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十八歳
ある日突然、自動車の追突事故で、父が死んだ。
小さい頃からほとんど口もきかない父だった。それでも僕の、唯一の家族だった。棺の中に横たわる、冷え切った頬にはじめて指で触れた。硬直した胸に顔を埋め、涙が枯れるまで泣いた。
父さん、もしそばにいて欲しいと言ったら、そばにいてくれた? 抱きしめて欲しいと言ったら、抱きしめてくれた?
僕を、愛していてくれた?
もう、確かめることすらできない。
秋の風吹く湖に、君の名を呼ぶ。声は返らない。
淋しい。淋しくて死んでしまいそうだ、アルゼ。どうか早く僕を抱きしめて。君がいなければもう、上手く笑うことさえできない。
今年もようやく湖面に氷が張る。年々氷の張る時期が遅くなり、冬を急き立てるように春が来る。僕がアルゼと過ごせる時間も、年々短くなっていく。
「アルゼ! 会いたかった……!」
氷上に現れた、冷たく美しいからだを掻き抱く。
「――父が死んだんだ。もう僕には家族がいない」
アルゼは啜り泣く僕の背中を、ずっと撫でていてくれた。
「ヴィル……あなたにしてあげられることが、私にある?」
アルゼは声を震わせ、瞳から氷の粒を落とした。
「……あるよ。君にしかできないことが」
ポケットから小さなビロードの小箱を取り出し、アルゼの前で開ける。
「僕と、結婚してくれないか」
白銀の指輪を見たアルゼは、しばし声を失った。
「――お願いだ、アルゼ。君の愛をぜんぶ、僕に捧げると約束して」
「私は……人間じゃないのよ。結婚なんてできるはずが」
「法律とか手続きとか、そんな話じゃないんだ。僕は君に誓いを立てるよ。一生君だけを愛するって」
アルゼの青白い顔が、さらに色を失っていく。
「……あなたはアンドレセン家の跡取りで、望むものは何だって手に入る。大人になれば、楽しいことが山ほどあるわ。女の子は皆、若く美しいあなたに夢中になる。誰かと結婚して家族ができれば、私のこともすぐに忘れる」
「本心からそんなふうに思うの、アルゼ? 君は、僕が他の人を愛しても何とも思わない?」
アルゼは怯えたように首を振った。白銀の髪がさざなみ立つ。
「でも――あなたをこの湖に縛りつけてしまったら」
「それでいいんだ。ずっとここで君を待っている。毎日、君の絵を描きながら。きっと楽しいよ」
氷の粒が頬を伝い、白い湖面をきらきらと跳ねた。
「――私も、あなたのそばにいたい」
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