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招かれざる客は、ハムだけは食したい
ルシータがレオナードの手を借りて馬車を降りれば、お茶会の会場はすぐそこだった。ちなみに会場はヨーシャ邸の庭ではない。
ちなみに招待状は、届いた日に一度だけさらりと目を通したっきり、机の引き出しの奥に封印したまま。
なので見返すこともしなかったルシータは、瞬きを何度か繰り返した。
「ここって公園ですか?」
ヒールの高い靴を履くことなどめったにないので、ルシータの足取りは生まれたての小鹿のようにおぼつかない。
「いや、ヨーシャ卿の私有地だよ。確か友人と出資して買い取ったそうだ。───ほらルシータ、僕の腕に身体をあずけてごらん」
「へぇー……公園なんて至る所にあるのに、わざわざ?───あとレオナードさま、歩けますからっ」
許可なく腰に手を回すレオナードにルシータは慌てて距離を取ろうとする。
けれど、すぐによろめいてしまい、結果として更にレオナードと密着する結果となってしまった。
そしてレオナードの手は、どこまでも優しい。でも、有無を言わさない力強さがあった。
会場の庭園は施設の薬草園とは違って、目を楽しませるためだけの色とりどりの花が植えられている。
幾何学模様が描かれたタイルを敷き詰めた遊歩道には、等間隔にバラのアーチを抜けるように設計されていて、その間にはヒナゲシ、フロックス、ポピーといった今が見頃の花たちが、初夏の風を受けて気持ち良さそうに風に揺らめいている。
もちろん本日はお茶会。なので、東屋以外にもたくさんのテーブルが用意されている。
どれも真っ白のパラソル付きで、既に到着している招待客は、各々が好き勝手に着席をして、お喋りに花を咲かせていた。
そんな今日この日の為にめかし込んだ同級生たちを目にして、ルシータは小さく鼻を鳴らした。到着して3分でもう帰りたい。
それに慣れないヒールは体力を根こそぎ奪う。少し歩いただけなのに、もう膝が笑っている。
既に、くたくたになっているルシータは、小さく息を吐く。けれど、次の瞬間、鼻をひくつかせた。
お茶会といえど、今は午前中。
そして昼食もここで摂ることを前提としているのだろう。風に乗ってシェフがサンドウィッチ用のハムを焼いているのか、食欲をそそる良い匂いも漂ってきた。
敢えて言おう。このハムは、かなりの高級品だ。
───……食べ物には罪はない。これだけ食べたら帰ろう。それに何か食べないと、馬車まで戻る体力が無い。栄養補給は必要だ。
ルシータがはしたなくも、そんな食意地の張ったことを思ったその時、張りのある声が会場に響き渡った。
「久しぶりだね、ルシータ。元気そうで何よりだよ」
駆け寄ってきたのは、ルシータの同級生だった青年だった。
「あなたも元気そうで嬉しいわ。でもね、ライアン」
かつての学び舎で陰でも表でも悪役令嬢と呼ばれていても、ずっと紳士的に接してくれていたこの青年に向かって、ルシータは儀礼的な挨拶を返す。
でも辺りをそっと一瞥した後、声を潜めてこう囁いた。
「あなたはとても成績が良かったのを覚えているけれど、これからはもう少し要領の良さを学んだ方が良いわよ」
暗に、自分と関わるな、とルシータはライアンに向かって忠告をした。
ルシータがこの会場に到着して、まだ数分足らず。
でも既にここにいる元同級生達の視線は、ルシータを歓迎するものではない。
到着して最初に目に入ったのは、ドン引きするほどの華やかな会場風景でもなければ、目がチカチカするほどの花々でもない。
同級生たちのなんでお前がここにいるんだという不躾な表情だった。次いで、風に乗って聞こえてくる、ヒソヒソとした陰口。
そして露骨に怯える表情には、ルシータが未だに彼女たちにとって悪役令嬢のままであることを雄弁に語っていた。
ルシータは噂話と陰口は、女性にとって大好物なものというのは学生生活で身をもって学んだ。
そして学園生活は卒業できても、それを卒業するどころか磨きがかかっていることも、ついさっき知った。
だから格好のネタが登場したのは嬉しいけれど、面と向かってルシータにもの申すのは恐いようだ。
その証拠に同級生たちはルシータと目が合うと、まるでところ構わず厄災を振り撒く奇妙な鳥でも見たかのように、慌てて口を閉ざし視線をあらぬ方へと泳がす。
給仕をしているヨーシャ邸から駆り出されたメイドすらも。
「......気を悪くしたらごめんなさい。でもあなたのことを思って言ってるの。それはわかってほしいの」
ルシータは、声を潜めてそう言った後、じっとライアンを見つめる。
「いや、そんなの僕は気にし......───あ、ああ。うん。そうだね。君の言う通りだ。僕はこれで失礼するよ。じゃ、じゃあね」
一度はルシータの言葉を力強く否定しようとしたライアンだけれど、はっと何かに気づいたように口をつぐんだ。
そしてしどろもどろになりながら、そそくさとルシータから距離を置く。
ただ、その視線はルシータではなくレオナードに向いていて、去り際に「ごめんなさい」と紡いだけれど、それも彼に向けてだった。
「さて、ルシータ。突っ立ってても仕方がない。あそこら辺なら人がいないから、ちょっと座ってお茶でも飲もう」
レオナードは、少し膝を折ってルシータに囁いた。
その声音は、怖気が立つほど優しくて。
どう頑張って探しても、みすぼらしい婚約者を恥じるそれは、ついぞ見つけることはできなかった。
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