第八話「煙の中で」

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第八話「煙の中で」

 相変わらずじめじめとしていて日の当たらない退魔局の喫煙所。タバコの煙が二筋立ち上っている。  先客がいたか、と自主訓練の合間に立ち寄ったジークは思う。誰かと思って覗き込むと、そこにいたのは権藤と秋波だった。 「なんで非番なのにこんなところで昼からタバコ吸ってるんですか」 「なんでって、他にやることないから」  ジークの問いかけに無気力に答えた秋波は、メンソールの強いタバコを吸いながら、ぼんやりと薄曇りの空を見上げている。 「突っ立ってないで座れ」  言いながら権藤は横にずれて一人が座れる分ベンチを空けた。促されるがまま、ジークは権藤と秋波の間に腰掛ける。  二人に挟まれることなどめったにないので、ジークは妙な圧を感じた。桜子と自分の策略が周囲に――というより権藤や鎌田にバレているのではないかという件について考えすぎているが故の気のせいか、それとも……。  権藤は灰皿にタバコの灰を落とし、ふぅ……と深く肺にためていた空気を吐き出すと、ゆっくりとジークに向き直ってこう言った。  「なあジークハルト。お前、何を企んでいる?」  権藤のその言葉に、ジークは頭が真っ白になった。胸ポケットからタバコを取り出そうとしていた動作が止まり、手に汗がじわじわとにじんでくるのが分かる。  あれ、俺どこかでしくじったっけ? バレるようなことしたっけ? 権藤さんの前でやらかした記憶はないんだけどな……? そもそも今は何を疑われているんだろう? 桜子との共謀の件? 俺自身の任務の件?   思考が混乱してすっかり固まってしまったジークにしびれを切らした権藤は、イラつきを隠さず眉間に皺をめいっぱい寄せている。まだ半分以上も残っている吸いかけのタバコを灰皿に押し付けて火を消しそのまま捨てた。そして、いつものごとくふんぞり返って両腕を組み、軽くため息をついた後ようやく話し始めた。 「昨日、射撃訓練場でお前と桜子が話していたのが聞こえた。『シーアやオルディを見つけ出す』……一体なんのことだ? 今回俺たちが降りた任務とは関係あるのか?」 「それは……」  聞れていたのか。しまったな。聞かれたのは彼らの名前だけ? だったら誤魔化しきれるかもしれない。ああでも、よりによって相手があの権藤さんだ! エンシーアとオルディについてもしかしたら知っているのかもしれない!  ジークの頭の中は未だ混乱していて、どう返したものかと思案するも、全くどうしたものやらわからない。 「誤魔化そうったってどうせ無駄だから、この際全部話しちまえよ」  それまで黙ってなりゆきを静観していた秋波が不意に口を開いた。 「いまここにはお前以外に俺と権藤しかいねえ。何かやべえ話を聞いても、俺と権藤が黙っていればいいだけの話だ」 「……黙っていてくれる保証があるんですか」 「まあ、内容によるけどよ。でもまあ大方お前の、というよりはお前らのか……。その内容の予想はつくしな。黙っててやるよ」  だから全部喋れ、と変わらず秋波は遠くの曇天を見つめたまま淡々と圧をかけてくる。  誤魔化しきれない、逃げ切れないと判断したジークは、促されるままに桜子との共謀の件について権藤と秋波に話した。といっても、すべてをありのままに話すほどジークは無警戒ではない。名前を聞かれてしまっている以上、エンシーアとオルディという人物を探していることは伏せようがなかったので、細かい事情は抜きにして仕方なしに事実を話した。他にも、桜子が元々人を探すために退魔局に入ったということ、桜子の探している相手――シーアとオルディとはどういった関係なのかということは自分の口からわざわざ言うべきことでもないだろうと伏せておいた。  ジークが自分の意思で二人を探しているということになってしまうと、その裏にある二人を見つけるか死んでいる証拠をつかんでこなければ局から国へ戻れないという事情まで話さなければならないだろう。彼としてはそれは避けたいと、あくまでも桜子が人探しをしていて、自分は同僚としてそれを手助けしている立場であることを強調して話した。まるっきり真実でもないが、まったく嘘でもない。 「なるほどな」  ジークの話を黙って聞いていた権藤はただ一言そう言った。 「俺は最初、お前の、……いやお前らの様子がいつもと違うのは、今回の密売組織と何らかの関係があるからだと思っていた。事件の捜査から降ろされた不満からかとも思った。特にジーク。密売組織の取引先はお前は専らシルワネムスだからな」  だが、そうではなかった。桜子の人探しという考えていたよりずっと意味深で面倒で難解な理由だったので、思わずため息が漏れた。 「ジークハルト。お前はシルワネムスの軍人だ。その立場を利用して銃密売の手助けでもしているのか、それとも逆に、密売組織となにか因果があって、どうしても自分が事件に関わりたい理由があるのか。……そんなことも思っていた」 「俺が密売の手助けなんて、まさか。するわけないじゃないですか」  そんなふうに疑われていたのか、とジークは思わず、ははは、と乾いた笑いが漏れる。  結局ほとんど全部話してしまったが、肝心の自分の任務の件はなんとか隠し通せたと内心安堵していたジークに、 「で、そんだけか?」  と、秋波の言葉が鋭く刺さった。 「桜子が人を探しているからって、お前が手伝う義理なんてないだろ。お前ら二人は大親友ってわけでもないんだし。竜崎家関係なんて首を突っ込むだけ面倒だと分からないほどお前は馬鹿でもないだろ? お前が桜子と共謀する本当の理由はなんだ?」   秋波の三白眼がようやく遠い虚空からジークへと向いた。強すぎる眼力にジークは思わず気圧される。  もっとも過ぎる追及に、今度こそ隠し切れない、この二人を前にして隠し事は無理だ、とジークは額に脂汗をにじませながらへらりと笑ってみせた。 「まったく、人が悪いですね秋さんは」  桜子に話してしまっている時点で、自分の任務の秘匿性などとっくに失われている。この場面で二人に話さず乗り切れる方法も思いつかないし、もうすべて話してしまうしかない。  ジークは汗のにじむこぶしを握り締め、うつむいたまま口を開いた。 「いいですか? これから話すことは俺の大きな大きな独り言です。ただし、他言無用の独り言ですよ」  そう前置きをしてジークは語り始める。 「……俺はシルワネムスの軍の上層部からの命令で、エンシーアとオルディを探しています」     ジークが軍の命令で桜子の探す人物と同じ人物を探していること、それが理由で桜子に協力していること、密売事件をきっかけに人探しが進展するかと思いきや事件から降ろされてしまったこと……。これまでの経緯を権藤と秋波に洗いざらい話した。 「……そんなわけで、俺は桜子の探している二人を見つけるなり死亡の確認をするなりしなければ国への帰還辞令が出ません。このままだと一生退魔局暮らしになってしまう。そういうわけにはいかないから、状況を打開しようと桜子と組んだってわけです」  あーあ。結局、殆どすべてを話してしまったな……。  ジークは二人の反応がどうかよりも、ずっと隠していたことを吐き出してしまったことに対するなんとも言えない感情に囚われていた。 「おいおい。お前、思ったよりやべえ状況に置かれてんのな」  灰皿にすっかり短くなったタバコを強く押し付けながら、秋波はまるで他人事のように言った。 「ええ、まあ。シルワネムスの下っ端軍人なんてこんなものですよ」  ジークはもう自嘲するほかなかった。 「でもなんでそんなに国に帰りたいんだ? シルワネムスなんて庶民はまともに飯も食えないようなクソみたいな国だろ。ここにいた方が美味いものも食えるし、理不尽な上官もいないし。そう悪いところでもないと思うけどなあ」 「秋波、誰もが俺たちと同じで国に家族や待っている人がいないわけじゃないだろう」  権藤がたしなめるが、秋波はどうにも納得がいかないようだった。 「そういうもんかねえ。俺にはわかんねえなあ。そもそも俺にはさ、祖国ってもんがまともにねえから」  秋波の出身は、かつて大戦の舞台になった亜魏(あぎ)である。秋波は幼い頃に戦災孤児となった後、各地を渡り歩く傭兵団に拾われた。少年時代を各地を転々とする傭兵団で育った秋波には、故郷や祖国という概念がないのだ。のちにその傭兵団が富出に雇われることとなったのが秋波と富出――そして権藤との関わりのはじまりであり、戦時のうやむやのまま秋波の所属は富出(とみで)国ということになっている。なってはいるが、あくまでも所属、というだけで、本人は富出国の人間だとか、富出が故郷だとかいう認識は一切ない。  まして、孤児である秋波には肉親はおらず、家族同然に慕っていた傭兵団とは既に決別している。桧山秋波を縛るものはなにもないのであった。 「……俺は国に帰ったら革命を起こそうと思っています」  ジークは絞り出すようにか細い声でそう言った。  ここまで話してしまったら、もうこのことも誰かに話してもいいか、そんな多少投げやりな気持ちになっていた。 「俺にはシルワネムスで俺を待っている仲間たちが居る。一緒に国を変えようと、こんな惨めな人生を終わらせようと誓い合った仲間たちが。だから、俺は何としてもこの任務を果たして国に帰らなきゃならないんです」  ジークの母国・シルワネムスは貧富の格差が激しい国だ。富めるものは富み、貧しきものはますます貧しくなっていく。そういう社会構造が長らく続いている国だ。戦時に難民が多く流れ込み、その関係で治安も決して良くはない。ジークも貧困層出身で、幼い頃から随分と苦労して育ってきた。たまたま魔術の素養があったから、今は軍人になって自分の食い扶持を稼ぐことができているが、魔術が使えないとなるとまともな仕事に就くことすらままならない。 「桜子には悪いけど、俺にとってシーアがどんな奴でどうだろうと、どうだっていいんですよ。とにかく俺は国に帰りたい」  まさかそんな重大なことを言い出すとは思ってもいなかった権藤と秋波は、あっけにとられてとっさに言葉を返せなかった。 「……お前、そんなことを俺たちに話してしまっていいのか? 革命を起こすって、お前はシルワネムス反体制勢力の一員ってことだろ?」 「権藤さんたちなら知ったところで知らないふりをしてくれると思ったから話したんですよ」  半分本心で、半分嘘である。ジークは国に帰りたい理由――このことは桜子にさえ誤魔化して本当のことは言わなかった。秘匿任務の件を話してしまっているから、その実共有する隠し事が一つや二つ増えたところでどうということもなかったのだが、天津風のお嬢様育ちの桜子に話しても理解も共感も得られないだろうな、と思っていたから言わなかった。 「おかしな国をなんとかしたいっていう気持ち、権藤さんなら少しは分かってくれるかなって思ったんで」  権藤は自分を名指しされると思っておらず、思いがけずドキリとする。 「……俺は富出が壊れて腐っていくのを見過ごした人間だ。お前とは違うさ」  権藤の祖国・富出という国は、西域とかつての亜魏や天津風の中間地点にあって、中継ぎ貿易によって栄えた商人の国である。戦時はもちろん、戦争が終わった今も天津風と西域を繋ぐ貿易路として一点栄えている国である。  かつては富出の軍といえば権藤のように技巧派の魔術師が多いことで知られていた。しかし、大戦により多くの魔術師の命が失われた。結果、商人たちと軍人たちの力の均衡が崩れ、現在では軍人の立場はかなり低くなっており、政治でもなんでもあらゆる場面で商人たちが大きな顔をしていて、幅を利かせている。 「権藤さんは、ご自身でなんとかしようとは思わなかったので?」 「その頃にはもう家族も家財もみな失った後で、唯一残った末弟は天津風に養子に出したから、俺は富出という国になんの未練もなかったんだ」  権藤は新しいタバコを取り出して火をつけながら淡々と語った。 「いや、富出の衛士(えじ)として国そのものには執着はあった。が、だからといってどうにかしようと思った頃には俺一人が足掻いてどうにかなる段階はとうに過ぎていた」  富出の衛士とは、かつての富出軍の中でも特に優れた魔術師の一団のことである。権藤は大戦時そこに属しており、今も所属上の原隊は富出衛士である。が、もはやかつてのように人々の羨望を受けるような威厳ある肩書きではなくなってしまっている。  若き日の権藤は富出衛士であることに大層誇りを持っていた。もっとも、いまはその肩書に全くこだわりないのだが。 「……お前は後悔するなよ」  権藤は静かに目をつぶり、もはや戻りはしない遠い昔に思いをはせる。 「成功しようが失敗しようが、行動を起こすこともなく終わっていくよりはずっとましだ」 「だな。お前はそのナントカいう奴らを見つけて、さっさと国に帰っちまえ。正直いって俺にはシルワネムスがどうなろうと、お前が反体制勢力だろうっとどうでもいいし」  秋波も新しいタバコに火をつけながらジークに言う。  ジークもその言葉を聞いて安堵する。国とか体裁とか派閥とかいうものにさして執着や関心がない秋波なら、きっとそう言うと思っていた。  「でも、やっぱ俺には愛国心とかよくわかんねえなあ。そこまで熱くなれるのは、ちょっとだけうらやましいわ」 「別に俺のは愛国心からではないですよ。生まれで全てが決まってしまう。そんないまのシルワネムスの理不尽な現実が許せないだけです」 「お前、存外に暑苦しい奴だったんだな、ジークハルト」  煙を吐き出しながら権藤がつぶやいた。 「権藤、お前もこれで結構暑苦しいから似た者同士じゃねえか」 「……そうだな。そういうのは嫌いじゃない」  珍しく素直に肯定する権藤に秋波はつい笑いが漏れた。 * 「……で、話を戻すが、お前と桜子とで人探しをやってても進展がなくて、今回の密売組織に関係があるんじゃないかと思ってたいら俺が一班は降りると言ったからまた手詰まり、というのがお前らの現状か」  権藤はいつのまにかタバコを吸い終わり、いつものごとく両腕を組んでふんぞり返っている。 「密売組織の件は二班で何とかするから大丈夫だ。その探し人が関係してそうだとか、なんかわかったら教えてやるよ。鎌田も鎌田でなんか策は考えてるみたいだし、お前らはお前らでどうしようもないことでじたばたしてないで目の前の自分の仕事をしてろや」 「それこそ桜子の強化も必要だしな」  先日の演習や射撃訓練での桜子を思い出して、権藤は今まで甘やかしすぎたなと多少は反省していた。先が思いやられるが、桜子も立派に一戦力として一人でも十分に戦えるようにしなければ、これから先なにがあるかわからない。 「桜子と二人で人探しをしている件を聞いたことは俺から桜子にさりげなく言っておく」  その言葉を聞いてジークは正直安堵した。あれだけ桜子に悟られるなと釘を刺しておきながら、洗いざらい全部話してしまったし、どの面下げて彼女に報告すべきか、と苦悶していたところだった。 「お前の秘密を随分聞いちまったからな。俺らの秘密も教えてやるよ」  ふう、と煙を吐き出しながら秋波は笑いながら言う。  「先日の魔物の出現場所が変わった件と、今回の密売事件が関わっていると仮定して鎌田は動いてる。桜子の言ってた人為的な魔物発生の可能性ってやつだな。それにな、昔もあったんだ。同じようなことがよ」 「もしかしてそれも那由多事件に関係が?」  ジークの言葉に権藤と秋波は無言で深く頷いた。 「今回の密売組織の一件は、俺たちは、……鎌田も、そしておそらく局長も、ただの事件とは思っていない」 「俺たちは那由多事件の解決……いや、事件の真相を知ることをあきらめちゃいないんだ」  権藤は淡々とそう言っていつも通りに眉間に皺を寄せていたが、その言葉にジークはただならぬ重さを感じた。 「あと今日のお前の大きな独り言は誰にも言わないから安心しろよな。主に後半部分は」  そう言って秋波は歯を出していたずらっぽく笑った。
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