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ある凍死体
「優しいのか、冷たいのか……どっちだ」
ヨハンはスケッチブックの隅の殴り書きに目をやり、太い金の眉を寄せた。壁紙の剥がれた居間の隅に、いくつもの山をなす膨大な量のスケッチブック。それらを手に取りぱらぱらとめくってみれば、描かれているのは、ただひとりの女性だけだ。
凍りついた真冬の滝のような、長い白銀の髪。青みがかるほど白い肌。白い、樹氷のような睫毛に縁取られた水色の瞳――。
中にはヌードの絵もあったが、あまりに造形が美しいせいか氷像のように見え、いやらしい気持ちがひとつも湧いてこない。どことなくこの世のものではないような、神聖とも言える美貌だった。
この冬、五十年に一度と言われる大寒波がこの地方を襲った。
数日続いた猛吹雪がようやく収まり、この地区の警官が住人の見回りに出たところ、この屋敷の前に広がる凍った湖の上で、ひとりの老人の凍死体を発見した。
ヴィルヘルム・アンドレセン、七十五歳。
母方は貴族の出であり、もとはこの一帯の土地を所有する大地主のひとり息子だった。三歳のときに母が病死、十八のときに父が交通事故死。その際に広大な土地と遺産を受け継いだが、この湖畔の別荘とそれを囲む森だけを残し、すべての所有地と自宅を売却した。そうして手に入れた莫大な財産を自然保護団体に寄付し、生涯独り身のまま、残されたこの湖畔の別荘で質素な生活を送ったという。変わり者で、月に数回、近隣の村に生活必需品を買い出しに行く以外、一切外界と交流を持たなかった。
これが役所勤めのヨハンに知らされた、ヴィルヘルム・アンドレセンに関する情報のすべてだった。
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