天使の囁き

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天使の囁き

「ご気分は、如何ですか」  白い天使――ではなく、白衣の天使が、心配そうに私の顔を覗き込んだ。  淡い緑の入院着から伸びた左腕に、点滴の管が繋がっている。  どうやら、天国には行けなかったらしい。 「警察の方がお見えですが、お話出来ますか」  朋哉は、手に入らなかった。  私の手の中には、愚かな借金と、彼を殺めた罪が残された。  現実は、落胆する暇も許してくれない。  警察は、引導を渡しに来たに違いない。 「どうぞ……話せます」  リクライニングを起こしてもらい、襟の袷を整えて来訪者を待つ。  短いノックの後、入室してきたのは茶色の背広姿の刑事と女性警官の2人だ。 「この度は、でしたな」  中年刑事が話を主導する。妙な言い回しだ。 「はぁ……」 「荻原朋哉には、複数の結婚詐欺の嫌疑がかけられておりましたが……まさかとは」 「彼は、亡くなったんですよね。私はどうして……」 「結城さんは、湖に釣りに来た男性に救助されました。幸い発見が早く、後遺症は残らずに済むそうです」  手帳に目を落とした警官が、屈託なく微笑んだ。背筋がザワザワと落ち着かない。 「あの、これって……殺人、ですよね?」 「ええ、被疑者は死亡しましたが、殺人未遂です。あなたは荻原に殺されかけたんですから」 「どうして、を」 「信じたくないのも、無理ありません。ですが、あなたは生命保険に入っていますよね。受取人は、荻原朋哉で」  刑事は、哀れむような眼差しを向ける。 「はい。彼と一緒に入ったんです」 「荻原は、加入していません。事故に見せ掛けてあなたを殺害し、保険金を手に入れるつもりだったのでしょう」 「排気口が塞がって起こる一酸化炭素中毒は、雪国では珍しくありませんからねぇ」 「そんな……」  私は俯いた。知らぬ間に倒れ出したドミノが――止まらない。 「ショックを受けるのも、無理はありません。最後に1点、確認させてください。あなた達は、何故あの場所に行ったのですか?」 「ダイヤモンドダストを、見ようと……」 「成程。大変なところ、ご協力ありがとうございました。ご回復、お祈り申し上げます」  刑事達は丁寧に一礼して、退室した。入れ替わりに看護師が入ってきて、点滴の様子を見る。 「あの、今朝は……ダイヤモンドダストは、出たんでしょうか」 「ええ、それは見事でした。ダイヤモンドダストは『天使の囁き』とも言いますから、結城さんは天使に救われたんでしょうね」  病室から見える景色は、清々しい水色の空。天使の羽の欠片もない。  シーツを握り締める。私の手は温かかった。 【了】
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