第五話「戦うための戦い」

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第五話「戦うための戦い」

「せっかくの対人戦闘想定なのだから、場所を変えましょう」  鎌田はそう言うとそのまま普段は誰も立ち入らない演習場の更に奥へと進んで行った。 「あ、やっぱり残ってたんだね」  一行は中央のさほど広くはない円形の広場のような所で立ち止まった。  たどり着いた場所はるりえが言っていた昔あった演習用の施設の残骸のようだった。中心に広場があり、それを横断する大きな道があって、その左右にさは入り組んだ迷路をつくるように塀が立っている。一度入ってしまえば敵からは勿論、味方からも容易に発見されないような、複雑な作りになっている。 「いつだったか、本国から退魔局は対人戦闘を想定しない組織なのだから対人想定の訓練施設は破壊しろと通達があったのですが、こんなもの壊そうと思えばいつでも壊せますからね。念の為、残しておきました。ま、手入れしてないんで廃墟同然ですけれど、あの更地でただ魔力比べの組手大会になるよりはいくらか実践的でしょう」  鎌田の言う通り全く手入れはされておらず、長年雨風に吹きさらしにされてきた為か足元にはゴロゴロと瓦礫が転がっており、残っている壁も相当脆くなっているようだ。 「この遮蔽物だらけで足元もおぼつかなのいい感じゃん。さっきのとこより断然実戦に近いよ」  先程から文句ばかり言っていたるりえは、この演習場という名の廃墟を前にかえって高揚したようだった。    一班と二班対抗の演習は、二班側に鎌田が入り四対四。数で言えば互角だ。しかし、二班の面々は普段使いの得物が使えないという点では不利である。 「ルールの確認をする。時間は十五分で、最後まで残った人数が多い方が勝ち。生死判定は急所に武器を突き付けられたら死亡。これはあくまで演習だから、勝ち負けより対人での立ち回り方を考えること」  各々が権藤に返事をする中、ヒロトだけは異議を唱えた。 「権さん。そのルールだったら、俺今日、やることない」  普段ヒロトは狙撃銃を使う後方担当だから、武器を突き付けられるような場面はほとんどない。ヒロトの元まで敵が到達することはあってはならないことでもある。  ヒロトの言い分はもっともだ。そもそも、るりえが不満に漏らしていたように銃を使わない実戦とはかけ離れた現実味のないこの演習は最初から破綻している。権藤もそれは重々承知しているから、ついつい深いため息が漏れる。 「そうだ真田。お前は今日やることがない。今日のこれは桜子やジークの為の演習だから、つきあってやってくれ」 「まぁ、いいけど」  桜子の為。ヒロトの中では合点がいった。 「まあまあ、そろそろはじめようぜ。とりあえず一回やってみれば要領は掴めるだろ」  権藤が喋っている間もずっと戦闘準備にと体を動かしていた秋波が痺れを切らしてそう切り出した。横にいた鎌田もそれに頷いて同意する。 「そうですね桧山。ルールなんて大体でいいんですよ。戦場には死んだはずなのにしつこく迫ってくる敵もいますからねそれより無茶して怪我したりさせたりしないことはい、はじめー!」  それはあまりに一瞬の事で、その場にいた全員何が起こったのか把握できなかった。鎌田は早口に一方的な開始宣言をすると、すぐ横にいた秋波の脳天めがけて固めた手刀を振り下ろしていた。が、秋波も秋波で即座に反応し、左手でそれを止めた。 「おい! せこすぎんぞ鎌田!」  そう叫んで手刀を弾き返すと、その勢いのまま鎌田が後ろに飛びのく。 「不意打ちです。実戦ではよくあること、でしょう?」  言いながら構え直すと、そのまま秋波に向き直る。他のメンバーは各々塀の奥へと散って行ったようで、鎌田の視界には秋波の他は誰も居ない。 「おいおい。このまま鎌さんとタイマンとか御免だぜ。無理無理」  秋波はヘラヘラと笑いながら言ったが、とはいえここで鎌田に背中を見せて狭い演習場を逃げ切れるとも思っていなかった。  俺がここで鎌田を釘付にしている間にるりえと阿地とで権藤をなんとかしてくれれば、と秋波は思い、やれやれと鎌田と向き合った。  お互いに出方を伺って、硬直する状態が続く。一触即発のすさまじい緊張感だと言うのに、鎌田はいつも通りの笑みを浮かべているし、秋波は秋波で知らずのうちに表情が緩んでいる。 「さっき権藤は桜子とジークの為っていいましたけど、それだけじゃないんですよ」  言いながら鎌田は秋波の間合いに踏み込む。秋波のよれたジャージを掴もうとするが、躱される。 「わかってるよ! 阿地だろ!」  秋波も同じく鎌田のジャケットを掴み返そうとするが、鎌田もそれを躱してしまう。 「ええ。阿地は危ういですね。昔の誰かさんにそっくりです」  再び元の硬直状態に戻った二人は、しばらく無言で睨み合っていた。  鎌田の突然の開始宣言によって無計画に散り散りになった各班メンバーは、広場に様子を見に行くべきか、ひとまず味方と合流すべきかどうか、各々が思考を巡らせていた。  桜子は誰とも一緒にならず、ひとりになってしまった。落ち着け、と自分に言い聞かせ、大鎌を両手で握りしめて周囲の音に耳を澄ませてみる。  広場の方角からは鎌田と秋波の声がする。二人はまだ広場に居る、という事は二班は残り三人。他には交戦しているらしき音は聞こえない。さて、これからどうしたものかと周囲を見回すも、視界にはところどころ傷つき、崩れかけている箇所もある薄汚れた塀だけ。  桜子が権藤ほどに腕に自信があれば鎌田の元へ戻って援護するという選択肢もあるのだろうが、秋波相手では自分が行っても足手まといになるだけだと分かっていた。  かと言って単身積極的に交戦しに行くのは危険だ。銃がないとはいえ、相手はあの二班。ヒロトは今日はやることがない、などと言っていたが、彼は彼で銃を持たずとも魔術の実力が十分にある。丸腰だからと舐めてかかってはいけない相手である。  どうしたものか、と桜子が思案していると、突然口元をふさがれて後ろに引き寄せられた。  ああ、しまった。終わった。そう思って振り向くと、そこには見慣れた権藤の顔があった。 「悪い。変に騒がれても困るから。今から手を離すが小声で話せよ」  桜子が小さく頷くと、彼女の口元から手が離れた。見たところ権藤は先程と変わった様子はなく、やはりまだ誰とも交戦していないようだった。 「権藤さん。合流できてよかったです」 「ああ。それよりいいか、手短に状況の確認だ。現在交戦中なのは知っての通り鎌田と……」  桧山、と言いかけた権藤は、そのまま振り向きざまに後方へと魔術を飛ばす。 「チッ、ばれたか」  権藤が牽制のつもりで放った小さな炎の塊は塀の上に器用に立っている阿地の右側を抜けていった。 「隠密の真似事をするなら影が出来る位置に立つな、阿地。それとな、場合によるがいちいち悪態をつくより黙っている方が賢明だ」  権藤が淡々と言っている間に阿地は塀から降りてきて武器を構える。  阿地の武器は、切っ先が斜めになっている短刀。二季(ふたき)の忍びが好んで使う為、忍び刀と呼ばれている。今回は演習なので、相手を傷付けないように鞘に納めたままである。  つられて思わず桜子も大鎌を構える。彼女の鎌もまた、切れないように分厚い皮で刃を覆ってあった。とはいえ、鉄の塊を振り回すのには違いないのだから、まともに当たればただでは済まない。 「真似事じゃなくて、俺、忍びなんですけど」  苦笑する阿地目がけて権藤の放つ雷撃が襲う。無論、権藤の魔術も演習だから相当に威力は抑えられている。当たれば痛いが、死にはしない。阿地は俊敏にそれらをすべて避け、権藤の後ろに立つ桜子へ斬りかかった。  桜子は阿地の刃を鎌の柄で受け止め、全力で弾き返すと同時に風の魔術を放つ。阿地はそのまま吹き飛ばされたが、着地ざま地面に片手をつくとそのままその反動を勢いに変えて再び桜子へ向かってくる。桜子は大鎌を頭上の高さにまで振りかぶって、反撃してくる阿地に一撃をお見舞いしようとしていた。それが視界の端に入った権藤は、自分の脇をすり抜けていく阿地には何の反応もせず見逃した。 「桜子、悪いな!」  阿地が目の前に来たタイミングで、桜子の鎌は振り下ろされる。……はずだった。  阿地は構えていた刀を腕ごとだらりと下ろすと、そのまま足払いをしてきた。足元に鈍い衝撃を感じたかと思うと、桜子の身体は前傾し地面に投げ出されている。手から鎌が零れ、地面に落ちて鈍い音を立てた。  阿地がそのまま桜子の首筋に刃を当てようとした瞬間、阿地は視界がひっくり返った。  ただ一瞬、青い空が見えて、次の瞬間には地面に伏していた。打ち付けられた身体に痛みを感じると共に、背中には重みを感じる。 「阿地、桜子相手に距離を詰めてあそこまで踏み込んだのは正解だった。大鎌は間合いを詰められるとどうしようもなくなる」  権藤は言いながら阿地の頭を小突く。 「残念だったな。俺が居て」  丸腰の権藤に格闘で負けるなんて、阿地は思いもしなかった。権藤も少しは感情を込めてそう言えばいいのに、淡々と言われたものだから、阿地はどうにも悔しくてつい歯ぎしりした。  阿地は権藤とまともにやり合ったところでかなわないのは分かっていたから、最初から桜子だけを狙っていたが、自分の間合いだったら権藤にだって負けるつもりは毛頭なかったのだが、結果的にはこの様である。 「早くどいてください。重いです」  感情を抑えてそう言うのが阿地には精一杯だった。  二人の様子を地面に突っ伏したままぼんやりと眺めていた桜子は、事態を把握するのにしばらくかかった。  阿地が倒されて自分は生き残ったと理解する頃、権藤の靴のつま先が視界に入る。 「いつまでそうしてるつもりだ。早く立て。鎌田を援護しに行くぞ」 *    桜子たちが交戦していた場所とは広場を挟んで反対側にジークはいた。桜子と権藤が合流しているとは知らない彼は、どうしたものかと思案していた。  周囲に人の気配はなく、今のところ誰とも遭遇していない。時間が過ぎるまで逃げ切れば負けることは無いが、それでは対人戦の演習という意味がないではないという事にジークは気付いた。  この演習に意味がない、とまでは思わないが、相当に突発的で無計画だ。桜子とジークの為、という言葉も気にかかる。通りがかりで気が向いたから、という風で演習に参加した鎌田も妙だ。彼は局長の副官で、普段は前線に出るような立場の人間ではない。  やはり権藤、というよりもはや鎌田、もしかしたら局長も自身の策略に勘付いているのではないか、とジークは思わずにはいられなかった。  思わず深く溜め息をついて、いつもの癖で背中に手を伸ばすが、いつもならそこにあるはずの銃の柄に触れることはできなかった。  ああ、そうだった。今日は銃を取り上げられていて、俺が持ってるのはこいつだけだった。  左腰に下げた短刀に右手で触れる。普段から携行してこそいるものの、銃を手にしてからはほとんど使っていなかった。自国の軍から支給されている質の低い軍刀。ジークはこれを好んではいないが、素手で二班の面々と渡り合えるとも思わないし、今日ばかりは頼るほかない。  鞘に納まったままのそれをぎこちなく腰から外し、なんとなく一振りしてみる。しばらく刀剣の類には触れていなかったからか、どうにもしっくりこない。  さらにもう一振りしようとしたところで、地面が揺れているのに気付く。何事かと考える間もなく爆音と主に背後の塀が吹き飛んで、ジークもそれに巻き込まれ地面に叩きつけられた。 「痛ぇ……」  反射的に魔術で身を守ったようで身体に傷はなかったが、硬い地面に叩きつけられたのでやはりそれなりに体が痛い。  こんなことをする人物は今の状況だと二人に一人、あるいはその両人か……。と冷静に思考を巡らせながら立ち上がる。  周辺一帯の塀はすっかり破壊され、かなり見通しが良くなっていた。土埃が舞う中に人影が二つ。ジークの考えは当たっていた。 「ゴホッ、ぐはぁ……。西園寺、これ、失敗。埃舞過ぎだし、最悪」 「これ終わったら速攻シャワーだねえ」  わざとらしく派手に咳き込むヒロトと、口元を抑えつつ苦笑が隠しきれていないるりえ。ヒロトがジークに気付き、ふらふらと近付いてくる。 「ああ、ジークハルト。やっぱり無事だったか。一応、手加減したからね」 「やっぱりヒロトか」 「うん。発案は西園寺だけど。塀なんて邪魔なだけだから壊せー、って」  呆れるジークの視線を受けても、二人は動じるどころかどこか誇らしげだ。 「いやあ、だってさ。見通し悪いと危ないじゃん?」  へらりと笑うるりえに対して、そういう演習なんじゃないのかと突っ込むべきか悩んだが、この人たち相手に何を言っても無駄だな、とやめた。  そうだ。まだ演習の最中だから、このまま与太話をしていたら、「じゃ、死んで」なんて言われて殺されかねない。  相手は丸腰二人とはいえ、ヒロトはご覧の通りに丸腰でも魔術だけで塀を吹っ飛ばして更地にしてしまうような奴だし、るりえはるりえで接近戦が得意だから、銃の有無はあまり関係がない。つまり、どう考えたって分が悪い。となれば、ジークが取るべき選択肢は一つ。 「ああ、危ないよなあ。あ、権藤さん!」  そう言って二人の後方を指さすと、思惑通り二人とも見事に振り返った。  ジークはその隙を逃さず広場の方へと走り出す。元々ボロボロの廃墟だったのに更に悪化した現場は足元が瓦礫だらけで悪く思うように走れない。だが、それは後ろで何事かわめきながら追ってくる二人も同様のようで、幸い追いつかれることはなさそうだ。  このまま広場に戻って鎌田さんと合流してしまおう。一人で二人を相手にするよりはずっといい。 *  広場では、変わらず鎌田と秋波が対峙していた。遠くで塀が破壊されたらしいという事は聞こえてきた爆音から二人とも承知していて、遅からずヒロトらがここへ向かってくるであろうこともわかっている。  開始から十分間、ずっと組み合っていたというのに鎌田は顔色一つ変えないままだ。しかし実際は息が上がりかけているし、本当なら大げさに肩で息をしたいところだ。表向き何ともないように振る舞っているだけで、鎌田は体力の限界を感じていた。  久々に格闘したためか、歳のせいか、きっとその両方だろうな、と自嘲気味な思考が巡る。  対する秋波はというと、開始時と変わらぬ様子で一切の隙を見せない。日々前線に出ているのだから普段はデスクワークの鎌田と比べるのはおかしな話だが、それにしても秋波は人並み外れて体力があった。 「そろそろ終わりにしましょう」  鎌田が一気に距離を詰め秋波の懐に踏み込み、秋波が後退するより早く鳩尾のあたりに深く一撃を入れる。 「……おいおい。冗談は顔だけにしとけよ」  くぐもった呻き声をあげながらも秋波はかろうじて立っている。 「仕留め損ねましたか」 「しぶといからな俺は」  秋波は余裕ぶってはいるが、先ほどの一撃は致命的だった。  ここで自分が倒れたらおそらく二班は負ける。阿地あたりが慢心して単身で突っ込んで返り討ちにあっているか、るりえとヒロトがふざけて権藤につるし上げられてるか、他にもいろいろ考えられるが一人や二人は倒されているはず。だとしたら倒れるわけにはいかない。  秋波は一度目を閉じてそう思案したのち、ゆっくりと目を開き鎌田を見据える。  秋波の目に宿る殺気に、しまったな、と鎌田は内心舌打ちした。  その時、秋波の背後から足音がした。 「来たのはどっちの味方かな」 「さあ。どちらにしても勝つのは一班です」  鎌田がそう言い終るかどうかのうちに、彼の背後から爆音がして塀が吹き飛んだ。周囲には瓦礫が散乱し、砂埃が立ち込める。 「秋波。死ね」  よく知っている声が聞こえた次の瞬間、突風が巻き起こり秋波は後方に吹き飛ばされていた。そのまま地面に叩きつけられる。かろうじて受け身は取ったが完全に無衝撃という訳にはいかず、先ほど打撃を受けた腹部に酷く響いた。  秋波は瓦礫に埋もれたまま声の主を捜すと、砂埃の中に思った通りの人物が立っているのを見つけた。  その後ろからちょこちょこと桜子が大鎌を抱えて走って来た。さらに後ろには阿地も居る。  あの様子だと、阿地は権藤にやられたかな……。 「権藤、ちくしょう。覚えてろよ……」  秋波は起き上がる気力もなく、そのまま力なく手を挙げてひらひらと振ってみせる。  その様子を見た権藤は満足げに口角をあげ鼻で笑った。隣に鎌田が来て肩を叩く。 「権藤、助かりました。しかしあなたは無茶をしますね。塀を突き破って来るなんて」 「西園寺か真田も同じことをしたんだろう。普通の範疇だ」  権藤は涼しい顔で言ってのけるが、並み魔術師ではいくらボロボロのそれとはいえ塀の破壊など出来ない。ヒロトも権藤も、十分普通の範疇からははみ出している。 「桜子も無事で何よりです。阿地は、……残念でしたね」  最後の方は半笑いで、鎌田はわざとらしく肩をすくめてみせる。 「笑わないでください」  くつくつと笑う鎌田を阿地が睨むが、全く意に介されていない。何とも言えない状況に、桜子は苦笑するほかなかった。 「ジークは一緒じゃないのか?」 「さあ。ここに居ないという事は西園寺と真田にやられちゃったんですかね」 「いや、そうではないようだ」  腕を組んだまま仁王立ちする権藤の視線の先には、ヒロトとるりえに追われてこちらへやって来たジーク。 「ジーク、無事で何よりです。単身で二人を相手にしなかったのはいい判断ですね」 「それはどうも」  鎌田の言葉にジークは肩で息をしながら答える。  ジークがるりえとヒロトの気を逸らし遁走した後、すぐに二人ははめられたと気付いてジークを追撃した。  ここに到達するまでの間にジークはそこそこに魔術の攻撃を受けていて、決して無事という訳ではない。 「お前らもうちょっと早く来いよな!」  るりえとヒロトはわめく声で秋波がすぐ足もとに倒れているのに気付き、遅かったかと肩を落とした。 「それだけわめけるなら大丈夫だね」  ヒロトは冷たく言い捨てると、一班の数を確認する。 「西園寺、秋波は足元で冷たくなっているし、阿地は向こうで不貞腐れている。二班は僕たちだけ。どうする?」 「いい? ヒロト、あと二分あるんだよ」 「……だから?」  るりえは軽く屈伸し背を逸らして大きく伸び、自分の頬を両手で叩く。 「いける!」  思わずヒロトは目を伏せて深いため息をついた。  なにがいける、だ。あんなに演習に消極的だったくせに、いざ負けそうになるとこうだ。西園寺は負けん気が過ぎる……。 「突っ込む! 援護は頼んだ!」  呆れるヒロトを尻目にるりえは飛び出して行く。 「まずはジークハルト! 戦場でぼんやり立ってんじゃないよ!」  突進してくるるりえを寸でのところでジークは避けた。が、ジークの脇腹にるりえの回し蹴りが決まり、鈍い音がする。  ジークの意味が分からないといったような表情を見てるりえはニヤリと悪そうな顔をする。彼女はジークが避ける軌道すら読んでいて、最初から躱した先に向けて攻撃したのだった。  一方ヒロトはジークの背後に居る権藤と鎌田に向けて魔術を放っていた。  ヒロトの魔術は、基本的に無属性魔術であり、魔力の塊をそのまま放っている強烈な攻撃だ。いわば銃を介さないだけで、やっていることはいつもと同じということ。  しかし、ヒロトの攻撃は権藤が同じく放った無属性魔術で相殺されてしまった。 「想定内」  ヒロトは小さく呟くと再び攻撃を仕掛け、権藤もそれに応戦する。  ヒロトと権藤がやり合っている間も、るりえは止まらず突進を続ける。 「お次は桜子!」  るりえの声で桜子ははっとする。ジークが一瞬で圧倒されたことに気を取られてぼんやりしていたが、気付くとるりえは目の前にまで迫って来ていた。  あわてて桜子が応戦しようと鎌を構える。しかし、るりえはひょいと桜子の間合いに潜りこむと、そのまま鎌の柄を掴んで力ずくに奪い取り、地面に放り投げた。  カランカランと鎌が地面に叩きつけられる音も止まぬうちに、丸腰になった桜子にるりえが掴みかかり、そのまま投げ倒そうとする。  桜子がもうダメだ、と思ったその時。 「はい時間切れです。残念でしたね二班のみなさん」  鎌田の一言で演習は時間切れとなり、一班の勝利で終了した。 *  旧演習場からの帰り道、阿地は自分の失態、不甲斐なさ、弱さを実感して空に吠えた。 「ちくしょー! 覚えてろよ! 次は絶対負けねぇからな! みんな俺のこと馬鹿にしやがって!」 「うわあ阿地小者っぽー。でもなー、私もなー、もうちょい時間あればなー」  阿地の横ではるりえがブツブツ文句を垂れている。最後の桜子とのタイマンは確実に取った、と思っていたから、タイムアップなんてことで負けたのが相当面白くないようだった。 「どうでもいいよ。埃まみれで最悪。さっさと帰ろう。ていうかこれ、次なんかあるの?」  ヒロトも顔にこそ出さないが、負けたのは面白くなかった。 「次やるならせめてペイント弾くらいは使ってやんないとあんまり意味ないよなぁ。まだどっかにあったっけか、ペイント弾って」  秋波はあれだけ鎌田と激闘を繰り広げていたのに、何事も無かったかのように平然と歩いている。 「知らないよ。倉庫の掃除も整理も誰もやらないし。俺、やりたくないし言われてもやらないからね」 「負けた方が倉庫整理とか言われなくてよかったよなあ」    二班の面々が雑談しながら歩く後ろを桜子とジークはとぼとぼと歩いていた。 「それにしても、鎌田さん強すぎだね」 「わざわざ演習に参加してくるとか有り得ねえだろ。絶対なんか勘づかれてる」  二人の後ろには鎌田と権藤がいるから、思わず大袈裟に小声になる。 「なーに二人でコソコソ話してるんですかー! 勝ったんだからもっと胸を張って帰りましょうよ」  後ろから鎌田が二人に声をかけてきたが、鎌田が勘づいているとかそういうことを抜きにしても桜子とジークは演習で疲れ切っていて、とても元気よく歩いて帰るなんて気分ではなかった。 「あれだけ桧山とやりあったあとなのに元気だな鎌田」 「歳をとると翌日来るんですよねえ。あぁ、明日が怖い怖い」  肩をすくめる鎌田に、権藤は深いため息をついた。 「あんなもの、さっさと壊しておけばよかったのに律儀に残しておいたんだな」 「何があるか分かりませんから。実際、今回役に立ちましたしね。もっとも、誰かさんたちが壁破りしてくれちゃったおかげでちゃんとした修繕と整備が必要になりましたが」 「俺は悪くないぞ。先にやったのは西園寺と真田だからな」 「残念。権藤、君も同罪です」  いつもの張り付いた笑顔のまま鎌田が言う。  あの廃墟を修繕するつもりがあるということは、今後もまた対人想定で演習するつもりなのか、と権藤は思った。 「せっかく更地にしてやったんだから、わざわざ金かけて直すなよ……」 *  局の北側にある一日中日陰になっている、ヤモリとかトカゲとかそんな類の生物が好むような場所に退魔局の喫煙所はあった。  かつては屋内でも屋外でもどこでも喫煙し放題だったが、いまの局長に変わってからあまりにも局長のタバコの煙が酷いと各方面から講義が殺到し、屋内外問わず全面禁煙が決定してしまった。いま心置き無くタバコをふかせるのはこの年中日の当たらない喫煙所だけである。 「あー、やっぱ痛ぇ……」 「ちゃんと医務室に行った方がいいですよ」 「阿地に診てもらったからいい」  申し訳程度に置いてある錆びかけたベンチに座り込んでタバコをふかしているのは秋波と鎌田。秋波はサボりの口実にしょっちゅうここへ来るが、鎌田が喫煙所に来ることは稀である。  帰り道でこそ部下の前だからと平然としていたが、先程の演習で鎌田が秋波の鳩尾あたりに決めた一撃と、権藤に吹っ飛ばされたのはやはりそれなりに堪える。  治癒魔術が使える阿地に応急処置はしてもらったから、かなり痛みは引いて普通に動ける。体の感覚としてどこかが折れているとか言うのは無さそうだからと、秋波はわざわざ医務室には行かなかった。 「医務室行くとほら、うるせーのが居るだろ」 「うるせーお医者様はうるさくするのが仕事ですからね」 「そもそも鎌田が本気で殴って来るからだろうが。権藤が手抜きしないのはそうだろうと思っていたが、こんな歳になってまだ鎌田に本気で拳入れられるとか思わなかったわ……」 「秋波相手に手抜きなんかしていたら自分が危ないですからね」  タバコの灰を落としながらくつくつと笑う鎌田に、よく言うわこのオッサンがと秋波は呆れ思わず肩を落とす。 「あと言い忘れてましたけど、今日二班は負けたので次の演習までにペイント弾探しておいてくださいね。あれも廃棄命令があったんですけど、倉庫のどこかに隠してとってあるはずなんで」  秋波はやっぱり次があるのかよ! とか、やっぱり負けた方が倉庫からペイント弾探すのかよ! とか、色々言いたいことはあったが、言ってもどうせはぐらかされるので、一番気にしていることだけ鎌田に言っておく。 「で、なんでまた急に演習なんて」 「気になりますか?」  鎌田は目線だけ秋波に向けて、わざわざ言わすなと牽制した。 「まあ、だいたい察しはつくけどな。俺はともかく、西園寺なんかは納得しないぜ? 事が起こってからじゃ遅い。ちゃんと話すべきだ」 「微妙な時期なんですよ。今は」  そのまま灰皿にタバコを押し付けて火を消すと、鎌田は立ち上がり喫煙所から去ろうとする。 「色々手遅れになっても知らねーぞ俺は」  秋波の言葉を背に受けながらも、無視して鎌田は歩き去った。
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