錬金術師の弟子

1/1
前へ
/1ページ
次へ

錬金術師の弟子

 錬金術師というものの噂を聞いた。  それは一体どんなことをしているものなのか、はじめはわからなかったけれども、色々な人から話を聞く限りでは、賢者の石というものを造りだそうとしている人達のことのようだった。  でも、賢者の石というのは? それも僕にはわからない。ただ、他の街に住む貴族がそれを求めているということだけが、僕の耳に入ってきた。  何故だかわからないけれども、僕は賢者の石に興味を持った。はじめて賢者の石の名前を耳にしたあの日からしばらく、僕は図書館に通って賢者の石について調べ、その存在に驚いた。賢者の石について全てわかったわけではないけれども、これがあればあまねく人々を幸せにできる。そう確信した。  僕も賢者の石を追い求めたい。その熱い思いが抑えきれなくなり、僕は錬金術師に弟子入りしようと、そう心に決めた。  この街に錬金術師はいないので、錬金術師に弟子入りするためにはこの街を出なくてはいけない。けれども、そのことに戸惑いはなかった。両親も早くに亡くし、姉はもう嫁に行ってしまった。僕にはもう、この街に対する未練はないのだ。  食堂の下働きで貯めたお金を全部持って、旅の支度を調えて、僕は方々にいる錬金術師を訪ね歩く旅の準備をして街を出た。  何人かの錬金術師の元を訪れ、弟子入りを断られ、貯金も心許なくなってきた頃、小さな村に辿り着いた。宿もなく、野宿をするしかないかと思いながら村の中を歩き回る。外から来る人間が珍しいのだろう、村の人は僕に好奇の視線を向けている。  ふと、おっとりとした雰囲気のおばあさんが僕に話しかけてきた。 「旅の方、宿を探していらっしゃるの?」  話し掛けられたことに少し驚きながら返事を返す。 「そうなんです。でも、宿が無いなら野宿でもいいかなと思っていたところで」  それを聞いたおばあさんは、とんでもないといった顔でこう言った。 「それはいけません。あなたのように小さな方が野宿なんて、危なくて仕方がない。 村の外れに、大きな家に住んでいる先生がいます。そこに泊めて貰うのが良いと思いますよ」  おばあさんは、付いてくるように。と言って歩いて行く。僕はそれに付いていった。  他の村人の家々から少し離れた所に、おばあさんが言ったとおり、大きな家があった。平屋だけれども、庭と畑もあって、とにかく広い。  おばあさんが扉を叩いて中に声を掛ける。 「先生、相談があるんですけれどよろしいですかね」  すると、中から返事が聞こえて扉が開いた。 「どんな相談でしょう。また膝が痛くなったとかですか?」  出てきたのは、僕と同じくらい小柄な、金髪の男性だ。彼の身体に染みついているのか、それとも家の中に充満しているのか、瑞々しく気怠い、けれども甘い芳香が漂った。  おばあさんは、先生と呼んだ男性に話し掛ける。 「実はですね、旅の方が宿を探してらっしゃるようで。宿が無いなら野宿でなんて言っているのですけれども、こんな小さな方が野宿なんて、危なくて危なくて…… 先生のところに泊めていただけたらと思って来たんですよ」  それを聞いた男性は、ちらりと僕のことを見て、にこりと笑う。 「確かに、野宿をするのは危なそうな方だ。今夜はうちに泊まっていただきましょう」  それから、僕のことをじっと見て、手招きをする。 「どうぞ中へ」  招かれるままに僕は彼の家の中に入る。  それが、僕と先生との最初の出会いだった。  先生に、なぜ旅をしているのかと訊かれ、僕は素直に答えた。弟子入りさせてくれる錬金術師を探しているのだと。すると、先生は驚いたような顔をしてからこう言った。 「これは奇遇だ。僕が錬金術師だというのは、まだ村の人からは聞いていないかな? まぁ、それはそれとして、丁度助手が欲しいと思っていた所なんだ。あなたが良ければ、是非ともここに留まって欲しいね」  それを聞いて、心が昂ぶった。僕を受け入れてくれる錬金術師がいた。助手でもいい。賢者の石を造りだす手伝いが出来るのであれば、それが僕の望むことなのだ。  僕は先生に深く頭を下げて返す。 「こちらこそ、これからよろしくお願いします!」  先生はにっこりと優しく笑って僕を受け入れてくれた。忙しい毎日になると思うけれど、明日から頼むよ。と言って。  翌日、日が昇る前に先生に起こされ、ハーブを育てている畑へと連れて行かれた。 「君にはこの畑の世話を任せたい」 「畑の世話ですか?」  この畑に香るハーブが、錬金術とどんな関係があるのだろう。僕にはそれがまだわからないけれども、きっとなにか意味があるのだろう。そう考えて、先生から畑の世話の仕方を教わり、それから、ハーブの収穫の仕方も教わった。  はじめの数日は先生と一緒に畑の世話をしていたけれども、そのうちに僕も慣れて、毎朝畑の世話をするようになった。収穫したハーブを先生の研究室に持っていくのだけれども、このハーブをどうするのかということを、先生はまだ教えてくれない。少しだけもどかしさを感じた。  そんな日々を過ごすうちに、僕はあることに気がついた。食事は基本的に先生が作ってくれるのだけれども、朝食だけは、先生に任せると質素になりすぎる傾向があるのだ。  体力を使う畑仕事のあとにその食事だと、お腹が空いて体が持たない。だからある日、僕は朝食の準備を始めようとしていた先生にこう言った。 「先生、これから朝ごはんは僕が作りましょうか?」  すると先生は、きょとんとする。 「うん? なんでだい?」 「助手の僕がごはんを作る方が先生も研究に集中できると思いますし、それに」 「それに?」 「先生の作る朝ごはん、量が少なくてお腹が空いてしまうんです」  最後の方は顔が熱くなるのを感じながら僕がそう言うと、先生はくすくすと笑う。 「そうだね。確かに言われてみると、僕が作る朝食は量が少なかったかもしれない。 君の方が体力のいる仕事をしているのだから、これからは君に頼むよ」 「はい、お任せ下さい」 「作ってくれると僕も助かるからね」  居間のすぐ側にある台所から先生が離れたので、僕は早速、有る食料を確認して朝食の準備に取りかかった。  朝食が済んでしばらくすると、この家に村の人が何人もやってくる。これは毎日のことで、調子が悪い村の人のことを診て対処法を教えてたり、薬を処方したりするのが、先生のこの村での役割なのだそうだ。  本業は錬金術師だけれどもね。と先生は言っているけれども、なぜ先生が医者の代わりをしているのかはわからない。なのである日、人足が途切れたところで先生に訊ねてみた。 「先生、なんで医者の代わりをしているのですか?」  すると先生は、いつものようににこりと笑って答える。 「医学と錬金術は、切っても切れない関係があるからね」 「そうなんですか?」 「ああ、そうだよ」  詳しい説明は無い。これは僕が自分で考えて、その関係性を見つけろということだろうか。思わす考え込んでいると、先生が僕の肩を叩いて部屋の奥の扉を指さす。 「そろそろ研究室に戻ろう。精油が採れてる頃だ」 「はい、わかりました」  先生は、畑で育てているハーブから香油を採ることがある。なぜそんなことをしているのかと以前訊ねたことがあるのだけれども、なんでも、香油は薬に使うだけでなく、友人の調香師に売ったりもしているそうだ。これも収入源のひとつだと、先生は言っていた。  僕も精油の抽出を手伝うようになってもうしばらく経った。けれども、先生はハーブの手入れの仕方や精油の取り方、それに、なぜか庭に置いている大きなガラスの器に溜めた雨水を研究室に運び込む手伝いなど、一見錬金術とは関係なさそうなことばかりを僕にやらせている。  僕は本当に、錬金術を教えて貰えるのだろうか。そんな不安が、心の隅に常にあった。  そんなある日のこと、先生の元に友人だという調香師がやって来た。彼は色々なところを旅して香油を集め、貴族のために香水を調合しているのだという。その割には、なんだか胡散臭い雰囲気があって、先生が調香師のことをすんなりと受け入れているのを不思議に思った。 「この子が新しく弟子にした助手でね」  そう言って先生が僕を調香師に紹介するので、僕は慌てて頭を下げて名乗る。すると、調香師も軽く頭を下げて名乗った。 「随分と、よく働いてくれそうな子じゃあないか」  調香師のその言葉に、先生は少し自慢げに返す。 「わかってくれるかい? この子はとても働き者でね。朝ごはんも作ってくれるんだ」 「朝ごはんが少ないって問題が解決したのか。それは良かった」  しばらくそんなやりとりをして、調香師がしばらく先生の家に泊まるという話になった。それを聞いて、少し不安になったけれども、先生の友人なのだから、悪い人ではないだろう。そう自分に言い聞かせて、調香師ににこりと笑いかけた。  それから二週間ほど、僕と先生に加えて、調香師もいる日常を過ごした。はじめは胡散臭いと思っていた調香師だけれども、何日か接しているうちに、やはり悪い人ではないということがわかった。初めて会ったあの日に、あんなに訝しんでしまったのが今となっては恥ずかしい。そう、先生の友人なのだから、悪い人であるはずはないのだ。先生はちゃんと、良い人と悪い人を見分けられる人なのだから。  ある日の朝食後、先生が少し研究室の様子を見に行っている間に、僕は調香師にこう訊かれた。 「ところでお前さん、錬金術をやってどうしたいんだ?」  その問いは意外なものだった。錬金術師の目標は、みな同じだと僕は思っているからだ。 「僕は、賢者の石を作りたいんです」 「それは、名誉のために?」  少し意地悪なことを言う調香師に視線を返す。 「違います。賢者の石があれば、沢山の人が幸せになれると思うんです。だから」 「なるほどな」  調香師はにっと笑って、僕に言う。 「名誉を求めない錬金術師は、俺が知る限りものすごく少ない。そう、川底の砂の中にある砂金みたいなものさ。 お前さんはその志を忘れてくれるなよ」 「……はい」  調香師の言葉に、僕は頷く。僕は僕の目的のために、頑張らないといけないんだ。  ふと、心の中に不安がわき上がってくる。 「あの」 「ん? どうした?」  先生が席を外している今なら、調香師にこの事を訊ねられる気がした。 「実は、先生はまだ僕に錬金術を教えてくれていないんです。 本当に錬金術を教えて貰えるのか、どうしても不安で」 「ふむ?」  僕の言葉に、調香師は斜め上を見てから僕にこう訊ねてくる。 「お前さん、この家に来てからなにをやらされてる?」 「僕がやっていることですか?」  この家に来てからやっていること。それを思い返す。畑のハーブの世話と、香油の抽出と、ガラスの器に溜めた雨水を運ぶこと。それ以外だと、薬の調合を手伝ったり、食事を作ったり、そんなことだ。  それを調香師に話すと、彼はまたにっと笑って僕の頭を撫でた。 「大丈夫だ。あいつはちゃんと錬金術を教えようとしてる。 錬金術は、一見関係が無さそうな基礎がすごく大事なんだ。だから安心してあいつに付いて行けばいい。 もし不安だったら、直接あいつに訊いてもいいんじゃないか?」 「あ……そうですね」  そんな話をしていると、奥の扉から先生が戻ってきた。 「やぁ、盛り上がってるね。何の話をしてるんだい?」  笑顔でそう言う先生に向き直り、僕は訊ねる。 「先生は、僕に本当に錬金術を教えてくれるのですか?」  すると、先生は少し驚いたような顔をしてからくすくすと笑う。 「なにを言っているんだい、君にはもう錬金術を教えはじめているよ」  先生が言うには、畑で育てているハーブも、精油も、ガラスの器に溜めている雨水も、全て錬金術に必要なものなのだということだった。 「錬金術を教える気が無かったとしたら、これらの採取を君に任せてはいないよ」  今までの自分の鈍感さが、急に恥ずかしくなって、顔が熱くなってくる。先生はずっと、僕に錬金術を教えてくれていたのに、どうして気づかなかったのだろう。僕は本当に、まだまだ未熟者なのだ。  こぶしを握って先生を見据える。 「頑張って賢者の石を作りましょうね!」  決意新たに僕がそう言うと、先生はまたにこにこと笑う。それから、喉が渇いたからコーヒーを淹れて欲しいと僕に言った。  改めて昂ぶる気持ちを抱えながら、僕はコーヒーを淹れるために台所に行く。  その時、先生がなにかを小声で言ったような気がしたけれども、僕には聞き取れなかった。 「大事なのは、賢者の石ではないんだよ」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加