第六話「大人の事情」

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第六話「大人の事情」

 喫煙所から鎌田が執務室に戻ると、ちょうど入れ替わりで御堂が出て行こうとしていた。 「局長、どこへ行くんですか。まだ書類が山ほど残っているようですが」  すかさず釘を刺すと、御堂はどこか拗ねた様子で反論した。 「自分は書類仕事を放り出して若い奴らと汗を流してきたくせに」 「御存じで?」  鎌田は苦笑しながら御堂に見つからないように後ろ手で消臭剤を自分にかけた。御堂は超がつくヘビースモーカーだ。隙あらば今のように喫煙所へ行こうとする。もし自分が喫煙所帰りだと分かればネチネチと小言を言われるのは目に見えているから、鎌田はそっとそれに先手を打つ。 「ちょっとした噂になっていたよ。あの鎌田が演習に乗り込んでいって大暴れだって」  ははは、と笑った後普段の調子に戻り御堂は続ける。 「で、どうだった。久しぶりの戦闘は」 「別に、どうという事はありません。僕はこれでも常に有事に備えてはいますから。ああ、ただしいて言うなら久しぶりに桧山とやれて楽しかったですよ」  なるほど確かに、と特段疲れた様子を見せるでもない鎌田に御堂は感心した。 「はあ。全く優秀だね鎌田は。私は前線に出ろと言われてももう無理だ。体が言う事を聞かない。毎日足腰が痛いし、肩が上がらないし、射撃の腕も年々衰えているし。なにより毎日のデスクワークのせいで体力減退が著しくて……。ああ、そうだ喫煙所に行こうと思っていたんだっけな」  言いながら執務室から出ようとする御堂の前に鎌田が立ちはだかる。まるで真剣そうな面持ちで明らかな与太話をグダグダとしては、相手が飽きてきた頃に隙をついて喫煙所に行こうとするのは御堂の常套手段である。 「体力減退を気にするならやっぱりやめた方がいいですよ。タバコは」  鎌田は今は喫煙より先に仕事をしろと無言で圧をかけるが、そこは御堂も簡単には引かない。 「いやだなあ鎌田君。これは大人の嗜みだからね。今更やめられないさ」  そう言って御堂はタバコの詰まった濃紺色の缶をひらひらと振って見せる。彼は単なるヘビースモーカーではなく銘柄にも強いこだわりがあり、その手に持つ濃紺色の缶入りタバコ以外は全くと言っていいほど吸うことはない。  いよいよもうなんでもいいから喫煙所に行かせろという御堂の圧に付きあいきれなくなって、 「はあ、もう勝手にしてください」 と鎌田は微笑んで横によけた。その際にそっと消臭剤を元あった位置に戻して何事もなかったかのように自分のデスクに向かう。 「じゃあちょっと一服してくる」  と御堂が嬉しそうに言うのが背後から聞こえ、彼の靴音も次第に遠のいていった。  鎌田の机の上には本来午前中に済ませるべきだった書類が山積しているが、さして気にするような量でもない。定時中には片付けられるだろう。などと考えていると、 「ああ、そうだ」 と背後から御堂の声がした。てっきりもう喫煙所に向かったものだと思っていたから、少し驚いて反射的に振り返る。 「那由多事件の事もあるし、今回の件で君が熱くなるのはわかるよ。でも無茶しちゃダメだよ?」 「今日の演習参加について言っているのでしたら、あれは無茶のうちに入りませんよ」  とはいえ鎌田も鎌田で無茶をした自覚もあり、これはきっと明日体中が痛むだろうなあとは自嘲気味に思っていた。 「一班の人員不足についてはそのうち武か初音が戻ってくるようにって手配してるから、わざわざ君が前線に出てまでどうこうすることじゃ……」 「……那由多は、関係ありません」  一瞬空気が張り詰めた後、鎌田の発言はつい語気が強まった。 「君は彼女の事件のことを特別気に掛けていたじゃないか」  正確には彼女のことを、かな、と御堂は思う。思うが、口に出していいものでもないと分かっているからわざわざ言うようなことはしない。 「確かに彼女とは戦時の諜報時代からの付き合いでしたから、色々感情的になってしまっている事実を否定はしません。局長も知っての通り、当時の諜報部は表沙汰に出来ないことを沢山やってきました。だからと言って那由多自身は国に対して、組織に対して、なにより我々仲間に対して裏切り行為を働くようなな卑怯な人間ではなかった」  ぐい、と爪が手のひらに食い込んで、自覚なく拳を握り締めていたことに鎌田は気づいた。  局長、と鎌田はおもむろに呟く。 「もし今回の一件が那由多事件と関わりがあったとして、もし今回の件で何か鷹森那由多が裏切っていない証拠が発見されたとして、それで、彼女の名誉は回復されるのでしょうか」 「残念だけど、難しいだろうね。まずそもそもね、君の言う前提にはかなり無茶があるよ」  表情こそいつも通りの薄笑いの鎌田だが、いつになく重々しい空気に御堂はつられて眉尻が下がる。 「もう那由多事件は詳細を知っている人間が限られているし、当時の過激な勢力はとうに竜崎が始末をつけた。だから、既に過去の出来事になりつつある。大変言いにくいし悲しい事だけれど、今更ほじくり返すことでもないんじゃないかな」  御堂の言葉に鎌田は内心落胆した。鷹森那由多というかつての仲間の一件の真実を知る機会となりうる可能性のある今回の件には、自身と同様に長く局に勤めている御堂も無視できないと思っていたからだ。しかし、御堂の口から出てくるのは天津風軍人としての一般論と退魔局局長としての立場からの言葉ばかりである。  もういい、と鎌田が背を向けようとした時、 「ただし」 と御堂が付け加えた。 「どうしても今回の一件が那由多事件に関わっているという確信めいた勘があって、どうしようもなく気になるというのなら、上司にはバレないようにやれば問題ない」 「つまり?」 「局長である私はこの件に関して鎌田以下誰が独自に動いていようとも一切感知していないフリをする」  御堂は言外に好きに動け、と言っている。鎌田の思うようにやれ、と。 「もうバッチリ感知してますよね」  思わず憎まれ口をたたくと、御堂ははっはっはと両腕を腰にあてて堂々と高笑いをした。 「何かあった時の尻拭いは私がするさ。君たちは思い思いに好きに動けばいい。そもそも桜子が人為的な魔物の発生の可能性を口にした時、否定もせずにむしろ調査を促したのは他でもないこの私だからね」  それもそうだ、と鎌田は納得した。今日の対人想定の演習の件といい、御堂の真意を鎌田は図りかねていた。遠回しに那由多事件の真相を暴け、と言っているようにも取れたし、ただ単純に今後の局員の戦力増強の為に動けという指示にも、どちらにも捉えられたからだ。 「全く鎌田は無粋だな。わざわざ言わせないでくれよ」  言いながら御堂は鎌田に背を向けて、表情を見せないままに淡々としゃべり続ける。 「君にとって鷹森那由多が仲間だったように、私にとってもそうだった。それだけじゃないさ。私は戦争以来沢山のものを失ってきたんだ。その憂さがすこしでも晴れるというのなら、それは本望なんだよ」  局長という立場上大っぴらにそうしろと指示できないだけでね、と付け加えると今度こそ御堂は喫煙所へ向かうべく廊下を歩き去った。 「体こそ思うように動かなくなって前線では足手まといどころか役立たずもいいところだけれど、その分部下の行動の責任を取るのが私の仕事なんだから。気にすることはないんだよ。鎌田、まだ間に合う。君は君の思うように動けばいい」  御堂の独り言は誰に届くでもなくぽつりとこぼれるだけだった。 *  桜子たちは午前中の演習で体は疲れ切っていたが、午後は午後で射撃訓練があった。  演習場とはまた別の場所にあるどことなく煤けた射撃訓練場は、一班の貸し切り状態である。  ジークは普段使いのショットガンで的を射抜いてはまた射抜き、の繰り返しをしていて、午前の演習の疲れは存外に残っていないように見えた。  一方で桜子はと言えば、ハンドガンで同様の訓練をする……のだが、なかなか的の中心に当たらない。というのも、桜子は普段から大鎌の使用をメインにしていて、ハンドガンは普段はほとんど使わないが念の為にと携行している程度だからである。 「それにしたって下手くそだなお前」 「う、うるさいな。ちゃんとやってるんだよこれでも」  銃を下したジークに横から嫌味を言われるが、できないものはできないのだ。 「桜子。まず的をよく見ろ。発砲の瞬間に目を閉じるな。それともっと脇を締めて。反動の吸収がろくにできていないからズレるんだ」  後ろからの声に思わず振り返ると、発言の主は権藤だった。  権藤は普段から銃を携行しないから、そもそも射撃訓練自体をしない。普段射撃訓練をする時は、桜子とジークと、仁科が居た時は仁科との三人で勝手にやっておけと指示して自分は執務室で書類仕事を片付けていた。 「俺が射撃のアドバイスをするのがそんなにおかしいか?」  桜子の驚きと戸惑いがそのまま顔に出ていたから、権藤は思わずやれやれとため息をつく。 「これでも昔は銃も使っていたから、アドバイスくらいはできる」 「俺としてはそれ以前に権藤さんが射撃訓練についてきてることが驚きですよ」   ジークの言に桜子も無言で首を縦にブンブン振って同意する。  いままでずっと放任だったのに、一体どういった風の吹き回しだというのか。 「別に。どうもしないさ。ただ今日の演習でも分かっただろう。相手が人間だったらお前らは簡単に死ぬんだ。もしそうなった時に、上官の指導が不足していたために戦死しましたでは俺の寝覚めが悪い。それだけだ」  と言うと居心地が悪くなったのか、権藤はそのまま両腕を組んで険しい顔のまま訓練場の外に出て行ってしまった。 「……なあ桜子、やっぱ俺たちが何か動こうとしているの、勘付かれてるって」 「そう、かな」 「そうだろ。じゃなきゃ銃使わないゴンさんがわざわざ射撃訓練見に来るか?」  確かにそうだ、と桜子は思う。思うが、勘付かれていようがいまいがあまり関係がないのではないか? と今日の演習を通して感じた。むしろ、桜子は自身の実力不足を切に実感していて、権藤や鎌田の思惑がどうであれ、今の自分にとって訓練、演習、と少しでも強くなる為の施策があるのはありがたい事なのではないかとさえ思う。 「……もっと強くならなきゃって、今日、思ったの」  突然強めの語気で語りだした桜子にジークは面食らっていたが、真剣な話だと察しすぐに真顔に戻る。 「今日の演習で私はたまたま権藤さんが近くにいたから最後まで生存できただけで、最後にタイムアップになっていなかったら確実にるりえさんにやられていたから」  今日の演習は曖昧なルールに突然の開始宣言やらと確かに滅茶苦茶ななものではあったが、桜子が対人戦で終始圧倒されっぱなしだったのもまた事実だった。 「こんな実力じゃ、仮にシーアやオルディを見つけ出せたとして、話を聞いてもらう前に邪魔だって殺されちゃうかもしれないし」  苦笑しながら肩を落とす桜子に、ジークはかける言葉が見つからなかった。 「だからさ、勘付かれてるとかあんまり気にしないでさ、いまは私、強くならなきゃって。パワーアップしながら二人を探す作戦も模索しようって思うんだ」 「そりゃまた大変だな」 「大変だけど、これは好機だと思うから」 「まあ、そうだな……」  へらりと笑う桜子に対して、ジークの返答は決して歯切れの良いものではなかった。桜子にとってはただの昔馴染み探しかもしれないが、ジークにとってはそうではない。シーアとオルディの一件は母国の軍からの密命であるから、局の上層部――天津風のお偉いさん方には特に気が付かれてはならないことである。しかも、この一件を解決しないと原隊復帰ができない、つまり母国に帰れないという悲しいオプション付きである。  桜子とは目的を同じくこそしているが、どうにも異なる一件に対する意識と微妙な温度差を実感し、ジークはやりきれない気持ちで内心舌打ちをした。  そんな二人のやり取りに聞き耳を立てている人影がひとつ。その人物はいつものごとく腕を組んだまま、訓練所の外壁に寄りかかっている。 「やっぱりな……。そういうことか」  そう呟いたのは、先ほど出て行ったはずの権藤であった。
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