと言った様子で相手にするつもりがなさそうだ。 「それにしても、対人戦の演習は久しぶりだなあ。でもさ、私たち二班ならわざわざ演習する必要ないと思うけど」  それまで喚く阿地を暖かい目で見守っていたるりえが静かに口を開いた。るりえの言うとおり、阿地を除く二班の三人は局への所属期間が長く、実戦経験も豊富だ。 「今回のはどちらかというと、俺たち一班のための演習なんだろう」 「そうそう。今後そういう場面があったときのためにーとかって、局長が言ってたぜ」  るりえの疑問に権藤と秋波が口々に答える。それでもるりえは納得していない様子で、話を続けた。 「そうだとして、銃を使わない対人演習って意味あるの? 密売組織の奴らはきっと実弾銃使って来るだろうし、やるなら銃ありじゃないと意味がない気がする。それに事件絡みで交戦になるならきっと狭い屋内だよ? ますます意味がない気がする。ていうか昔はあったよね。屋内戦闘用の設備。あれ、今はどうしちゃったんだっけ……」  るりえは堰を切ったように、疑問とも不満ともつかない思いを吐きだした。  るりえの疑問については口に出さなかっただけで、桜子やジークも同じ事を思っていた。一班は今回の調査から外されていて、しばらく対人戦は想定出来ないのに、何故、と。 「西園寺、ひとりで騒いで、うるさい。目的なんてどうでもいいけど、そろそろ始めない? 僕午後はきっちり休みたいんだけど」  それまで黙っていたヒロトが呆れたように言った。真田ヒロト──セクレポワンの魔術師だ。無口ゆえに近寄り難い雰囲気を放っている上に、たまに口を開いても粗雑な物言いなので少々威圧感がある。 「はいはい。ヒロトくんは早く暴れたいと」 「そういう西園寺こそ、対人演習なんて久しぶりだから楽しみなんじゃないの」 「当たり前。今日こそゴンさんに一泡吹かせてやるんだから」  そう言ってるりえは息巻く。さっきまでの微妙な空気はすっかり消し飛んでしまった。  なにやら騒がしい。ふと演習場の側を通りかかった鎌田は、おや、と足を止める。 「今から演習ですか?」  鎌さん、鎌田、次長、と口々に言いながら全員が鎌田の方に向き直る。  対人演習だ、と権藤が言えば、鎌田は口の端を持ち上げた。 「なるほど。それなら僕も参加します。一班は三人だし、僕が入れば丁度いいでしょう」  鎌田の言葉に驚いて、思わず全員で絶句する。 「おいおい鎌田、どういう風の吹き回しだ? 演習なんて滅多に参加しないのに」  秋波が言えば、鎌田はいつもの笑顔を崩さずに答える。 「たまには僕も動かないと、鈍ってしまいますからね」  微笑む鎌田をぼんやりと眺めながら、桜子は昨日のジークの言葉を思い返していた。  次長は何か勘付いているかもしれない、と。
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