そのトリックの名は「思い込み」

事件の真相、そして犯人像

「えー皆様、席に着かれましたでしょうか？
では、講演を再開致します
えー、先程までお話した通り、我々の捜査は一度暗礁に乗り上げた訳ですが、
此処で、私を含め少数の人間は、もう一度事件当日の洗い直しに尽力致しました
先ず、我々はもう一度A氏の会社を訪ね、A氏の人物像を洗い直すべくA氏が社長を務める会社に伺いに行く事に致しました
A氏の会社はA氏のマンションから程近く、麻布の一等地にオフィスを構えております
社員数の方は二十名ほどの少数先鋭でありましたので、その社員全員から話を聞くことが出来ました
A氏は会社内では常に冷静、冷徹、かつ自己中心的人物で他を寄せ付ける雰囲気は無く、誰に対しても厳しい口調で当たる性格の為に、プライベートでは社長と接する者はこの会社内では、ただの一人もおりませんでした、逆に言うと、その性格の為に社員の全ての人が社長の事をよく思っていないと言う事がよく分かりました
A氏には側近に秘書が一人おりまして、まあ、この秘書という方がスラリと背の高い、まるで何処かのモデルさんかと見間違える様な、目が本当に醒める程の美女だったのですが…えー、ゴホン…話がそれました、その秘書からも話を聞く事が出来ました
その秘書が言うには、社長は月曜日から、金曜日まで、その平日の殆どは朝から、深夜まで会社内、または会社の用件をしていて、会っているのは会社関係者のみで、平日にプライベートの時間などは全くと言って良い程無い、
ただし、土曜日、日曜日は会社が休みなのだが、その週末に関しては一切連絡をするな、緊急の場合は留守番メッセージにその要件を残せと言う程の、プライベート管理の徹底ぶりだったので、週末の社長のプライベートの行動は全く知らないと言う事でした
事件当日も冒頭で言い忘れましたが、週末に当たる土曜日の事ですので、このA氏はこのプライベートに当たる行動の中で事件に巻き込まれたと見るべきだという結論に至りました
其処で、我々は再びA氏のプライベートの行動に付いてスマートフォン、PC機器等の解析や、周辺の聞き込みを徹底した結果、どうやら、A氏は同性嗜好、所謂ゲイの趣味があったのではないかいう事が判明致しました
そして、週末になると頻繁に新宿三丁目の店などに赴き、その日の相手を探していたらしき事が分かりました
其処で、我々捜査班は新宿三丁目近辺のあらゆるバーや、スナック等の聞き込みをしたところ、A氏が当日『ヤマサキタカシ』なる人物と接触していた事が分かりました
ただし、この夜の繁華街に置いて本名を使う者はまず有り得ない事で、その名は恐らく偽名であろうとその後、我々は判断致しました
兎に角、その『ヤマサキタカシ』なる人物はその監視カメラの映像の特徴とも合致いたしましたし、ほぼ間違い無く、その事件の鍵を握る者として我々はその人物の特定に尽力した訳であります
結論から申しますと、其処でこの捜査は再び難航致しました、その『ヤマサキタカシ』なる人物の解明に全く至らなかった訳であります
皆様、ご承知かどうかは分かりませんが、この新宿三丁目と言う夜の街は、一般の夜の繁華街よりもその事情は複雑でして、其処を利用する人々のプライベートに触れることは暗黙の中でタブーとなっており、お互いが偽名や、仮の身分での付き合いが当たり前の場となっているのです
ですから、その『ヤマサキタカシ』なる人物と会って話したりした者が居たとしても、その素性についてまで知る人物にまで辿り着くことはできなかったのでありました
ただ分かった事は、その男が、かなりな細身の体格であり、美形であったという事でした
一部では何処かのモデルなのでは無いかという噂があった話を聞きましたので、勿論、そういった関係も徹底的に調査致しましたが、結局、その人物に該当する者は見つかりませんでした
此処で、我々の捜査は二度目の暗礁に乗り上げた訳であります
そして、そのまま何の捜査の進展がないまま、時間だけが経っていく事となり、我々の地を這いつくばる様な捜査も日々徒労に終わる結果が続いておりました

ここまでで判明していた事は
A氏は自宅で何者かにネクタイ状の物で首を絞められて殺された事、A氏が会社では完全に孤立していた事、A氏には恨みを買いそうな人物が多くいた事、A氏近辺の者で当日、A氏自宅に訪れる事の出来た者は居なかった事、A氏は同性愛好家であった事、そして事件の真相に最も近い人物は『ヤマサキタカシ』と名乗る人物であるが、その人物の特定には至って居ない事、などであります

此処までの捜査で、かなりな人員と労力を、浪費致しました、当然、日々次々と起こる事件の中で、徐々に人員は削られて行きます、我々残った捜査員はこの『ヤマサキタカシ』なる男の断定に注力し、必死の捜査を継続致しました、だが、一向にそれらしき男の特定が、出来なかったので有ります
カメラにも映っている、尚且つ、幾人かの証言も取れている、この世に実在し、確かにこの世の一人を殺したその男
我々は必死になってその男の影を追いました、
ところがA氏の周辺をいくら、どれだけ捜査してもその男の実態が一向に捜査線上に浮上して来ないのです
追いかけても、追いかけてもその実像は見えているのに、一向にその姿は現れない
皆さん！
この時の我々の失望、絶望、焦燥…
お分かり頂けるでしょうか？
『手探り』と言う言葉が御座います
我々のその時の捜査は正に暗闇の中を、手探りで物を探している様な状態だった訳であります
暗闇の中、普段使い慣れている物の形を想像しながら、弄り、探している
それは必ず、そこにある筈なのに
そこで、ふと、何か一つ手に触れる、感触を確かめる、でも、いや、これじゃない、そして、また弄っていると、また一つ何か手に触れる、でも、いや、これでもない
その様な状態が永遠に永遠に続くのです
ですが、求めている物は必ずそこにある筈なのに、一向にその手に感触が無い
あたかも、その様な状態の日々でした
我々捜査陣は、本当に意気消沈致しました
これほど虚しく悔しい日々はありませんでした
夜、床に着いていても、休日に家のソファで寛いでいても、その映像の男『ヤマサキタカシ』の姿が目に浮かぶのです
仕事が終わり家に帰る途中、道の向こうに背の高い細身の男の姿を捉えると、無我夢中で走り出してしまうのです
そんな苦しい日々が永遠と続くのでは無いかと思われたのであります

ところがです、我々は本当に思わぬところから、この事件の犯人が、判明致しました
何と、犯人が、自首してきたのです
そして、その犯人の顔を見た時、我々は驚愕し、愕然と致しました
我々の捜査方針は決定的な所から間違っていた事が判明したからなのであります
それはつまり、我々の必死で、懸命な捜査には
、思わぬ所に根本的な落とし穴が有り、その出発点から見誤っていて、今迄の、地に這って進む様な、我々の地道で、堅実な捜査が実を結んで、事件解決に至った結果では無く
結局は、犯人の反省と後悔の念から、その自らの犯行を懺悔しにきたという、犯人側の良心という心象的理由だけにより
その事件はようやく幕を閉じる事が出来たという事であります、
ですから、この事は此処にいる皆様、いや、全ての捜査員に、此処にいる皆様がどうか伝えて肝に銘じて欲しい
そういう願いの中、私がこの場で皆様にお話している事をご理解頂きたい、警察には実際には片山右京はおりません、どうか、皆様、一人一人が、その自らの判断や、思い込みを根本から全て疑ってこの先の捜査に当たって頂きたい、
そういう思いで有ります、

えー、
それで事件の結論を申しますと、犯人は先程お話した秘書の女性、その名前をBといたしますが、そのBであった訳であります
そのBは所謂、男装趣向つまり、俗に言う『オナベ』であり、そのBもまた、週末にのみ、男装をして新宿三丁目のバーに通っていた、其処で偶然にも夜の相手を探しているA氏と出会って声をかけられた
Bが話すにはその時が本当にその場所で、A氏と会ったのは初めてで、A氏に『この事をバラされたくなければ俺と、今晩付き合え、そしてこの先も俺の相手をしろ』と言われ、やむなくA氏のマンションについて行ったそうであります
しかし、此処でBは普段の仕事上の恨みもあった事でしょう、更に、この先、弱みを握られて、この、かねてより毛嫌いしている男の言いなりにこの先ずっとなっていくのかと思ったら、突然、その体に、怒りの力がみなぎり、その時に自分のしていたネクタイを解き、A氏が隙を見せ、後ろを向いた所で、渾身の力でその首を一気に締め上げた、
A氏が絶命した後はその証拠となるであろう物の痕跡を消し、その場を経ち去った

彼女が自首したのは、ただこのままずっと逃げ切れる筈が無い、また、自分がまた再び夜の街へ繰り出す事が出来ないのなら、この世に何の満足も得ることは出来ないであろう
との理由からでした
尚、彼女は『オナべ』であって、その性的趣向は女性だった様です、ですからそのA氏の要求は、性対象としてとても受け入れられる事では無かったとも語っておりました

えー以上が私の経験した話しであります
長々とお話致しましたが
どうか、本日、私がお話した内容の意図、
『思い込み』という人間のみが陥ってしまう、この巧妙なトリックが有る事という事を認識し、この先の犯罪捜査の中で、自らの判断や、認識、常識という物を疑い、あらゆる可能性を視野に入れて、今後の捜査に役立て頂きたい
私はこの様に思っておるのであります

最後になりますが、この先、皆様の日々のご尽力に、御多幸のあらん事を願いまして、この講演を締めさせて頂きます

ご静聴、誠にありがとうございました」
(パチパチパチパチ…)

そのトリックの名は「思い込み」-完-

ご愛読ありがとうございました！