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第一章
それは、いつの御世のことでしたでしょうか。
可憐な美しさと、香を焚き染めずとも香り高い伽羅にも劣らない芳しさで名を馳せる姫君がおりました。
肌は透き通るほど白く輝き、小柄なほっそりとした体にすらりと伸びた手足と首、小さなお頭には収まっているのが不思議なほどの豊かな鴉の濡れ羽色の髪が身の丈よりも長く伸び、唇は紅をさしておらずとも薔薇のように色づいて、このお口から一言でもお声を聞きたいものだと、浮き名で名高い上達部から辛うじて殿上人の端にかかる程度のきわの者までが、こぞって文を送り、噂に踊らされているありさまでした。
けれど、そのお姿もお声すらも直接知る公達はおりませんでした。
姫君の父はたいそうな勢いにときめく左大臣。当時、十八歳の帝の後宮には然るべき地位の后はおらず、十四歳の姫君は後の中宮となるべくして入内することとなっておりました。
それだけでも敷居が高いものですが、姫君は几帳の奥に女房すら近づけることなくひっそりとおすごしになり、父君にさえお姿を見せようとはいたしません。地位のある方からの季節折りごとのお文には父君もお返しを勧めるのですが、姫君は見向きもせずに堅くお心を閉ざしております。
世の男達は稀に見聞きする女房達からの話に心を弾ませますが、誰一人として姫君の言の葉に触れた者はおりませんでした。
閉じた二枚貝のように姿を見せず、噂ばかりが華やいでいる姫君のことを、いつしか人は「くちなしの姫」と呼ぶようになりました。
くちなしの花のように白く芳しく、そして実が熟しても割れることのない「口無しの姫」──そこには、くちなわくらいしか食べない実をつける木という揶揄をこめている者もおりましたが、それ以上に姫君の輝きに焦がれる者が大半を占めておりました。
当の姫君は十二歳になる女童のことをいたく寵愛して、彼女だけを傍近くに侍らせ、その女童には「夏木」という名を与えて全てを話し、夜も傍らに控えさせているほどでした。
姫君は、夏木さえいればよかったのです。
けれど、その真実を知る者はおりません。
だからこそ悲劇は起きてしまったのでしょう。
誰も望まなかった恋。あるいは望みすぎて壊れてしまった恋という悲劇。
では、物語を始めましょう──。
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