交換条件

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交換条件

 ティラミスのスポンジには、コーヒーが染み込んでいる。だから、ほろ苦く甘過ぎないのだ。この恋に似ているかもしれない。  付き合って3ヶ月、一昨年のクリスマスにプロポーズされて、口約束だけど婚約した。思えば、あの頃が頂点だった。 『一緒に、返すから。頼むよ、杏香』  年が明けると、彼は私との新居にしたいと新築のタワマンの購入を持ち掛けてきた。不動産屋に勤める友人の計らいで、頭金の一部を収めれば、権利を確保出来るという。通勤にも便利な一等地に建設中で、今年の秋には入居出来る予定だ。  ただ、彼が頼んできた金額は、決断するには清水の舞台から飛び降りる方が容易く思えた――400万円。就職してからコツコツ貯めてきた、定期預金とほぼ同じ額。結婚か老後か、将来のために積み立ててきた唯一無二の財産だ。  物件確保のために提示された金額は1000万円で、残りは朋哉が出すと言う。  結婚と素敵な新居を夢見た私は、定期預金を解約し、仮契約書のコピーを1枚受け取った。  同じ頃、私は彼と一緒に生命保険に入った。月々の掛け金は2万円。給料日の翌日、彼に渡すようになった。  半年後、彼のお母さんが入院した。手術費用が必要だからと、まだ顔も見たことのない義母のために30万円を借りた。初めて、消費者金融でローンを組んだ。  その2ヶ月後、彼の弟が交通事故に遭って失業した。再就職までの間、と言われ、別の金融機関で20万円借りた。  そして、1週間前、彼が車上荒らしに遭い、下ろしたばかりの生活費、10万円が入った財布を盗まれた。  借入限度額一杯の私に、来月まででいいからと、彼は私の親に借りて欲しいと頭を下げた。 『ママが15万円、振り込んでくれるって。コンビニATMで下ろすから――』  私は、交換条件を出した。  それは、この湖畔に来ること。1年で1番寒い朝、ダイヤモンドダストを一緒に見て欲しい。そしたら、その足で1番近いコンビニに寄り、お金を渡すから。  一瞬真顔になった後、朋哉は快諾した。だから今夜、私達はここに居る。
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