第七話「初夏の夜空」

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第七話「初夏の夜空」

 ジークの射撃の腕はやはりそれなりに確かなものだが、桜子のそれはまだまだ未熟で、よく言えば伸びしろがあるが悪く言えば下手くそ以外の何物でもない。権藤は訓練場を出て行ったきり戻ってこなかったため、桜子の射撃指導というていでジークがあれやこれやと文句をつけている。しかし、桜子の放つ魔弾は的をかすめるばかりで、なかなか狙ったところに当たらない。それどころか次第に弾丸の威力が落ちてきているようで、的を外れてかすった壁の部分にもさして損傷を与えられなくなっていた。 「お前午前の演習でそんなに魔力使ったか?」 「ううん。……これは単純に私の魔力不足」  たはは、と気まずそうに笑う桜子に、ジークは押し黙るほかなかった。  個人の魔力の絶対量というのは先天的に決まっているもので、後から努力でどうにかなるものではない。生まれながらに魔力を備えていたとしても、幼少期から訓練をして魔力を成長させたり、その扱い方を身に着けていかなければ、ただ生まれ持っての少量の魔力を保有するだけで魔術を扱えないただの人間になってしまう。たいていの場合、身体の成長期の終わりと共に魔力の成長も止まるからである。  桜子は幼い頃から必要最低限の魔術に関連する訓練は受けてきた。受けてきたが、それでもそもそも彼女の魔力の絶対量は決して多くはなく、前線で魔力頼りに戦う軍人向きというわけではないのだ。  一方ジークはというと、彼も彼で魔術の訓練を始めた年齢が遅かったから、決して魔力の絶対量は多い方ではない。権藤やヒロトのような局で天才だとか無敵だとか言われている魔術師にはどうしたって劣る。ただ彼はそれを十二分に理解しているから、局に来てからはその分を射撃の腕を磨くことにかけた。桜子はそうではなく、あくまでも主な得物は大鎌、とこだわっているから射撃に関してはどうしてもおざなりになり、ジークよりも遥かに下手と言わざるを得ない。 「魔力量がないなら大鎌なんてぶん回すより銃に頼った方が合理的だと思うけどな。強くなりたいっていうんなら尚更」 「……だよね。わかってる」  そんなことはわかった上で、桜子には大鎌に拘る理由があった。ただ、言ったところでジークには理解も同意も得られないだろうと思い何も言わずにいる。 「というわけで明日からは自主練に射撃訓練入れろよな」 「ジークは毎日やってるの?」 「毎日ってわけでもないけど、時間が空いたら練習するようにはしてるよ」  桜子にとってジークは空いた時間には本ばかり読んでいる印象があったから、その事実は少し意外だった。 「俺にはこれしかないからな」  言いながらジークは目を伏して、まだほんのりと温かいショットガンの砲身を撫でた。 *  日が傾いてきて射撃訓練場にも強く西日が照る頃、桜子の腹の虫が元気よく鳴る。おもわずジークと二人顔を見合わせて笑う。 「そろそろ飯行くか」  こうしてようやく今日一日の行動予定が全て終了した。  本部へ戻り、二人で食堂へ向かう途中、後ろから阿地が呼びかけてきた。 「お前ら今日の勝ちは譲ってやったけどな、次やるときは二班の勝ちだからな!」  振り返ると阿地は片手を腰にあて、もう片方でこちらをびしっと指さして眉間にしわを寄せていた。そのままごく自然に桜子とジークの間に入ってきて同じ方向へ歩き始める。阿地も夕飯を食べに食堂へ向かっている途中のようだった。  午前の演習の負けがよほど悔しかったらしい。特に阿地は特別活躍もなく権藤にしてやられたからそうなるのも仕方ないのかもしれない。 「この三人の中で倒されなかったの桜子だけか?」 「私は運が良かっただけだよ」  実際、権藤が共に居なければ阿地に最初に遭遇した時点で倒されていただろうし、そこをやり過ごせてもタイムアップになっていなければ最後の最後にるりえに倒されていただろう。 「お前さ、そんなんで殺せんのかよ、人とか」 「え?」  思いがけない問いかけに思わず間抜けな声が漏れる。 「今日のは対人演習だろ? 人殺しの練習じゃん。だったら実際に殺せなきゃ意味ないだろ」  阿地は視線だけを桜子に寄こして、あくまでも冗談、というような口調でそう言うが、その言葉の端々には桜子を侮っているが故の棘が含まれていた。 「今回の任務を一班が降りて、お前ら二人が不満なのは見ていればわかるけど」  阿地は一度目を伏してから誰を見るでもなく虚空を睨み上げ、挑発的にこう言った。 「でも、桜子、ジーク、お前ら人間殺せるか?」 「俺はここに来る前、任務でそういうこともあったから、殺せと言われれば殺せる」  淡々と事実を述べるジークに対して、桜子は急に投げかけられた想定外の質問に軽く混乱する。 「私は……」  人を殺したことなんてないよ。桜子はそう言おうとしたが、妙に張り詰めた空気に気圧されて言葉が詰まる。阿地の人を食ったような態度になにか反論してみせたいが、桜子には人を殺した経験などなかった。 「そ、そういう阿地はどうなの」 「殺せる」  そう阿地は即答する。 「当たり前だろ。俺は二季の忍びだぜ?」  そう自信ありげに言う阿地の目は笑っていなかった。  阿地の母国である西域の二季(ふたき)国は、国を治める長として国主が存在し、その下に『忍び』と呼ばれる荒事に長けた軍事組織が置かれている。西域は小さな小競り合いから大きな戦争までここ数年はずっとどこかしらで戦火が上がっているような状態だ。そんな地域の国の忍び――軍人ということもあって、阿地にはそれなりに実戦経験があった。 「桜子、お前がそんなだから今回の件に関して一班は降りるとか、権藤さん言い出したんじゃねーの!」 「うっさいな! 阿地だって今日権藤さんに酷いやられ方してたじゃん! 演習じゃなくて実戦だったら死んでたよ!」 「実戦じゃあんなヘマしねぇよ! つーか、運でたまたま生き残っただけの奴に色々いわれたくねえ!」 「は、はあ? 運も実力のうちだってば!」  もう食堂は目の前だというのに、阿地と桜子とで口論に発展してしまった。廊下に二人の騒がしい声が響くが、ジークはなんだか呆れて止める気力もない。  阿地からは悪意というより敵意を感じる、と桜子は思う。『竜崎家のお嬢様』が半端な覚悟で軍人をやっていることと、阿地自身が二班では一番実力的に下に位置することが面白くないことと、ここでの生活に関する諸々の苛立ちを自分より実力が劣り上から物が言える桜子に対してしているただの八つ当たりである。だからといって、私に当たられても……と、いうのが桜子の正直なところ。  人探し、そして自力の強化という明確な目的がある桜子には阿地の相手をしている場合ではないのだ。だが、こうも露骨に喧嘩を売られて黙っていられるほど桜子も大人ではなく、つい応酬してしまうのであった。 *  今日はゆっくりお風呂に浸かりすぎた。少し湯冷ましを、と桜子は寮の廊下からバルコニーに出ると、ちょうど夜風が吹き抜けて気分がよかった。ふと夜空を見上げると雲一つなく、たくさんの星がはっきりと輝いて見えた。桜子にはどれが星座かなどとはわからないが、少しずつ冬の空から夏の空に変わってきていること程度はわかった。  退魔局の戦闘員が住む寮は、もともと地域の富豪が所有していた豪邸でそれを改築したものである。軍医などはまた別の建物で生活しているため、この寮には御堂、鎌田以下一班から三班までの戦闘員しか住んでいない。そんなわけで、本来軍の施設には必要とされていないこういった大きなバルコニーがそのままあったり、地下にはワインセラーがあったり、一階の奥には撞球室なんかもあったりする。  当初は現在のように浴槽がなくシャワーだけだったらしい。しかし、初代の退魔局局長が「基地に風呂がないとは何事か! 我々は終戦してもなお前線で戦い続けるのだぞ! 士気に関わる! 風呂を作れ!」などと喚いた為に天津風式に浴槽とシャワーのある浴室に改造されたらしい。この話は半ば都市伝説化しているのでどこまでが本当の話かわからないが、一日の終わりにゆっくりお湯に浸かれるというのは全く贅沢でありがたいことだなあと桜子は感謝している。 「お、こんなところに人がいるなんてめーずらしー!」  片手にワイン瓶をひっさげたるりえが騒がしくバルコニーに出てきた。るりえは次の日が非番の日にこうして定期的にワインをはじめとした酒類をラッパ飲みをしながら寮の中を徘徊している。今日は赤ワインのようで、手に持つ安い銘柄の瓶の中身はもう半分なくなっている。酒好きだが決して強いわけではないため、このように出来上がっては寮で出会った誰かに絡みに行くというるりえ以外の全員にとって迷惑極まりない行為をしている。 「誰かと思って来てみれば桜子ちゃんじゃないですかぁ〜。さすがに夜はまだちょっと寒いねえ」  半袖Tシャツに部屋着のスウェットとかなりラフな格好で現れたるりえは、夜風に思わず肩を震わす。夜の闇の中でも分かるほどに酔いのせいで耳まで顔が真っ赤だが、存外とまだ理性は残っているようだった。 「そんな恰好で徘徊してるからですよ……」 「今日は最初ひさぎの部屋で飲んでたんだよ。そしたらさ、私は明日早いんだーっ! って怒られて追い出されちゃってさぁ。私は明日非番なのにだぁれも付き合ってくれないし、もうつまんなくてつまんなくて!」  呆れる桜子のことなど気にも留めず、終始楽し気にるりえはそう話した。 「……悩みがあるならお姉さんに話してごらんよ〜」  るりえはおもむろに桜子の眉間に人差し指をあてて、ぐりぐりとそれを押し付ける。 「な、なんですか急に」 「眉間に皺が寄っておりますぞ! 竜崎二等兵」  言われて初めて桜子は自分が相当険しい顔をしていることに気づく。 「こう見えても私、軍歴イコール退魔局歴だし、軽く十年くらいはここに居るんだよ。何でも聞いてくれて構わんのだよぉ? 竜崎二等兵」  ニヤァ、という擬音が似合うほど楽し気に口の端を持ち上げてそう言うるりえに、思わず桜子は深いため息をついてしまった。 「ちょっと! 先輩が真面目に心配しているのになんでため息なのよ!?」 「酔っ払いだからですよ」 「酔っ払いだからこそ聞けることもあるって。なんかあったんでしょ? その顔は~、阿地かな?」  見事に言い当てられてぎくりとしたが、るりえ自身は何か確信があって言ったわけでもなさそうだった。 「お、正解かい? 今日は阿地機嫌悪かったもんねえ。二班は演習で負けたから午後も非番じゃなくて倉庫でペイント弾探しになってさ。よっぽどの負け方をしたのか知らないけど、ずっとブスーっとしてたよ」  るりえはバルコニーの手すりに寄りかかったまま、時折ワインをあおりながらそう言った。  桜子は桜子で今日の夕方やけに阿地が突っかかってきた理由がなんとなくわかった。あんな負け方をした上に午後の非番が潰れて倉庫で探し物をさせられていたら不機嫌になっても仕方がなかろう。だからと言って自分に八つ当たりするのは筋違いではないかとも思う。 「なるほどなるほど。それで阿地くんと喧嘩しました〜ってわけですね」  夕方の廊下での出来事をるりえに話すと、酔っ払いの割には素直に耳を傾けてくれた。なんといったらよいのやら、とるりえはしばし顎に手を当てて考えるフリをした後、 「でも阿地の言ってることも間違ってないよ。軍人である以上、人を殺す覚悟も持ち合わせていないといけない」 とても酔っ払いとは思えないほど冷静な声色でそう言った。  「俺を殺しに来い」  見慣れた銀髪に血に染まった黒いジャケットの後ろ姿。  桜子がかつて最後にシーアに会った時、彼から言われたその一言が脳裏に浮かぶ。 「私も昔、そうだったよ。自分が人を殺せるなんて思ってもいなかったし、殺したいとも思っていなかった」 「るりえさんも?」 「うん。私も桜子と同じで軍学校出ないでここに来たからさ。自分が軍人って自覚が薄かったんだろうね」  軍人としての自覚。シーアとオルディを探すためだけに軍に入った桜子には一番足りていないものだった。  いざそう言われてみると、確かに自分は阿地やジークのように対人で実戦的な任務を請け負ったこともないし、魔物を倒してこそいるもののそういった自覚は足りていないと感じる。 「……私、今日の演習でもっと強くなりたいって思いました。今のままじゃダメだって思いました」  探し人を見つけるためだとか、見つけた挙句に戦闘になったら困るからだとか、本当の理由は言えないけれど。 「そっかそっか。今日みたいにちょっとずつ経験積んでいけばまだまだ強くなれるよ。桜子は伸びしろの塊だもの」  言いながらるりえは桜子の頭を乱暴にぐしゃぐしゃとかき回した。 「それに大丈夫だって。今は戦時じゃないからさ、たくさん殺したから偉いとか、殺してないから役立たずとかそういうんじゃないから。今回はたまたま対人系の可能性がある任務が発生しちゃっただけだし。桜子はここでやるべきことは十分やってるよ」  自分でかき回してぐちゃぐちゃにした頭をぽんぽんと軽く叩くと、るりえは瓶に残っていた赤ワインを一気に飲み干した。 「あんまり深く考えない方がいいって。大丈夫、大丈夫。なんかあったらゴンさんが全部フォローしてくれるだろうし」  桜子はそういわれてもやっぱり自分に自信が持てなくて、このままでいいのかと曇り顔だ。これだけ言ってもどうにも腑に落ちない様子の桜子を見かねて、るりえは空になった酒瓶をその場に置いて桜子の正面に回り込み、両肩ををつかんでこう言った。 「それにね、人間って防衛本能っていうの? ちゃんと生き残れるように作られてるから、本気で相手が殺しに来たら死にたくない! ってちゃんと反撃できるよ。私たちって毎日訓練したり魔物と戦ってるから、そうなったらきっと自然と体が動くよ。その結果、殺すことになるかもしれないけど。それならそれで、殺した後に悩んだって遅くはないんだよ。だって、そういう状況で殺す相手って言うのは大抵やむを得なく殺す相手だから……、ええと、あはっは、うまく言えないや……」  るりえがるりえなりに激励してくれていることを感じて桜子はただ無言でうなずいた。 「あとさ、あんまり阿地の言うことは真に受けない方がいいよ。八つ当たりだもんね」  るりえも同じことを思っていたのだと桜子は安心し、思わず二人顔を見あわせて苦笑する。  「殺せるかな、私……」  私に人は殺せない。そう思っていた。でも、殺さなきゃ殺されるんだ。殺さなきゃいけない時がいつかきっと来る。その時にちゃんと、できるかな。  シーアは殺しに来いって言った。でも私はシーアのことも殺したくない。自分の手が汚れるのが嫌だから? 違う。例え世間的には極悪人でも、私にとっては大切な人だから。でももし任務で殺せって言われたら、私はシーアを殺せるのかな? 「おーい、桜子さーん」  ふと一人思索にふけってぼーっとしてしまっていた桜子の眼前でるりえがひらひらと手を振っている。また軽く夜風が吹いて、二人して少し身震いする。同時に桜子はるりえからする酒の匂いの強さに少し呆れた。 「ちょっと飲みすぎですよ、るりえさん」 「そうはいってもねえ。飲まなきゃやってらんねー、ってなるよ。ずーっとここにいるとね」  そう言ったるりえの表情はどこか何かを諦めているような遠い目をしていて、桜子はなんだか無性に寂しくなった。そんな桜子にるりえはまたもやおもむろに眉間に人差し指をあてて、ぐりぐりとそれを押し付ける。  「桜子。若いのにあんまり眉間に皺寄せてると、ブサイクになるぞ!」  にしし、とるりえはさっきまでの哀愁など嘘のように笑うと空瓶を持ってバルコニーの出入口へと向かった。バルコニーから廊下に出る時、おもむろに振り返って、 「あんまり思い詰めなさんな。なるようになる。時間が解決することもあるのさ」 そう言ってるりえは楽しげに笑い去っていった。 「時間が解決、するのかな……」  桜子の心中は穏やかではない。シーアとオルディを探す具体的な案もまだ浮かんでいないし、自分が強くならなければということも考え始めると自分で自分を追い込んでしまっている。桜子の心はただただ不安でいっぱいだった。
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