02.乳母と黒騎士

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 彼の強烈な印象は、整った外見だけでない。  ラスボス戦直前のヴァルンレッドとの戦闘は長期戦を強いられる。生半可なレベルではあっという間に全滅させられてしまうくらい彼は強いのだ。  魔法を纏わせた剣を手にヒロイン達と戦うヴァルンレッドは、一対多数というのに一撃で瀕死近い大ダメージを与える攻撃を繰り出し、剣技+追加効果という強力な全体攻撃も放つ。  回復魔法も追い付かず全滅して、何度か戦闘をやり直した。  彼の強さもそうだが、2のメインヒーローである王子を痛め付けて瀕死にさせたり、ヒロイン達を助けた村を見せしめとして焼き払ったりと、ラクジットの護衛をする過保護なヴァルンレッドの姿からは想像出来ないくらいの、血も涙もない冷酷キャラだった。  過保護であろうと冷酷であろうと、此処から逃げるのにはヴァルンレッドが最大の難関となるのは確実だ。  戦闘中に冷笑を浮かべて攻撃してくるヴァルンレッドを想像して……身震いした。  生まれて間もない赤子の頃から傍に居て、守ってくれていたヴァルンレッドと敵対するのは絶対に嫌だ。怖いよりも悲しくて想像したくもなかった。  もう逃げるのを諦め来世に希望を抱いた方が早いのかと、国王に娶られる前に自殺した方が楽かもしれない。  寝転がっていた上半身を起こして屋根の上にから下を覗く。  この程度の高さなら死なないが、離宮の一番上の屋根からなら死ねるかも。  ごくりっ、ラクジットは唾を飲み込む。 (やっぱり怖いし、死にたくない)  万が一、自殺しても死にきれずに捕まったら、それこそ逃げないよう意識は奪われて体だけ、胎だけは生かされ続ける存在にされるだろう。 (死ぬのは、最終手段だわ)  では、国王を受け入れてみるのはどうだろうか。  外見はとても冷たい美貌と言うのか、ラスボスとか出産後の事は考えずに国王を愛するよう努力してみたら、何かが変わるかもしれない。 (うわぁ! 暗黒竜を愛するとか、自殺するよりも無理だ)  国王の冷たい瞳と人とは全く違う気配を思い出して首を振る。三百年の間生に執着し、子と妻を道具にしか見ていない者の考えを矯正するなど、とてもじゃないが出来ない。  闇に心身を蝕まれた暗黒竜を愛するなど、頭の中がお花畑になったヒロインか聖女様でなければ出来ないと思う。 (生まれながら魔力が強いのなら、国王と戦って勝てばいいのでは? いや、)  無理だ、と直ぐに打ち消した。   魔力が強かろうが才能があろうが、聖剣も無ければ勇者や聖女のような特別な能力を持たないラクジットが、どう足掻いたとしても三百年の間、竜の血と魔力を凝縮してきた最凶の暗黒竜には勝てない。  第一、ラクジットは魔法も剣も扱えないのだ。力で抵抗しようなどと、笑い話にもならない無理な話だった。  息を吐いてから、ラクジットは屋根の上へ寝転がる。  目前に広がる青空にはシュークリームに似た形の雲が浮かび、数羽の鳥が飛んでいるのが見えた。  サクッ  寝転がる屋根の下から、綺麗に整えられた芝を踏む誰かの足音が聞こえた気がして、ラクジットは首だけを動かして音がした方を見る。 「此処にいるってよく分かったね」  予想通りのタイミングで来た事がおかしくて、「あははっ」と声を出して笑う。 「姫様が居なくなったと、メリッサが慌てていましたよ」  先程まで考えていた相手、ヴァルンレッドが屋根のすぐ下にいた。近くに来るまで気が付かなかったのは、気配を消して近付いたのだ。 「ヴァルも慌てて探したの?」 「いえ? 私はラクジット様が何処にいらっしゃっても分かりますから」  涼しい顔で言うヴァルンレッドに、ラクジットは唇を尖らした。 「えー魔法なの? 何か嫌だなぁ?」  両手をついて勢い良くラクジットは上半身を起こす。  探索魔法を使ったのだとしたら、逃亡するのはしっかりと対策を考えなければならない。 「魔法など必要ありません。此処に隠れるのは何度目ですか? ラクジット様の隠れ場所は、全て把握済みです」 「むううっ」  離宮内に数ヵ所ある隠れ場所には、ローテーションで行っていたから直ぐには見付からないと思っていたのに。  頬を膨らませたラクジットは屋根の上からヴァルンレッドを睨む。 「それで、何をなさっていたのですか?」 「鳥か雲になりたいなぁって思って空を見ていただけだよ」  サァー……、吹き抜けた風に煽られた銀髪がふわりと広がる。 「鳥……ですか? そろそろ降りて来てください。降りられないのならば、私がお迎えに行きますよ?」 「やーだよっ」  べぇっと舌を出したラクジットは屋根の上に立ち上がる。 「とうっ」  掛け声を上げ屋根から飛び降りたラクジットは着地を決め、られなかった。  素早い動きで移動したヴァルンレッドが腕を伸ばし、ふんわりと落下するラクジットを受け止めたのだ。 「ちょっと! 離してよー」 「駄目です」  手足をじたばた動かして、ヴァルンレッドの腕の中から逃れようとするのにラクジットを抱く彼の腕は、ビクともしない。 「手を離したらラクジット様は飛んでいってしまうでしょう」 「飛んで行きたいもの。私もヴァルみたいに外に出て、いろんな場所へ行けたら幸せなのになぁ」  子どもっぽい仕草だと思いつつ、頬を膨らませたラクジットは横を向く。前世だったら痛い仕草だけど、今の体は子どもだから許されるだろう。  フフッと、耳元でヴァルンレッドが笑う声が聞こえた。 「いつか……私がお連れしますよ」 「本当に?」  吃驚して横を向いていた顔を動かした先に、濃紺の瞳を細めて微笑むヴァルンレッドの顔があった。 「ええ。貴女の幸せが、私の幸せでもあるのですから」  片手の腕に乗せたラクジットをも片方の腕で抱き締めたヴァルンレッドは、メリッサが待つ離宮へ向けて歩き出す。  やわらかい笑みを見せてラクジットを甘やかすヴァルンレッドが、冷徹で無慈悲な黒騎士ヴァルンレッドと同一人物には思えなくて……泣きそうになったラクジットは彼の首へ手を回して抱き付いた。
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