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「さっき、お兄さんが言ってたんです。子供の頃、その瓶を見つけたときに」
さゆりは、母の手の中の瓶を差した。
「お母さんは、もういらないって仰ったって」
「……」
「でも、宝ものなんですよね」
「そうだよ、宝もの」
母は、瓶に目を落として言った。
「子供たちの好きなもの、嬉しくて覚えたくて、メモに書き留めてた。あの頃は、ひとつひとつの発見が嬉しくて」
スッと立ち上がると、母はタンスの1番下の引き出しを開けた。
「あの子たち、瓶は見つけたのにこっちは見つけなかったのね。やっぱり、どこか間抜けてるみたい」
手招きされて、さゆりは母の隣にしゃがんだ。
「この瓶は、ほんの一部」
タンスの中の衣類をめくると、四角い缶が出てきた。お菓子の空き缶である。
「ここにも入ってるんだよ」
「開けても?」
「もちろん」
缶のふたを、カチッと外す。
紙の束が、わっと中からふたを押し上げてきた。
「すごい、」
子供たちの好み、笑ったこと嫌がったこと、事細かに書いてあった。
「自分でもよくこんなに書いたなって思うよ」
と母は言った。
「あの頃は、私も必死だったみたい」
「ええ……」
「でもね、ある時からいらなくなったの。毎日毎日、がむしゃらに過ごしているうちに、覚えていった」
母はそっと紙をなでた。
「あの子たちの好物も、機嫌の悪い時の表情も、隠し事してるときの顔も、嬉しい時の声も、全部……全部」
顔を上げて、ふふっと笑った。
「当たり前だよね、毎日何年も一緒にいるんだもの。嫌でも覚えるよ」
「だから、メモを見る必要はなくなったって」
「そういうこと」
母はうん、とうなずいた。
「これは、もうお役御免。あとは思い出にしてしまっておくだけ。私の宝もの」
「そうなんですね」
息子たちの前では見せない、穏やかな笑顔。
これがお母さんの本当の顔なのだろう、とさゆりは思った。
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